いや、ここで普通の呼び方の壕が出てきた。
まぁ、普通ではないが、ガマ・アブと比べると親しみやすい。
轟(とどろき)の壕というのは、なぜこういう命名なのか興味がある。
さて、ここは自由に見学ができるようだ。
しかし、壕に入るために降りる階段の手前にリュックとノートと筆記用具があった。
リュツクと水筒そして解説用資料
観光ガイドの持ち物に違いなかった。
階段を降りて行くと、2人の女性(子供とおばあちゃん)がいた。
この階段から降り始めるのだ。
階段はしっかりと整備されている。
途中に塔婆があった。
下を見ると地下壕入り口がある。
直径30センチ程度の穴から声が聞こえてくるのだ。
左を見るとこちらにも壕がある。
聞くとガイド付きで修学旅行生の集団が入っていったという。
よく聞くと声が響いている。
ここも宿題の一つとなった。
戦中は最大1000人以上の住民や日本兵が避難していたとされる。
ここでも日本兵の避難民に対する横暴はあったという。