夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

佐藤優(さとう・まさる)氏の作品、遅ればせながら読みはじめて・・。

2011-01-02 21:14:28 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
冬晴れの中、10時過ぎに近くの神社、寺院を参拝した後、
川沿いの遊歩道を30分ばかり歩いて、本屋に寄り、
佐藤優・著の『国家の罠 ~外務省のラスプーチンと呼ばれて~』(新潮文庫)を探し買い求めたのである。

一昨日の大晦日、月刊総合雑誌の『文藝春秋』(2011年新年特別号)の読み残したひとつの記事を
読んだりした。
作家・佐藤優の『困難な時こそ読む「聖書」の言葉10』の寄稿文を読んだのであるが、
何かしらキリスト教徒の「聖書」のことらしく、私の実家は仏教の曹洞宗であるが、
私は宗教に関心がなく、避けていたのひとつの記事であった。

私は作家・佐藤優氏に関しては、月刊総合雑誌の『文藝春秋』、『中央公論』などの寄稿文を読む程度で、
単行本、文庫新書、文庫本などで氏の単独の本で、作品を読んだことはなかった。


たまたま今回、『文藝春秋』(2011年新年特別号)の『困難な時こそ読む「聖書」の言葉10』を読んだのであるが、
この中の一節に、私は心を動かされたのである・・。

《・・
2002年に私は東京地方検察庁特別捜査部に逮捕された。
私は、感情的になって判断を誤ることがないようにするために、
聖書のこの言葉をいつも思い浮かべながら特捜検察に対峙した。

その結果、「国策捜査」の論理が見えてきたので、
それを『国家の罠 ~外務省のラスプーチンと呼ばれて~』(新潮文庫)にまとめた。

この作品が世に出ければ、私が職業作家になることもなかった。

もし私が「敵を愛し、自分を追害する者のために祈りなさい」
というイエスの言葉を知らなかったならば、
私は職業作家として第二の人生を歩むこともなかったであろう。
・・》
(引用・386ページ)
注)原文にあえて改行を多くした。

私はこの一節を読んだ後、圧倒的な感動につつまれ、感銘を受けたのである。
この一節に導かれて、この作家・佐藤優氏の作品を読みはじめようと決意させられた。


誰しも作家の作品、シンガー・ソングライターの歌などで、偶然に接して、
突然に心がざわめき魅了され、無我夢中になることがある。

私は1964(昭和39)年の秋、東京オリンピックが開催された時、
映画・文学青年の真似事をしたく、大学を中退した・・。

文学作品については数多くの作家から影響を受けたので、
作品の出会いは省略するが、他分野でも偶然に知り、圧倒的な感動させられた方もいる。

たとえば創作家の倉本聰(くらもと・そう)氏に関しては、
1975(昭和50)年にシナリオ専門誌「シナリオ」であった。
映画の脚本家・橋本忍(はしもと・しのぶ)氏の『砂の器』のシナリオが読みたくて、
本屋で雑誌の『シナリオ』(シナリオ作家協会)の1月号を買い求めた。

その中に、東芝日曜劇場の『りんりんと』のシナリオがあった。
なんてシリアスなドラマを書く人、と倉本聰氏の作品に初めて知り、印象が残った。
その後に、夢中に過去の作品を読んだり、観たりしたひとりである。


或いはシンガーソングライターの中島みゆき女史に関しては、
遅ればせながら『昭和』から『平成』に変る少し前に、
偶然にカセットテープを聴いて、中島みゆき女史を知ったのである。
このカセットは、私の勤務するあるレコード会社から発売されていたので、
たまたま残っていた試聴用テープを頂いた。

私なりに尊敬しているテレビの脚本家として名高い倉本聰(くらもと・そう)氏が、
初めて映画監督された『時計』のオリジナル・サウンドトラックであり、
各レコード会社が契約している有力な歌手の曲が収録されていたが、
たまたま金子由香利さんの『時は過ぎてゆく』が最初と最後に編成されていた為か、
私の勤めていた会社が発売となった。

このカセットテープの中の一曲に中島みゆき女史の『エレーン』があり、
この『エレーン』に私の魂まで揺さぶられ、少なくとも5年間ぐらい物狂いのように熱愛した。

多くの方が魅了されたアーティストに対し、
初期作品から聴いてみたいと思うように、私の場合も同様だった。

最初のアルバムの『私の声が聴こえますか』から『回帰熱』までのアルバムは、
私は短期間の間で購入し、
多岐にわたる分野を書き分ける才能の豊かさには、圧倒された。
そして中島みゆき女史の綴られた随筆された本も愛読したり、
他の方が中島みゆき女史に関しての評論された本も当然のことながら購入した。
そして、歌詞集も三冊ばかり熱読したり、コンサートは恥ずかしながら一回限りであるが、『夜会 第2回』を観たりしていた。


このように情報過多の現在でも、偶然に読んだりして、
圧倒的な感動を受け、その方の過去、最新作でも読みたいと、
ここ数日に思わされた人は、作家・佐藤優氏の作品である。


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お雑煮(ぞうに)、齢ばかり重ねた私は、恥ずかしながら学び・・。

2011-01-02 05:29:47 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
昨日の元旦の朝は、お屠蘇〔とそ〕の苦手な私は、純米酒の冷酒を呑みながら、お雑煮を頂いた。
このようなことは、家内と結婚して35年ばかり続いている。

私は1944(昭和19)年に東京郊外の農家の三男坊として生を受け、
幼年期まで農家の児であったが、少なくとも三が日の朝は、お雑煮を頂いてきた。

そして私は恥ずかしながら、お雑煮の由来なども知らず、今日に至っている。
お餅にダイコン、ニンジン、ネギ、里芋などの農作物に、鶏肉を加えた醤油味で、
美味なのに、どうしてお雑煮などと可哀想な命名をしたの、と思ったりしたのである。


先ほど、ぼんやりと遅ればせながら、こっそりとネットで検索したのである。
私が日本の文化、行事などに関してのネットの世界の教授は、
定年後に初めてめぐり逢い、何よりも親愛を深めているのは、【日本文化いろは事典】サイトである。

そして、私は読みながら、そうでしたの、と赤面しながら学んだりしたのである。

http://iroha-japan.net/iroha/B02_food/25_ozoni.html
☆ 【日本文化いろは事典】「お雑煮」☆

正直に告白すれば、
《・・
「雑煮」の語源は「煮雑〔にまぜ〕」で、いろいろな具材を煮合わせたことからきています。
・・》
このようなことである。

年始早々恥ずかしいことであるが、齢ばかり重ねた身であると、反省ばかりしている。


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