私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
先ほど、ぼんやりとニュースを見ようと、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開いたのであるが、
右サイドの中のひとつに、
《 自分へのご褒美に苺のスイーツはいかがですか? 》
と表示されていた。
私は好奇心を失くしたらこの人生は終わりだ、と信条のひとりであるので、
イチゴのスイーツ・・何なのかしら、と思いながら、クリックした。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/cherie_dolce/
☆ 【サークルKサンクス】 オリジナルスイーツブランド「シェリエドルチェ」へようこそ! ☆
と余りにも美麗なサイトが表示されたが、
私は無念ながら、「シェリエドルチェ」って明示されても、解からない世界であった。
やむえず私は、左側にある《 シェリエドルチェとは? 》と明記されていたので、
こっそりとクリックした・・。
《・・
2007年11月に誕生したサークルKサンクスの
オリジナルスイーツブランド「シェリエドルチェ」。
「ワンランク上のほんものの美味しさとWAKUWAKUするような
豊富な品揃え」をコンセプトに、本格的な素材・製法を用いた
オリジナルのスイーツを展開しています。
ブランドネームは
<「Cherie」=フランス語で”最愛の”>、
<「Dolce」=イタリア語で”デザート”>
という単語を組み合わせ、
『多くのお客様に、最も愛されるスイーツを提供したい』
という願いが込められています。
シェリエドルチェのロゴは、「ドルチェ」の頭文字「D」の上に、
ホイップクリームをあしらったデザイン。
ホイップクリームは素材の美味しさを表現しています。
デザート・焼菓子・カフェシリーズを展開しているシェリエドルチェ。
毎週数種類の新商品が発売されているので、
全国のサークルKまたはサンクスの「シェリエドルチェ」コーナーは
見逃せません。
ランチのとき、ほっと一息したいとき、会社帰り、食後のデザートetc」・・・。
是非、あなたのスイーツタイムに「シェリエドルチェ」を!
・・》
このように優(やさ)しく解説されていたので、少しは理解できたのである。
そして私は定年退職したのは、2004年の秋であったので、
《・・2007年11月に誕生した・・オリジナルスイーツブランド「シェリエドルチェ」・・》
と明記されていたので、
都心に35年ばかり奮闘したサラリーマン時代から、退職後に年金生活をしていると都心の空気も解からなくなったので、
やむえないかしら、と微苦笑したりした。
だけど、<「Cherie」=フランス語で”最愛の”>、そして<「Dolce」=イタリア語で”デザート”>
という単語を組み合わせ、
・・おしゃれなブランドネームだよぇ・・と微笑んだりした。
この後、家内には最適であっても、私は二十歳以来お酒をこよなく愛する呑兵衛のひとりであるので、
残念ながら、私には無縁と感じたりした。
そして、同じイチゴであったならば、幼年期は農家の児として育った私は、
それなりのささやかなイチゴの思いがある。
過日の15日、我家の台所にある風物詩のあるカレンダーを見ていると、
『イチゴの日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。
私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、この日はたまたま15日であり、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、
と何かの本で読んだことがあった。
私は、イチゴかょ、と思い浮かべ、
少なからず私なりに思いでがあったので、恥ずかしながら発露する。
私は定年退職後、日常の買い物を担当しているので、
スーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。
この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。
1951(昭和26)年の頃、小学1年生であった私は、祖父、父が健在で程々手広く農業をしていた。
父の妹の叔母達も陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、イチゴなどの果物を植え込んでいた。
草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。
イチゴは5月頃になると、白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。
私は幼年期であり、イチゴを見つめながら、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように云ったりした。
『まだ白さがあるでしょう・・もう少し・・待ってからねぇ・・』
と叔母は云いながら、2坪ほどの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。
私は口の中で噛み砕いているうちに、甘み拡がってきた・・。
1975(昭和50)年、家内と交際をはじめ後、1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅まで利用し、
日本平付近の丘陵のイチゴ園に行った。
日当たりの良い丘陵でビニールハウスの中で養育されていた。
入り口でカップに入れたミルクを頂き、ハウス内のイチゴをもいで食べる方法であったが、
途中で家内に私のミルクを手渡して、私は外に出た。
ハウスの入り口から少し離れた所で、
私は煙草を喫いながら海辺の光景を観ていたが、ときたま微風を受けると寒さが感じられた。
私は3粒を頂いたが、初夏の果物がどうして・・と思ったりした。
1960(昭和35)年の高校生になると、季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。
私が中途入社した1970(昭和45)年を過ぎると、会社の部署旅行で2月に旅先で、
イチゴ園に寄ったりした。
このように私は露地栽培の初夏、実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでのためか、
昨今のイチゴには戸惑いを覚えている。
そして、私はお酒大好きな呑兵衛の男であるので、
イチゴは女性、そして女の子、男の子らの婦女子の果物のひとつであると確信し、30数年過ぎている。
家内がこの時節も愛食しているが、
私は1年に2粒ぐらいお付き合いしている程度である。
このようなイチゴに、ささやかな思いがあるので、
今回のおしゃれな食べ物には、高齢者の私には無縁かしら、と微苦笑させられたが、
昨今の美麗な食べ物のひとつは学んだ、と微笑んだりしている。
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読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開いたのであるが、
右サイドの中のひとつに、
《 自分へのご褒美に苺のスイーツはいかがですか? 》
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私は好奇心を失くしたらこの人生は終わりだ、と信条のひとりであるので、
イチゴのスイーツ・・何なのかしら、と思いながら、クリックした。
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私は無念ながら、「シェリエドルチェ」って明示されても、解からない世界であった。
やむえず私は、左側にある《 シェリエドルチェとは? 》と明記されていたので、
こっそりとクリックした・・。
《・・
2007年11月に誕生したサークルKサンクスの
オリジナルスイーツブランド「シェリエドルチェ」。
「ワンランク上のほんものの美味しさとWAKUWAKUするような
豊富な品揃え」をコンセプトに、本格的な素材・製法を用いた
オリジナルのスイーツを展開しています。
ブランドネームは
<「Cherie」=フランス語で”最愛の”>、
<「Dolce」=イタリア語で”デザート”>
という単語を組み合わせ、
『多くのお客様に、最も愛されるスイーツを提供したい』
という願いが込められています。
シェリエドルチェのロゴは、「ドルチェ」の頭文字「D」の上に、
ホイップクリームをあしらったデザイン。
ホイップクリームは素材の美味しさを表現しています。
デザート・焼菓子・カフェシリーズを展開しているシェリエドルチェ。
毎週数種類の新商品が発売されているので、
全国のサークルKまたはサンクスの「シェリエドルチェ」コーナーは
見逃せません。
ランチのとき、ほっと一息したいとき、会社帰り、食後のデザートetc」・・・。
是非、あなたのスイーツタイムに「シェリエドルチェ」を!
・・》
このように優(やさ)しく解説されていたので、少しは理解できたのである。
そして私は定年退職したのは、2004年の秋であったので、
《・・2007年11月に誕生した・・オリジナルスイーツブランド「シェリエドルチェ」・・》
と明記されていたので、
都心に35年ばかり奮闘したサラリーマン時代から、退職後に年金生活をしていると都心の空気も解からなくなったので、
やむえないかしら、と微苦笑したりした。
だけど、<「Cherie」=フランス語で”最愛の”>、そして<「Dolce」=イタリア語で”デザート”>
という単語を組み合わせ、
・・おしゃれなブランドネームだよぇ・・と微笑んだりした。
この後、家内には最適であっても、私は二十歳以来お酒をこよなく愛する呑兵衛のひとりであるので、
残念ながら、私には無縁と感じたりした。
そして、同じイチゴであったならば、幼年期は農家の児として育った私は、
それなりのささやかなイチゴの思いがある。
過日の15日、我家の台所にある風物詩のあるカレンダーを見ていると、
『イチゴの日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。
私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、この日はたまたま15日であり、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、
と何かの本で読んだことがあった。
私は、イチゴかょ、と思い浮かべ、
少なからず私なりに思いでがあったので、恥ずかしながら発露する。
私は定年退職後、日常の買い物を担当しているので、
スーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。
この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。
1951(昭和26)年の頃、小学1年生であった私は、祖父、父が健在で程々手広く農業をしていた。
父の妹の叔母達も陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、イチゴなどの果物を植え込んでいた。
草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。
イチゴは5月頃になると、白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。
私は幼年期であり、イチゴを見つめながら、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように云ったりした。
『まだ白さがあるでしょう・・もう少し・・待ってからねぇ・・』
と叔母は云いながら、2坪ほどの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。
私は口の中で噛み砕いているうちに、甘み拡がってきた・・。
1975(昭和50)年、家内と交際をはじめ後、1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅まで利用し、
日本平付近の丘陵のイチゴ園に行った。
日当たりの良い丘陵でビニールハウスの中で養育されていた。
入り口でカップに入れたミルクを頂き、ハウス内のイチゴをもいで食べる方法であったが、
途中で家内に私のミルクを手渡して、私は外に出た。
ハウスの入り口から少し離れた所で、
私は煙草を喫いながら海辺の光景を観ていたが、ときたま微風を受けると寒さが感じられた。
私は3粒を頂いたが、初夏の果物がどうして・・と思ったりした。
1960(昭和35)年の高校生になると、季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。
私が中途入社した1970(昭和45)年を過ぎると、会社の部署旅行で2月に旅先で、
イチゴ園に寄ったりした。
このように私は露地栽培の初夏、実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでのためか、
昨今のイチゴには戸惑いを覚えている。
そして、私はお酒大好きな呑兵衛の男であるので、
イチゴは女性、そして女の子、男の子らの婦女子の果物のひとつであると確信し、30数年過ぎている。
家内がこの時節も愛食しているが、
私は1年に2粒ぐらいお付き合いしている程度である。
このようなイチゴに、ささやかな思いがあるので、
今回のおしゃれな食べ物には、高齢者の私には無縁かしら、と微苦笑させられたが、
昨今の美麗な食べ物のひとつは学んだ、と微笑んだりしている。
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