夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者2年生の私、家内と結婚して36年、家内に対して何よりも誤算したことは・・。

2011-01-12 17:49:58 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身の私であるが、
私達夫婦は子供に恵まれず、築後34年の古惚けた一軒屋に住んでいる。
住宅街のはずれで、小庭は雑木が圧倒的に多く、草花は和花が多くなっている・・。

私は随筆、現代史、ノンフェクション、総合月刊誌の『文藝春秋』、『中央公論』などの本を読むことが多く、
ときおり映画作品の棚から、ヒデオ・テープ、DVDを取りだして、居間で観たり、
或いは音楽のCD棚から、ラジカセCDで音楽を聴いたりしている。

日中のひととき、買物に行ったり、散策をする以外は、
居間にいることが多く、ときには本棚をぼんやりと見る時もある・・。

私のパソコンを置いてある机の後方には、少し大きめの本棚が2本ある。
この本棚の最上段には最も敬意している本を置いている。

『世阿弥芸術論集』(新潮日本古典集成)、
栗山理一・編の『日本文学における美の構造』、
北 一明・著の『ある伝統美への反逆』、
上田三四二・著の『この世 この生~西行・良寛・明恵・道元~』、
安田章生・著の『西行』、
中野孝次・著の『西行の花』などが並んでいるが、
先ほどの背後の本を眺めていたら、配置の順番が変わっていなく、
永久欠番のようだ、と微苦笑したのである。

私は高校に入学して、突然に読書の底知れぬ魔力に魅了されて、
映画・文学青年の真似事をした時期もあったので、
この間に友人に上げたり、月刊の雑誌などは捨てるようにしてきたが、
結果として高校時代より買い求めた5000冊前後の本となり、
書庫の本棚や押入れに入れたりしている。

この中には、私の青年期に定職に就かず、食事を抜いて買い求めた本もある。


こうした中で、居間の本棚は本を並列に置いてある前の15センチぐらいのスペースに、
家内がディズニーランド、シーなどで買い求めたキャラクター・グッズが、
ここ10数年置いてある。
もとより家内が置いたのであるが、ミッキー・マウスなどが、ちょこんと居座っている。

ときおり私は苦笑しながら、私の苦手のディズニーのキャラクター品を見詰めたりすることもある。

そして私は、人生を過ごし生活を共にするには、ときには妥協も必要、
と心の中で呟(つぶや)く時もある・・。


遥か遠い昔、私が家内と婚約する頃、
家内は茶事を中学生から習い続けていたことに好感していた・・。

結婚日が近づくと、
新居の賃貸マンションの一室に、私達は荷物を運び入れたりしていた。

この時に、家内の荷物の中から、数多くの茶道具は予期していたが、
何故かしら10センチぐらいの背丈のミッキー・マウスを見た時は、
私は驚きながら、
『俺・・知らなかったよ・・聞いてもいなかったし・・』
と私は心の中で呟(つぶ)やき、そっとため息をしたのである。


私は家内と結婚して、まもなく36年が過ぎようとしているが、
私の結婚生活で、何より最大の誤算は、家内がディズニーのキャラクター品が好きである、
という現実である。
そして、毎年少なくともひとつは、増えているのである。


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『新年会』、齢ばかり重ねた私は、家内とたった2人だけの新年会となり・・。

2011-01-12 11:42:57 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。

民間の音楽業界のある会社を35年ばかり勤めて定年退職になったのは、
2004(平成16)年の秋で、そして年金生活に入り、今日に至っている。

この時節、働いて下さる現役の諸兄諸姉は、年末年始の休暇が終えて、
4日頃から『仕事始め』をされて、奮闘されて、『成人の日』を含めた3連休で、
ほっと一息されて、今年も頑張って成果のある仕事をしょう、と決意されていることと思われる。

そして、この間に会社の同じ部署の人たち、或いは同僚たち、そして友人たち、
それぞれ『新年会』をされて、懇親を深めている、
と世の中の多く方たちが話題するのを聞いたり、
或いはテレビのニュースなどで視聴すると、何かしら遠い世界の出来事のように感じたりしている。


私の50代の前半の頃は、サラリーマンで私なりに奮闘し、
この時節は部内はもとより、同世代、悪友たちと、何かと新年会と称して懇親会を重ねてきた。

そして50代の半ばに、リストラ旋風となり、
早期退職優遇制度の名目で先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、組織の統廃合により人事異動、
そして私のように出向となったりし、烈風の社内状況となった。

定年退職するまで、年に数回は互いに連絡して、東京に残った人たちと懇親会を重ねてきた。


その後、私の定年後になる頃は、病気で通院しているの・・、親の介護で・・、親が亡くなったので・・、
メンバーが欠落したのである。
そして、この時節になると、新年会は2月頃に有志で集まってすれば、
と敬愛してきている先輩だった人から云われたりすると、
そうですよねぇ、と私は応(こた)えたりしてきたのである。

このように私は、この時節の新年会と称した懇親会は、無念ながら消滅したのである。


やむえず昨夜、我が家で家内とふたりで新年会の真似事をしてきたのである。
家内が夕食の準備をして、台所にいる時、
『XXちゃんさぁ・・世間では新年会シーズンだょね・・
我家も新年会の真似事をしょうよ・・』
と私は家内に云ったりした。

私は昨年の10月からは、メタボの対策のひとつとして、
大好きなお酒とは、冠婚葬祭、懇親会、国内旅行、そして年末年始以外の平素の時は、
サヨナラしたり、ウォーキングに励んだりし、
そして昼食はリンゴ、柿などのフルーツ・ランチに専念してきた。

この結果として5キロ前後も減量となり、ウェストも可愛らしく減り、
ズボンを穿(は)く時、あれぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、嬉しげにバンドを締めるたりしてきた。


家内は少し微笑んだので、
私は久しぶりに弐合徳利とぐい呑みを選んだりしたのである・・。
そして妹から頂いた地酒を取りだしたりした。
冷酒でも良し、と明記されていたので、居間の食卓で、お酒の準備、
料理を台所からお運びの役目に専念した。

その後、私達は平素の夕食より、少し多めの料理を頂いたりした。
私達夫婦の共通趣味の国内旅行で、昨年訪れた各地での旅先のこぼれ話しをしたり、
これからの旅行の予定の話題を談笑したりした・・。

そして、私は特例として弐合徳利をお変わりしたり、
ぐい呑みに、おまけ、と私は云いながら、一升瓶から注(つ)ぎだしたりした。

このように2時間ばかり、ささやかな2人だけの新年会が終わり、
私は少し赤い顔をしながら、俺も弱くなったょ、と云いながら、
食卓の皿などの後片付けをした。

そして私は相変わらず茶坊主なので、家内にはコーヒー、私用に煎茶を淹れたりした。


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