これは同行のY氏の案だ。
ひめゆりの塔が建てられていたのが、ひめゆり学徒隊で一番被害の大きかった伊原第三外科壕だ。
しかし、ひめゆり学徒隊で被害に遭った壕は他にもある。
伊原第三外科壕から伊原第一外科壕まで車で2分、400mの距離。
コンクリートの標柱のようなものが見えたので車を停めた。
伊原第一外科壕の標柱と碑があった。
周囲は畑。
レストランも、博物館も、献花の花売り場も、民芸品売り場も何もない。
そして、ここを訪れた時はゆきたんくと同行のY氏の二人。
ひめゆりの塔の前では、手を合わせ数分の間その場を動かない者もいた。
修学旅行の団体、観光客の団体、個人の観光客とまことに賑やかであった。
ここにきて、少しでも犠牲者の魂が救われたと思うのは
1 慰霊碑の標柱があること。
2 碑文があること。
3 千羽鶴があったこと。
何も用意していないゆきたんくが偉そうなことを言えた義理ではない。
その気になれば、ひめゆりの献花を買ってここにお供えすることもできたろう。
沖縄県が制定している「慰霊の日」は6月23日で、この日は様々な壕に供え物がされるそうだ。
ここにある千羽鶴はそれ以降の別の日に備えられたものであることは分かる。
階段とはいえない階段を降りるゆきたんく Y氏撮影
深いガマがある。
ここにも千羽鶴がある。Y氏撮影。
千羽鶴の下には花束が置いてあった。 壕はこの奥深く続く。
ここには沖縄に来るたびに寄ろうと思う。
そして手を合わせるのだ。