夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

定年退職後、つたない私が最も聴いているクラシックの珠玉のような名曲は・・。

2011-01-16 18:33:23 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
音楽の楽譜も読めなく、楽器もさわれない拙(つたな)い男であるが、
何よりも読書を優先するが、ときには映画を居間で観たり、そして音楽を聴くのも好きである。

このようなに日常生活を過ごしたりしているが、
定年退職後、多く聴いた曲は・・、と先程ぼんやりと振り返ったのである。

私は音楽に関してはオペラとジャズは苦手であるが、
クラシック、ハード・ロックから歌謡曲まで聴いたり、抒情歌も聴いたりしている。
そして、ときにはクラシックの珠玉のような数多くの名曲を聴くこともある。

このような珠玉曲を5分間ばかり思い浮かべと、やはりねぇ、と微苦笑したのである・・。

イギリスの作曲家のひとりでエルガーが『朝のあいさつ』と題した名曲を遺(の)こされているが、
この曲を特にサラリーマンを卒業した定年退職後の生活で最も多かったのである。

私は農家の三男坊として生を受け、小学低学年まで農家の児として育てられたが、
父が病死し、祖父も亡くなったので、生家は衰退し、一時は生活に困窮した時代もあったりした。

この曲を聴くと、イギリスの田園風景の中で、程ほど大きな邸宅の裕福な家で、
朝のひととき優雅な情景を私は重ねてしまうのである。

私は幼年期の劣等感、そして身過ぎ世過ぎの年金生活を過ごしている今、
せめて心の中だけでも優雅な裕福のひととき・・と思っているせいか、
この曲を聴く時が多いのである。

http://www.youtube.com/watch?v=BSv3iApK3DQ
☆EDWARD ELGAR: Salut d'Amour☆

http://www.youtube.com/watch?v=Ch8WwEAV3aI&feature=related
☆ELGAR - "Salut d'Amour"☆ ヴァイオリン

同じ曲があるが、演奏に関してはその日の思いで、聴いている。


そして、恥ずかしいことを告白すれば、
私はレコード会社の情報畑、管理畑を長らく勤めた身であったが、
現役時代は無知であったが、定年後にブログの世界を知り、
まもなく30歳前後の女性から教示された珠玉曲がある。
アルビノーニの『アダージョ』である。

私は現役時代はクラシックに関しては、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、
そしてベートーヴェンのピアノソナタの『悲愴』、『月光』、『熱情』が好きであり、
何百回を聴いたりしていた。

定年後はアルビノーニの『アダージョ』が加わっている。
私はこの曲を聴くたびに、
まぎれない美に触れ、作曲家の想いに深く立ち入れる時もある。

そして私のその時の心に動きにより、美はするりと逃げ去られたり、
ただのはかなさしか享受出来ないこともある。

この曲は確かな美の結晶であるが、
私のその時の心境により移ろう不思議な力が存在する。

美はこのように魔力を秘めている。

このようにアルビノーニの『アダージョ』に魅了され、
私は何百回も愛聴し、私が死去した時のセレモニーの時は、
この曲も加えてほしい、と家内に云ったりしている。

http://www.youtube.com/watch?v=u7G7QvydK4A&feature=related
☆ アルビノーニ  アダージョ ト短調   情景は箱根美術館 ☆

このように私は深く信愛してきたのであるが、音楽の基礎知識に乏しい私は、
先ほど、フリー百科事典として名高い【ウィキペディア】の解説をこっそりと読んで、
動顚させられたのである・・。

《・・
   アルビノーニのアダージョ  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アダージョ ト短調は、レモ・ジャゾットが作曲し、1958年に初めて出版した作品で、
弦楽合奏とオルガンのための楽曲。
弦楽合奏のみでも演奏される。

この作品は、トマゾ・アルビノーニの『ソナタ ト短調』の断片に基づく編曲と推測され、
その断片は第二次世界大戦中の連合軍によるドレスデン空襲の後で、
旧ザクセン国立図書館の廃墟から発見されたと伝えられてきた。

作品は常に「アルビノーニのアダージョ」や「アルビノーニ作曲のト短調のアダージョ、ジャゾット編曲」などと呼ばれてきた。
しかしこの作品はジャゾット独自の作品であり、原作となるアルビノーニの素材はまったく含まれていなかった。

雄渾多感な旋律と陰翳に富んだ和声法ゆえの親しみやすい印象から広まり、
クラシック音楽の入門としてだけでなく、
ポピュラー音楽に転用されたり、BGMや映像作品の伴奏音楽として利用されたりした。

日本や欧米で葬儀のとき最も使われている曲の一つである。
(略)
・・》

このように解説されて、私のクラシックの無知をさらけだし、
その上、《日本や欧米で葬儀のとき最も使われている曲の一つである。》と明記されて、
知らなかったょ、と私は赤面したりしている。


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『女正月』は、『昭和妻』と共に、この世から消え去り、と私は涙を浮かべながら・・。

2011-01-16 14:16:52 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日、家内と買物に出掛けた時、
私の甥っ子である長兄の子供ふたりの中の一番目の子に逢った・・。

長兄の子供といっても、40歳少し前となり、若き奥様を連れ立っていた・・。

『女正月の日だから・・たまには・・のんびりとお2人で』
と私はふたりに云ったりした。

『叔父様・・女正月は昭和妻の名残りだわ・・
叔父様たちには悪いけれど・・当世では昭和妻は死語なの・・』
と甥の若き奥様は、微苦笑しながら私達夫婦に云ったりした。

この後まもなくして、私達は別れたが、
甥夫婦の後ろ姿を眺めながら、確かに甥夫婦にしても、
妹の子供ふたりも30代で夫婦共稼ぎをしながら、仲良く堅実に生活している状況に、
私は思いを馳せたりした・・。


私は昨日、このサイトに於いて、
【 『小正月(こしょうがつ)』、或いは『女正月』を迎えた時節となり・・。】
と題して、投稿をしていた。

【・・
今朝、カレンダーを見たりすると、『小正月』と朱記されていたので、
私は微笑んだりしたのである。

新たな年を迎えた正月をご家族一同で過ごされ、4日頃から『仕事始め』をされたりし、
7日の朝食の代わりに『七草がゆ』を頂き、お子様も三学期の『始業式』となる。

そして成人を迎えた子供がいれば10日に『成人式』を迎えたり、
11日にはお供えの鏡餅を下ろし、『鏡開き』をして、小豆(あずき)がゆを食べたり、
何かと、ほっと家族でされるのが、一月の中旬のこの頃である。

特に一家を守るご婦人たちは、昨年の暮れにお歳暮を済ませた後、
大掃除、年末年始の準備をしたり、御節料理のこともあり、そして初詣もあり、
平素より慌ただしい日々を過ごしてきたので、やっとゆっくり過ごされていると思われる。

古来より日本の多くの人たちは、このように過ごされ、
特にご婦人たちがゆっくりとした気持ちになれるので、小正月は『女正月』とも称せられると思ったりしている。

ここ10数年は政治の混迷、経済の悪化、社会は劣化している昨今、
実質ご家族でゆっくりできるのは、
本日の15日、そして明日の16日かしら、と無力な高齢者の2年生の私は感じたりしている・・。
・・】

このようなことを綴ったりしていたが、当世の社会状況を冷静に眺めると、
甥夫婦に指摘された通り、確かに『女正月』と共に『昭和妻』は、圧倒的にこの世から消え去った、
と思ったりした。


私は1944(昭和19)年の秋に生を受けて、
東京オリンピックが開催されて1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、敗退し、
ある民間会社に中途入社したのは、1970(昭和45)年の春であった。

職場で共にしたのは、新卒の団塊の世代であり、妹のふたり、そして家内もこの世代の人である。

そして私達の先輩たちは、1960(昭和35)年の前後から、日本の高度成長と共に、
猛烈に社内で働いて、一家の収入の責務を負い、
奥様は専業主婦となり、子供の育児などを含めて、家庭内の専守防衛に徹して、主人の後方支援となっていた。

このような先輩たちを学びながら、私達の世代、そして団塊の世代も邁進した。
一家の主(あるじ)が懸命に働ければ、年収は確実に上昇し、
専守防衛の専業主婦に渡すことができ、喜びを共にできた時代であり、
確かに明日に希望を託すことの出来た・・。

こうした中で、ささやかながら、テレビ、自動車、クラーなどを少しつづ購入しながら、
住宅を一生の高い買物と思いながら、ローン返済に奮闘したり、
子供の教育にも自分たちの夫婦より、少しでも高いレベルと思いながら、捻出して、
家族それぞれが悦びを共にできた時代であった。


バブルがはじけ、ベルリンの壁が消えると、
世界は社会共産経済も消滅し、世界の主要国は自由経済となり、
日本は東ヨーロッバ、アジアの諸国などの経済競争力に巻き込まれて、経済は低下した。

具体的には、日本は、1991(平成3)年にバブル経済の崩壊後は、
日本経済の足かせになってきた企業の《雇用・設備・債務》の過剰問題は、
民間会社は自助努力に基づいて、過酷な程、事業の再編、人員削減を行なってきた。

私は中小業の民間会社に勤めた身であったので、
まともに大波を受けたりし、多くの先輩、同僚たちと別れ、
そして残された私たちは困苦の時期を過ごした体験もある。

そして数多くの民間会社のサラリーマンはもとより、多くの国民が困窮した時期を送られた、
と私は確信する。


昨今、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化している中、
たえず成果を問われる勤務となり、たとえ大企業の正社員であっても、安住できない時代となり、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、このように過酷な状況の中で奮戦している。

もとより私達が30、40代まで、家庭として享受できた昭和妻と称せられた専業主婦の家庭も激減し、
数多くの家庭も共稼ぎ時代となったのは、まぎれなく10数年の実態となっている・・。

このように無力な年金生活の私は、時代に翻弄され、明日に希望を託せない閉塞の現世に、
ときおり思い馳せたりすると、涙を浮かべたりしている。


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高齢者2年生の私、『携帯電話』と云われても、遠い世界のような出来事と思いながら・・。

2011-01-16 09:41:03 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者2年生の66歳の身であり、
2004(平成16)年の秋に民間会社を定年退職した身であるが、
恥ずかしながら携帯電話が使えないので、この広い世の中で保有していない稀(まれ)な国民である。

まして昨今、携帯電話はスマートフォン、パソコンはスマートパッドの時代になります、
と何かの雑誌で読んだりすると、遥か遠い世界のような出来事と思ったりしている・・。

一昨日、駅前の商店街に家内から依頼された買物を済ませ、
歩いていた時、『携帯電話』の販売店の看板が見えたので、立ち止まったのである。

いずれ私は体力も更に衰え、携帯電話の初級編のような若葉マークの機能のある音声、
そして自分の位置が解かる機能が必要となる、と思ったりしていたのである。

或いは私はディスクトップのパソコンで、殆ど毎日ネットのニュース、ブログの投稿文を送受信しているが、
国内旅行の一週間以上の旅の時、
現在は所有していないが、持参したノートバソコンで、旅先から簡単にデーター送受信ができないかしら、
と秘かな野望を思案していたのである。

このような思いが昨今の私の心の片隅にあったので、ご教示を願いたい、と入店したのである。


うら若き女性の販売員の方がたったひとり店内に、
顔のメイク、ヘヤー・スタイル、容姿、爪のメイク・・など、
若き女性の向けのファション誌の表紙で見たような方で、
そして香水の匂いを感じ、私は驚いたのである・・。

この商店街の近くには都立の高校、音楽専門学校、そして女子大学もあるので、
こうした携帯電話の購買層を配慮して、あこがれの素敵なお姉さん・・
ファション・モデルのような方であった。

私は上(うわ)ずった声で、
『携帯電話を使ったことのない身ですが、
電話連絡で出来て、外出して迷子にならないように自分の位置を自宅に解かるような機能・・
携帯電話はありますか・・』
と私は余りにもお洒落な若き販売員の方に切り出した。

この若き販売員の方は、最初は驚いた表情をしていたが、
私の要望を的確に判断して、
NTTドコモの携帯電話のカタログの中から、提示してくれた。

そして、FOMAデータ通信のカタログで説明を受けたりした。

私は自身が使用すると思われる時間などを説明すると、
余りにも携帯電話の使用料金、そしてデータ通信の使用料金が廉いので、
確かに私は世間から取り残されている、と実感させられたのである・・。


私は1969(昭和44)年に、コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ時、
汎用のコンピュータの端末機に向かい、JIS認定のキー・ボードで、
作成したプログラムを入力したりしていたのである。

その後、民間会社に中途入社して、情報畑で20数年ばかり奮闘し、
その後は管理畑に移動し、パソコンも使用していたので、入力はJIS認定のキー・ボードで、
定年退職後もバソコンを愛用しているので、40年となっている。


この間、確か退職する10年前の頃の1994(平成6)年の頃は、
私はあるレコード会社の管理畑に勤めていたが、
この当時は職場の机上には、ひとり一台のプシュホンの電話があり、
各部署の数台のパソコンで電子メール、
或いは表計算のソフトを使用して管理表を作成していた。

そして一部の営業部隊、外部と頻繁に交渉する人だけが、携帯電話を職務として利用していた。

思い浮かべれば、携帯電話の着信音がベルのように鳴り、
電話連絡があると気付き、携帯電話を取り上げて、職場の片隅、通路などで会話していた。

この後は、若者を中心に着信音に好みの音楽が設定できる着信メロディとなり、
若者を中心に急速に普及していた。


私は1999(平成11)年の初春に、レコード業界の各社リストラ旋風の中、
出向となり、ある物流情報会社に定年退職まで勤めた。

この中のひとつの職場は、音楽のCD、DVDなど商品を管理する商品センターであり、
CD、DVD販売店からの日々の受注により、出荷したり、或いは返品を受けたり、
製造会社より入荷したりする処であった。
もとより音楽商品は、それぞれ一枚一枚が激変し、多品種であり、曜日、季節の変動も加わり、
現場は多忙であった。

私はこうした商品センターに、センター長はじめ正社員4名と共に、
男性の20代の契約社員10名、パートの女性120名前後の中で、奮闘したりしていた。

こうした職場であったので、私は携帯電話が職務上で必要でなかったので、
世の中は誰しもが携帯電話を保有するようになった時代でも、
私は携帯電話を覚えることなく、パソコンで電子メールを大いに活用していた。


私達夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
こうして定年退職後、携帯電話に興味もなかったので、もとより教えてもらう機会もなく、
結果としては私達夫婦は携帯電話の使い方が解からないので、保有していない・・。


最も私達夫婦は、携帯電話がなくとも、これといって不便と思ったのは数回限りである。

2004(平成16)年の秋、家内の父が亡くなる1カ月前頃から、
家内の母と家内は、交代で入院先で看護をしていたが、
連絡確認が遅れた時であったりした。

この後、3年過ぎた頃の2007(平成19)年に、
これといって不便を感じていないが、
ある程度の老後になると、やはり必要なのかしら、と私共は話し合ったりしている。

この当時、読売新聞の日曜版に於いて、【Y&Y 旬】の記事で、
【持たせて安心 わが子の安全】
という特集記事があり、読んだりしたからである。

無断であるが、記事を引用させて頂く。

《・・
子供が被害者になる犯罪や事故が後を絶たない。
この為、子供に持たせる防犯グッズへの関心も益々高まっている。

・・子供の現在地を把握するために、
GPS(全地球測位システム)を活用した商品も増えている。

KDDI(au)は、『ジュニア携帯』を3月中旬頃に発売する。
電源が切れたり防犯ブザーが作動したりすると、
自動的にカメラでその場の様子を撮影してメール送信し、
GPSで把握した位置情報をその後の足取りを1分ごとに保護者等に通知する機能が付いている。
価格は、1万円前後。
・・》

このような記事であったので、私の10年後は体力は衰えるので、
このような携帯電話をたえず外出の時は持ち歩くのが想像できる、と思ったりしたのである。


私ひとりで駅前まで散策し、本屋に寄ったりした後、
コーヒーショップの『ドトール』で購入した本を煙草を喫いながら読んだりしている。

或いは都立の大きな植物公園に散策に行ったりした時、
隣接した寺の近くの蕎麦屋で食事をしたりする。
笊蕎麦(ざるそば)を頂く前に、お酒を注文する・・。

店員さんが50代前後の女性で私が魅了された時、
『お姉さん・・お代わりね・・』
と私は壱合の徳利を指すと思ったりしている。

このような情景が家内が自宅のパソコンで見て折、
『早く・・家に戻ったら・・』
と家内の声が聴こえたりする。

このような事を10年後の私を想像していたが、
昨今このような事を現に私は行っているので、
さて全ての私の出来事が逐次撮影されたことを思えば、何かしら私は笑ったりしている。


この後、これまでの間は、これといって携帯電話がなくとも不便とも余り感じたことがなく、
電子メールは家でパソコンに向かって、JISのキーボートで綴り、
発信すれば良いと思ったりしている。

私は頑固な性格か、
携帯電話でどうでもいいようなおしゃべりする暇があったら、
言葉、心の勉強として本の1冊でも読みなさいと思っているのが昨今である。


このように感じたりしていたが、私はボケないうちに携帯電話の初級編を覚え、
現世に於いては携電話は必要品だよねぇ、と微苦笑したりしている・・。


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