夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

初冬のまほろばの旅路、私は愛惜を秘めながら思い馳せれば・・。 【上】

2011-01-14 21:53:49 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身の私であるが、
私達夫婦は子供に恵まれず、築後34年の古惚けた一軒屋に住んでいる。
住宅街のはずれで、小庭は雑木が圧倒的に多く、草花は和花が多くなっている・・。

そして私達夫婦は、お互いの趣味を尊重していが、共通の趣味のひとつは国内旅行であり、
ときおり出かけたりしている。

平素の日常生活で家内は旅番組を視聴することもあり、
あの時の旅先も、と私達が訪れた地域を思いを私に話しかけたりする時もある。

過日、朝のNHKのニュースの後、青森県の『新青森駅』、周辺の情景、
八甲田連峰の『酸ヶ湯温泉』の最寄が積雪3メートルとなりました、と報じられ、
私達は懐かしげに、30分ばかり話したりした。

この後、たまたま私達は12月中旬過ぎに、青森県の一部を訪れたので、
私はぼんやりと、【 美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。【2010.12.14.~12.22.】】と題して、
このサイトに投稿した文を読み返したりした・・。



          序  章

過日の13日、このサイトに於いて、
【 青森地域の冬の旅、過ぎし若葉の頃に初めて訪れた各地の情景に心を重ねて・・。】
と題して、明記した通り、
12月14日より、青森県の十和田湖の山奥にある蔦(つた)温泉に4泊、青森市内に1泊、
そして日本海の黄金崎の不老ふ死温泉に3泊し、8泊9日で訪れてきた・・。

たまたま今年の5月24日より6月2日にこの地域を周遊し、
このサイトに【 若葉の彩(いろど)る頃の青森紀行・・。【2010.5.24.~6.2.】】と題して、
投稿しているが、この旅の終る頃に、
雪の舞い降る頃に再び訪れようと、私達夫婦は話し合ってきた・・。

今回の旅は、この中の一部を再訪したので、季節こそは違うが、文字通り再訪記でもある。

尚、このタイトル【美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。】は、
青森観光交流センター等が、12月4日より、東北新幹線全線開通・新青森駅開業に伴い、
キャンペーンのひとつとして、
《うまし、うつくし、北のまほろば。》と命名されたフレーズの言葉を、
お借りしたことを付記する。


                                  
         第1章 北のまほろばの往路は

12月14日
東京駅を8時28分に予定通りに発車した『はやて 17号』に乗車した私達夫婦は、
私はいつものようにJR東日本が発行する車内月刊誌の『トランヴェール』を読み始めた。

作家・伊集院静(いじゅういん・しずか)氏の定期連載『車窓に謡れる記憶』を愛読しているひとりであり、
今月の12月号は『ストーブ列車』と題して綴られていた。

そして、12月4日より、東北新幹線全線開通・新青森駅開業に伴い、
青森県の特集が掲載されていた。

私はこの特集記事のひとつの『あったか青森、温もりの食』と命名された郷土料理に関して、
多々教示されながら精読した・・。

《・・
南部地方 雑穀・粉食の文化
     代表的な温もり料理として、『せんべい汁』

下北半島 海の幸、粉食とジャガイモの団子
     代表的な温もり料理として、『ひっつみ』

津軽地方 平野部の米食、西海岸の海の幸
     代表的な温もり料理として、『けの汁』

陸奥湾 青森の冬を代表するタラ料理
     代表的な温もり料理として、『じゃっぱ汁』

・・》

このように青森県の代表的な分布で、それぞれの地域で古来より伝わり、
愛食したきた人に思いを重ねながら、私は享受されたのである・・。


この後、定期連載の『湯守のいる湯』として、
たまたま私達夫婦が再訪る蔦(つた)温泉が掲載されて折、
私は読んだ後、家内にこの記事について伝え、
偶然ながら今宵から4連泊する『蔦温泉旅館』に微笑みながら、話し合ったりした。

この後、新青森駅に11時56分に『はやて 17号』は到着し、
私達は『蔦温泉旅館』に向う為に、冬晴れの中、路線バスの十和田湖行きのバスに乗車した。

市内の情景は、数日前に雪が降られたらしく道路の路肩に除雪された雪があり、
のどかな感じであり、やがて八甲田山の連峰の付近の道路に入ると、
除雪された後の白い道、路肩には70センチぐらいの除雪された雪、左右の樹木の枝には雪が残っていた。

八甲田山のロープウェイの入り口で、路線バスは冬季運行の時間調整で、
30分ほどの休憩時間となり、私達はロープウェイの入り口にある常設されている案内のスタッフの方たちに、
私達は冬の奥入瀬渓流を散策する予定であったので、
昨今の状況、注意点どを丁重に教えて頂いたりした。

そして、私達の乗車したバスは、午後3時半過ぎに、
少しばかり滞在する『蔦温泉旅館』が観え、まぎれなく雪囲いの正面玄関となっていた。



          第2章 蔦温泉旅館の初冬の情景は

私達夫婦は、今年の5月31日より二連泊した時、
【・・
この後、館内を歩くたびに、私は驚かれされた。
この本館は天井、柱は周辺の森から切り出された材木がふんだんに取り入れ、
エンジュの長押、トチの樹のコブを生かした装飾の数々・・
一部は築後100年近いもあり、書院造りの床の間も豪壮で、
そして別館へのは本館から60段の優美な存在感のある階段は圧巻であった。

私達の宿泊した部屋は、20数年前の建てられた西館で近代的な造りであったが、
窓辺からのブナの森が隣接していたので、
早朝、朝、昼下がり、夕暮れの陽射しのうつろいが、樹木の枝葉を照らす輝き、
見飽きることのない光景であった。
そして、夜には満天の星空が観られた、格別に景観の良く、
私達は幾度も、その時々に見惚(みと)れたりしたのである。

私は浴室に行った時、仰天させられた。
2泊している間、男女別の『泉響の湯』、そして男女交代制の『久安の湯』に、
何度も通った・・。
しかし最初に入った時、観光ホテルなどにある洗い場の湯の蛇口、シャワーもなく、
私はどうして、と驚ろいた。
そしてボデー・ソープのみがあり、困ったなあ、というのが本音であった。

やむえず私は、掛け湯の90センチ正方形の湯船から湯桶で幾度もかけ、
ボデー・ソープをタオルにたらして、身体にこすった後、
掛け湯から湯桶で幾度もかけたり、
髪毛にボデー・ソープをたらして、髪の毛をこすり、
そして身も心も清めようと掛け湯から湯桶で幾度もかけたりしたのであった。
部屋に戻った後、ヘアー・シャンプが備品としてあったので、
私は苦笑した。


肝要の湯舟であるが、ホームページにある言葉をお借りすれば、
《・・
蔦温泉のお風呂はいずれも源泉の上に浴槽があり、
ぶなを使用した湯船の底板から湧き出す、
手が加えられていない「生の湯」をお楽しみいただけます。

「湯がこなれている」「こなれていない」という表現をしますが、
湯が空気に触れた度合いを言葉で表現したものです。
こなれていない温泉は刺激があり最初熱く感じます。

蔦温泉の「生の湯」というのも「こなれていない」湯のことであり、
当然最初は熱く感じます。
しかし二度三度と入るにつれ、やさしい湯であることが実感できるはずです。
・・》

このように解説されているが
湯船の底板はブナの感触を楽しみ、鈍(にぶ)児の私は最初からやさしい湯と感じ、
ヒバ材をふんだんに使用され、天井も遥か三階のような高さを見上げたり、
10分ぐらい浸かっていると、身も心も温まる湯であった。

夕食は苦手な部屋食であったが、
山菜のタラの芽、山ウド、ゼンマイ、ワラビ、フキノトウなど、
素材を生かし、創意工夫のある料理である。
そして朝食も含め、何気ない素材でも、料理された方の良心が感じられる数々で、
都心の少しばかり高級な食事処より遥かに素朴で上品な味であった。


この旅館は、建物の背景にブナ林があり、
遊歩道も整備され、身近にブナ林を散策でき、芽吹き、新緑、若葉の春の情景、
夏はたわわな葉で涼しく、
錦繍の時節には、黄色、朱色などに染まり、そして落葉、
そして落葉樹は舞い降る雪となり、静寂な冬眠のような情景、
いずれの季節も、多くの方たちに魅了させる稀な立地かしら、
と私なりに思ったりしている。
そして数多くある観光ホテルより、館内の建物、人も、
素朴さと品格のある圧倒的な存在さである。
・・】

このように私は好感し、
ときおり旅先で辛らつな言葉を発言する家内さえ魅了された蔦温泉旅館であったので、
今回の再訪となり、前回に宿泊した部屋を指定して、4連泊としたのである。

正面玄関に隣接しているロビーというより談話室の感で、
トチの樹のコブを生かした板張りで、薪(まき)ストーブ、石油ストーブが暖となっていた。
薪(まき)ストーブは、薪が燃え、はじける音が静かな室内に響き、
私は滞在中に幾たびか談話室に訪れ、この薪が燃えながら、時折はじける音が魅了されていた・・。

壁面にひとつの絵が掛けられて折、
山里のゆるやか斜面には残り雪があり、数多くの落葉樹の根元周囲だけは雪が解けて、
芽吹きからたわわな幼い葉が見られ、
遠方の頂上の付近には常緑樹の中、落葉樹が赤めの芽吹きが観られて春紅葉の情景となり、
私は幾度も眺めたりしていると、
秘かな『春待ちわびる晩冬の山里の雪解け』と命名していた。

窓辺は木枠のガラス戸、厚手のビニール越しに15センチぐらいの細い丸太が、
幾重にも縦横と縄で縛った雪囲いが、地上から二階の棟まで傾斜して建てられていた。

私はこの雪囲いの丸太に、雪が積もったり、その下に氷柱(つらら)が競うように並び、
柔らかな陽射しを受けると、やがて激しい音と共に地表に落下した。

そして、厚手のビニールは、暖房もさることながらも、木枠のガラス戸を保護することも、
学びながら、私は見惚(みと)れたりしていた。



          第3章  初冬のブナ林の情景は

私達夫婦は、今年の5月31日より『蔦温泉旅館』二連泊した時、
この旅館の裏側にある広大なブナ林に魅了された。

この時の思いは、下記のように投稿していた・・。
【・・
『蔦温泉旅館』ホームページの『ぶなの森』の欄で掲載されている通り、
《・・
蔦温泉の周辺にはぶなの森を縫うように約2.4Km、
時間にして約一時間程の遊歩道が整備されています。

この遊歩道をひとまわりすると、蔦七沼と称される湖沼群の内、六つの沼を巡るこ
とができます。
大小様々な沼の水面に映るぶなの森が人々を魅了します。
・・》
このように解説され、私達は旅立つ前に調べたりしていたので、
チエック・イン前に歩き出した・・。

整備された遊歩道を歩き、ヤチダモ、オニグルミ、サワグルミを見たり、
ブナ、ミズナラの大木は、聳え立つように数多くあり、
私は圧倒された。

私は見惚(みと)れたり、デジカメで10数枚を撮ったりしていると、
たまたま通りがけの70代なかばの男性で、この付近にお住まいの方から、教えて頂いた・・。

ほんの一ヶ月前の頃は、落葉していた広葉樹が冬芽から春芽に育ち、
若葉が芽吹く直前に、
紅葉や萌黄色になる数週間の樹木の芽は鮮やかに萌える彩りとなる。
こうした光景を古来の人たちから、春もみじ、と称してきた。

この地のブナ林は、5月初めに芽吹き、そして萌黄色の葉、そして新緑となり、
下旬の頃には若葉とまたたくまに色合い染める。

このブナ林は、原生林だったが、
明治の初期の頃は薪や木炭を作る為に伐採されたりしたが、
秋に数多くの落ちた種子が自然に発芽して育ったブナで、樹齢100年前後が多い。
しかし中には、伐採されなかった数百年の大木も数多くある。

そして紅葉の10月中旬から下旬になれば、
ブナ、カツラ、トチノキの大木は、黄色に染めはじめて、
やがて葉が散る頃に、
ヤマモミジ、カエデ、ナナカマドが朱紅色、紅色に染められて、
数週間後には雪が舞い降る、
と錦繍期の情景も教示してくれた。

このような確かな言葉に、私は礼を重ねた後、別れた。


私達はブナ、トチノキ、カツラなど見たり、見上げたりしていると、
カエルの鳴き声と共に、蝉(セミ)の鳴き声が響いてきたので、
この時期にどうしてなの、と驚いたのである。
この後、温泉旅館で夕食を頂く前に、
エゾハルゼミですわ、と仲居さんから教えられた。
私は、蝦夷・・春・・蝉・・、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

この豊かなブナ林で、渓流もあり、
私はムラサキ・ヤシオ・ツツジにも魅了された。
紫色に濃い桃色、或いは桃色に紫色を混ぜ合わせた色合いで、
渓流の中にある小岩に根を下ろして、恥ずかしげに咲いていた。
こうした情景を眺め、しばらく私はたたずんだりした。

私達はゆったりとブナ林をさまように2時間ばかり歩き、
お互いに至福の思いで、温泉旅館に向った。
・・】

今回、再訪するブナ林は、雪の降りはじめた12月の機会に、
森閑する中を散策したい、という願いも私達夫婦にあった・・。

到着した翌日の午前10時前、私達は防寒服、防寒登山靴、そして防寒帽子で身を固めて、
旅館の横手にある遊歩道を歩きはじめた・・。

積雪は20センチ前後で、吹き溜まりは30センチぐらいで、
遊歩道であるがこの冬の時節には、もとより除雪はされていなく、
ブナ、ミズナラの大木が数多く聳(そび)える中を歩いた・

そしてヤダモチ、オニグルミ、サワグルミなどの枝、小枝にわずかに雪が積もって折、
ときおり微風が吹くと、小枝は揺れて、花吹雪のように雪が空中を舞うように、
ゆっくりと地上に散乱した。

この後、ふたたび森閑とした森に還り、静寂となった。

このような情景に見惚(みと)れながら、ときおり立ち止まりデジカメで撮ったりし、
雪を掻き分けるように蔦沼までの遊歩道らしき路を歩いた。

蔦沼は、氷結はしていなかったが、森厳の中、静寂であった。

帰路も雪と戯れるように、ゆっくりと歩いたりしていたので、
2時間ばかり過ごした後、手先に寒さを感じ、遊歩道の入り口にあるビジターセンターに戻ったりした。



            第4章 雪見酒の最適な場所は

雪のブナ林で2時間ばかり散策したり、戯(たわむ)れた私達は、
蔦温泉旅館のある入り口の道沿いに一軒の売店があり、
『熱いコーヒーでも飲みたいわ・・』
と家内が私に云ったので、私達はこの売店に入った・・。

5月の月末に初めて訪れた時、山菜をはじめ、昔にあったお菓子などある店で、
ご高齢のご夫婦だけで賄(まかな)って折、家内は帰路の時も買い求めた店で、特に塩トマトの甘納豆風に好感していた。

私達は店内の片方が食堂風のテーブルがあり、蕎麦とか饂飩(うどん)も食べることができ、
石油ストーブが店内を暖かくしていた。

家内は石油ストーブは苦手であったが、この石油ストーブは特有の匂いがなく、火力も強く、
私達は秘かに誉めたりした。

家内がコーヒーを注文している間、
私は店内の片隅に日本酒のコーナーがあり、ひとつの小瓶に思わず見惚れた・・。
『乾坤乃一滴(けんこんのいってき)』と命名された300mlの小瓶であり、
私は思わず手に取り、
《芳醇な香りとすっきりした味わいの辛口タイプ》と付記されていた。


蔦温泉旅館の広い前庭に雪が舞い降るのを眺めながら、
家内はコーヒーと昔風のお菓子、
私は命名された『乾坤乃一滴』に魅了されて、昼食の代りに呑みはじめたのである・・。
そして、店内にある山菜の根曲がり竹のたまり醤油風などを食べながら、
雪見酒となったのである。

もとより雪見酒は、昼下り、夕暮れ時に呑むのが最適であるが、
昼食の12時半過ぎも悪くない、と思いながらお代わりをしたりした。

家内もコーヒーをお代わりしたり、山菜の数品を買い求めたりした。


翌日、午前中に奥入瀬渓流めぐりをした後、
この売店の食堂のようなテーブルで、雪舞い降る前庭の情景を観ながら、私は2本ばかり呑み、
家内もコーヒーをお代わりしたりした。

そして私達夫婦は、ご高齢の奥さんに好感し、この蔦を去る日、
バスに乗る前に私達はコーヒーを飲んだりした。
この後、バスに乗り込んだ私達は、ご高齢の奥さんが大きく手を振ったので、
私達も手を振りながら、別れを惜(ほし)んだりした・・。

                            (つづく)             

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遥か遠い昔の60年前の頃、早春の時節に若菜を摘(つ)みを思い馳せれば・・。

2011-01-14 18:02:29 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過日の6日、スーパーに買い物に私が行った時、
生鮮野菜売り場のひとつのコーナーを設けて、『春の七草』の可愛らしいパックがうず高く積み上げられていた。

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケグサ、スズナ、スズシロが詰め込まれている。
スズナは野菜のカブであり、スズシロはダイコンであることは多くのお方に知られている。

私はこの七草を見て、遠い日の幼年期の頃が想いだされた・・。


東京の郊外の農家の児として生を受け、1951(昭和26)年の小学1年生の頃は、
祖父、父が健在で、程々の広さの田畑を耕していた。

旧暦の1月7日は、今の暦では2月中旬頃であるので、
田んぼのあぜ道、畑の小道の外れに多彩な野草が数多くあった。

父の妹の叔母の2人は、結婚する前の時期であり、
ノビルやヨモギなどを取り、私達にも食べさせてくれた。

ノビルは今でいうとラツキョの小型の形をしており、
真っ白な小玉が先端にあり、
さっとお湯をとおした後、味噌に砂糖を加えた甘味噌を付けて口に含んだりした。

早春の頃は、カブ、ダイコン、ホウレンソウ、ネギ等の野菜の中、
子供心にもノビルは春の香りを感じたりしていた。

ノモギも叔母達が摘んで、撞(つ)きたての餅などに入れ、
私達も香りと歯ごたえを共にした。

ナズナはペンペングサと呼んでいたが、兎(ウサギ)を次兄が飼っていたので、
次兄は叔母に教えられて、餌として盛んに採っていた、と微かな記憶が残っている。

この他の七草は多分生えていたと思われるが、
幼年期であったので、無念ながら記憶が定かでない。


その後、私の住む地域では、1955(昭和30)年を過ぎた頃から、
田畑は消えうせ、急激に住宅地に変貌した。


私はあの時代に口にした早春の食べ物として、
主庭の一角にフキを植えている。
2月の初旬頃にフキノトウとして、頂いている。

私が現役のサラリーマン時代、激務の業務を終え、休みの昼下り庭に下り立つと、
フキノトウを見かけると、10幾つかは摘めるので、
家内に手渡したりした。

家内は水洗いをした後、フキノトウに味噌を少しつけ、
アルムホイルに包んで火であぶったりしていた。

私も台所の一角の簡易テーブルで、
弐合徳利とぐい呑みで待機していた。

そしてフキノトウの苦味、香り、歯ごたえを味わい、
ぬるめの辛口の純米酒を呑むと、春が来た、と実感させられたのである。
庭先を観れば、白梅は莟(つぼみ)か数輪の花が見られる時期である。


退職後の今は、原則として日中のお酒は自粛しているので、
夕食前に味わうが、特にフキノトウに関しては昼前、昼下りのひとときは、
味は倍増すると確信している。

待ち焦がれた早春、フキノトウを摘みながら、
今年も・・と冬の寒さを過ぎて、早春の中から、よくぞ芽を出してくれた感動をしてしまうのである・・。
こうした思いを共にしながら味合い、
実感もさることなから、遥か遠い昔の60年前の頃の情景に思いを重ねたりするので、
余情を増すのかしら、と呑兵衛のひとりの私は思ったりしている。


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健康の源(みなもと)は、程ほどの食べ物を頂き、薬などに頼らず、何よりも熟睡こそ肝要・・。

2011-01-14 07:39:16 | 時事【社会】
私は朝5時に目覚め、私は少しぼんやりとしていた。

私の住む東京郊外の調布市は、この時節の日の出は7時前の6時50分頃なので、
夜明け前の薄暗く、少し目覚めが早かったかしら、と微苦笑している。

私はサラリーマンを35年ばかり勤め定年退職後は、
起床は日の出前、とモットーとしてきたが、ときおり不規則になることもある・・。

私の主な原因は、随筆、ノンフェクションなどの本に夢中になって、
ときには深夜まで読んだりして、眠い朝を迎えたりすることもある。

こうした時、午前中に買物、散策をした後、
昼下りの2時過ぎに、和室の寝室の布団にもぐり、障子に陽射しを受ける中、
本を読みながら、一時間半ぐらい寝てしまうこともある。

そして目覚めると、この世で一番贅沢なことと思いながら、と甘受している。
しかし、こうしたことは年金生活の自在の身だからできることなのである。


私が若き日の23歳の頃は、映画・文学青年の真似事をしていた時、
アルバイトのように心情で、契約社員として警備員をしていた時もあり、
ある勤務地に派遣されて、2人で48時間の交代勤務をした体験がある。

たとえば私が朝の9時に出勤し、相手方と1時間ばかり互合確認した後、
相手方は退社し、私は警備室で朝の10時から翌日の朝の9時まで責務の時間となる。
この間、毎一時間ごとに10分前後で巡回をすれば、
残りの時間の警備室で自在の勤務帯となるので、文学修行の時間帯とした。

このような勤務をしていると明け方の3時頃が眠くなり、
少し10分ぐらいウトウトする程度で、日の出の前の夜明けを待ち焦がれたりした。

こうして勤務していると、何よりも困苦したのは、
相手方が冠婚葬祭で休暇となり、私は2日分の48時間を勤務し、
眠れない過酷な勤務となったことである。

この当時の中小業の警備会社は、大半の自由な時間なことがあるが、
このようなシフト勤務があったりし、身体が順応できず、私は10ヶ月ばかり勤めた後、
退社した。


この後、私は映画・文学青年の真似事を断念した後、
民間会社に中途入社して、正社員として奮闘していた。
情報畑でコンピュータを活用し、運営をしていた業務である。

数年ごとにシステムの改定をしたり、全面改定の開発業務になると、
徹夜勤務をして、30時間前後はたびたびしたが、
もとより確かな先の見える正社員であり、達成感の悦びが加わり、奮闘したりした。


昨今、この世は健康第一と、食べ物、薬などが大いにもてはやされている・・。
もとより超高齢化の社会なので、長寿の命題でこのような風潮となっているが、
ときおり私は苦笑する・・。

私は健康の源(みなもと)は、程ほどの食べ物を頂き、栄養補給剤の薬に頼らず、何よりも熟睡こそ肝要で、
そして生きがいのある言動をしていれば、
たとえ齢を重ね体力が衰えても、心身は溌溂(はつらつ)と確信している。

そして私は定年後、風邪ぎみの時は、病院などに行かず、
早めに布団にもぐり、本を読み、そして睡眠時間を多めにしている。
これは年金生活の自在の身だからできることなので、
この世で一番贅沢なことと確信しながら、と微苦笑しながら甘受している。

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留意事項)『人気ブログランキング』昨年の12月10日より、中断していたが昨夜の夜11時過ぎに再開した。

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