夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『小正月(こしょうがつ)』、或いは『女正月』を迎えた時節となり・・。

2011-01-15 11:11:27 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、カレンダーを見たりすると、『小正月』と朱記されていたので、
私は微笑んだりしたのである。

新たな年を迎えた正月をご家族一同で過ごされ、4日頃から『仕事始め』をされたりし、
7日の朝食の代わりに『七草がゆ』を頂き、お子様も三学期の『始業式』となる。

そして成人を迎えた子供がいれば10日に『成人式』を迎えたり、
11日にはお供えの鏡餅を下ろし、『鏡開き』をして、小豆(あずき)がゆを食べたり、
何かと、ほっと家族でされるのが、一月の中旬のこの頃である。

特に一家を守るご婦人たちは、昨年の暮れにお歳暮を済ませた後、
大掃除、年末年始の準備をしたり、御節料理のこともあり、そして初詣もあり、
平素より慌ただしい日々を過ごしてきたので、やっとゆっくり過ごされていると思われる。

古来より日本の多くの人たちは、このように過ごされ、
特にご婦人たちがゆっくりとした気持ちになれるので、小正月は『女正月』とも称せられると思ったりしている。

ここ10数年は政治の混迷、経済の悪化、社会は劣化している昨今、
実質ご家族でゆっくりできるのは、
本日の15日、そして明日の16日かしら、と無力な高齢者の2年生の私は感じたりしている・・。


この時節、正月に飾った門松やしめ飾りを、
神社や寺院の境内などに持ち寄って燃やす『左義長』となるが、
私の遠い昔には、『どんと焼き』と称して、
生家では、冬枯れの田畑の外れで、行ったりしていたことを思い馳せたりした・・。

この『どんと焼き』の思いに関しては、
【『どんと焼き』、私の幼年期に体験した心の宝物のひとつとなり・・。】
と題して、このサイトに過日の10日に投稿しているので、省略する。


そして齢ばかり重ねた私は、年末年始からの日々も過ぎ去ってしまえば、
実に早い、とぼんやりと感じたりしている。


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初冬のまほろばの旅路、私は愛惜を秘めながら思い馳せれば・・。 【下】

2011-01-15 09:07:58 | 旅のあれこれ
          第9章  『県立郷土館』、そして冬の五能線は・・。

青森グランドホテルで朝食を終えた後、市内の路地に残り雪が見られ、歩道は根雪となり、
19日の日曜日の為か、主要道路以外は除雪されていなかったが、冬晴れとなり、
陽射しのある処では雪解けとなっていた・・。

こうした中、ホテルの前より『県立郷土館』までタクシーを利用した。

館内は、考古展示室、自然展示室、民俗展示室などが、
ゆったりとしたスペースで展示されていたが、
私は輝いた郷土の先人たちの展示室に好奇心があり、
それぞけの分野で業績を遺(のこ)された人の足跡を読みながら、
教示されることが多かった。

『県立郷土館』を辞した後、私達は青森駅を目指して、
根雪の歩道を注意しながら、冬晴れの中を歩いた・・。

駅に近づくと、新しくできた地場食材を買い求めことのできる『A-FACTORY』が、
数多くの人たちを見かけ、
青森駅発13時54分発の『リゾートしらかみ』に乗車するまで、
この『A-FACTORY』で過ごそうと私は家内に提案した。

館内は日曜日のせいか、地元にお住まいの家族、私達のような観光客で賑っていた・・。
確かに色々な青森県産の食材、食品があり、
昼食の代りに何かないかしら、と私達は探した・・。

私は餡子(あんこ)の餅を選定し、煎茶を探したのであるが見当たらず、ビールとし、
生まれて初めての組合わせに、我ながら苦笑した。
家内はアップルを焼いた菓子風のパンを頂きながら、コーヒーを飲んだりした。


この後、青森駅の在来線のプラットホームで、
秋田駅行きの『リゾートしらかみ』を待機していたのであるが、
入線してくる『リゾートしらかみ』を見て、私は嫌な予感をしたのである・・。
今年の5月に、秋田駅から不老不死温泉の最寄駅の『ウェスパ椿山』まで、
その後もウェスパ椿山駅から青森駅まで乗車して、まさに快適の体感をしたのであった。

この理由のひとつとして、座席のゆったりとした車内、広い車窓からの情景があったが、
JR東日本の秋田支社が運行している、この『リゾートしらかみ』の場合は、
トイレの横に小さな喫煙室があったのである。

最近ハイブリットの新型車両が登場し『青池』号と命名された、と何かのニュースで知っていたが、
これを機会に『ぶな』、『くまげら』号の両編成列車も、小さな喫煙室が廃止されるのではないか、
と私は危惧したのであるが、結果として的中したのである。

私は東海道・山陽新幹線に一部の車両には、喫煙室があるが、
昨今の嫌煙風潮に最適かしら、と愛煙家の私は思っているのである。

この『リゾートしらかみ』の運行として、せめての救いとして、
『弘前』、『川部』の両駅で6分、7分の待機時間があるので、私は『川部』駅のプラットホームで、
携帯灰皿を持ちながら、憩(いこ)いのひとときの煙草を喫ったりした。


『リゾートしらかみ』は、青森駅を発車して市街に出ると、積雪の情景の中で、
岩木山の雄大な景観が見え、リンゴの果樹園がまじかに見ながら田園の情景となった。
そして奥津軽と称せられる『五所川原』駅を過ぎて、まもなく海沿いの情景となり、
日本海の南下する。
そして海沿いの線を走りながら、海岸の美景が展開するのが、観光客として魅了されるひとつである。
私は秘かな願っていたことは、この時節として雪が舞い降る中の海岸線の情景、
或いは冬晴れの中、車窓から夕陽を見ながら、と期待していたのである。

結果として、どんよりとした曇り空の中を走破したが、『深浦』駅に近づく頃から、
雲の合間から落陽が観え、五分ぐらい私を含めの乗客は、歓声を上げたり、写真を撮ったり、
見惚(みと)れたりしていた。

この後、まもなくして宿泊する『不老不死温泉』の最寄駅のウェスパ椿山駅に、
夕暮れの16時47分に到着し、
私達は観光ホテルの待機して下さっているマイクロバスに乗車した。



          第10章  『黄金崎 不老ふ死温泉』

私達夫婦は、今年の5月24日から青森県の一部を周遊した時、
この『黄金崎 不老ふ死温泉』に3連泊して、旅の始まりであったが、
鮮烈な思いがあり、今回の旅も同じ部屋を予約できたので、宿泊することにした。

この時の思いとしては、下記のように投稿している・・。

【・・
私達夫婦はウェスパ椿山駅で午後4時20分に下車し、
駅前で待機していた宿泊先の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』の送迎バスに乗り込んだ。
小雨の降り続ける中、日本海に面した黄金崎(こがねざき)にある観光ホテルには、10分たらず到着した。

そして、この観光ホテルの新館に3泊としていた。

http://www.furofushi.com/ 
☆『黄金崎 不老ふ死温泉』ホームページ☆


打ち寄せる波のまじかにある海岸の露天風呂で、
日本海の落陽を眺め・・として名高い観光ホテルであるが、
3泊4日をしたが、雨時々曇りの日々となり、夕陽が洋上に沈む光景は無念ながらめぐり逢えなかった。

しかし、雨が止んだひととき、館内から海岸に向う歩道を百メートルぐらい歩み、
波打ち際に、ひょうたん形の露天風呂がふたつある。
右手は女性専用、左手に男女混浴があり、私は男女混浴の湯船に身体をゆだねたりした。

2日目の午前10時過ぎ、ひとりだけ60代の男性がいるだけで、
長野県の茅野市の方で独り旅で北東北の温泉を廻りながら、旅を楽しまれている人であった。
とりとめない旅先の温泉のことなどを談笑を重ねたりした・・。

館内の大浴場からの日本海の眺めも良く、隣接しているパノラマ展望風呂は、
屋根がある小さな露天風呂のような感じで、洋上の情景がゆったりと眺められるので、
私は朝夕のひとときは、身も心もゆだねたりした。

そして、ロビーの片隅で、青森県の地方紙のひとつの『東奥日報』を読んだりし、
今回の旅の終わりまで何かと愛読したりした。


食事に関しては、日本海のこの地の周辺で獲れる地魚、貝づくしの幸を十二分に賞味でき、
見た目より遥かに美味しく、鮮度抜群が味の基本であることを改めて認識させらた。

私が何よりも魅せられたのは、部屋からの眺めである。
たまたま東館の二階の中央部にある部屋に宿泊したが、
窓辺にある椅子に座り、朝、昼、夕に幾度も眺めたりしたのである。

日本の海岸に多い防波堤のコンクリートやテトラポットなどはなく、
日本海の波が海岸に直接に打ち寄せ、海岸からまじかな洋上の周辺に、
小さな岩が集積して、あたかも小さな列島のように点在し、
こうした列島が幾10か観られ、波を受けたり、しぶきをあびたりしていた・・。
そして引き潮、或いは満潮の時に、うつろいながら変貌した情景を観せていた。

こうした風景を眺めたりしていると、室町時代の頃からの石庭など景観よりも、
遥かに深く魅了させられ、私は飽きずに眺めたりしていた。


5月27日の朝10時過ぎ、『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルに別れを告げ、
私達は送迎バスで五能線のウェスパ椿山駅に向った時、
道路際には芽吹きが終わり新緑に染まり、中には早くも若葉となった落葉樹の中、
ときおり八重桜(ヤエザクラ)が観られ、私はこの地にも春到来を感じ、和(なご)んだりした。
・・】


このように5月の長雨に遭遇し、雨時々曇りの日が3日間続き、
今回の連泊の間は、夕陽を部屋から、露天風呂から、そして日本海に落陽する光景を観たり、
或いは初冬の時節であるので、日本海に舞い降る雪の情景を秘かに期待していたのである。


到着した翌朝は、ときおり風が強く吹く曇り空で、午前10時過ぎに私は露天風呂に向かった。
露天風呂の出入り口の本館まで行き、
海岸の施設の歩道を百メートルぐらい海岸線まじかにある露天風呂に到着するのであるが、
浴衣の下はパンズ一枚だけ、左手にバスタオルとタオルを入れたビニール袋を提げた姿で歩きはじめた・・。

ゆるい下りの歩道で、強く風が吹き、浴衣の裾(すそ)は捲(まく)れ上がり、
私は右手ですそを押さえて、
『やめ~て・・少し風・・穏やかにねぇ・・お願いいたしますょ・・』
と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして露天風呂の簡素な更衣棚に浴衣とパンズをビニール袋に入れたが、
このビニール袋が風を受けて、たなびいているのである・・。

私は露天風呂に身体をゆだねて、波打ち際の波、そして押し寄せてくる波間、
ときおり私は立ち上がり、彼方の日本海を眺めたりしていると、風が冷たく感じ、
露天風呂に身体を沈めるように深く湯に入ったりした。

このような天候であったので、もとより私だけの貸切風呂となったりし、
帰路、本館の露天風呂の出入り口のいるホテルのスタッフの方から、微笑まれた。

私は苦笑しながら、宿泊している新館の部屋に戻ったりした。


翌日は、冬晴れとなり、私は昨日の容姿で、露天風呂をめざした。
ときおり微風が吹く程度で、穏やかな快晴の中、散歩するみたいに海岸線までの歩道を歩いた。
そして、誰もいない露天風呂に心身ゆだねて入ったり、
押し寄せる波、そして遥か彼方のフェリー船が日本海を北上するのを見たりした。

そして露天風呂から上がり、冬晴れの陽射しに向かい、素肌を数分程さらしたりしたが、
寒さを感じることなく、むしろ快適な心情となったりした。




          最終章  旅の終りは霧雨、その後は本降りとなり・・。

12月22日、私達夫婦のささやかな初冬の旅も最終日を迎え、
『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルを10時半に辞して、
ホテルの歓送マイクロバスで最寄駅のウェスパ椿山駅に向う途中から、霧雨が降りだした。

五能線の『リゾートしらかみ』で新青森駅に13時25分に到着したが、
本降りの雨となり、『県立美術館』に訪れ予定であったが、少しためらいながら、
私達は新青森駅の地産地消飲食ゾーンの軽食店で、
サンドイッチを頂きながら、コーヒーを飲んだりした。

結果としては、駅より『県立美術館』まで、タクシーで往復したが、
もとより美術の基礎知識のない私達は、時間を無駄にした、というのが実感であった。
せめての救いがあるとすれば、棟方志功、寺山修司、両氏への私のつたない知識を深めた程度である。

私達は落胆して、新青森駅に17時半過ぎに戻り、
ふたたび地産地消飲食ゾーンの軽食店に寄ったりし、18時28分発の『はやて』東京駅行きを待ったりした。

そして私達は、今回の旅で好感したことを語りあった・・。

蔦温泉旅館の裏手に広がるブナ林、雪の情景が予想した以上に圧倒的な存在を実感させられたこと、
そして青森と蔦温泉の往復での路線バスからの雪景色の美景に心酔させられたこと、
奥入瀬渓流のタクシーで往還した道路管理3名以外・・誰にも逢わず薄墨の世界をあたかも独占できたこと・・。
そして蔦温泉旅館の前庭の片隅にある売店で、昼のひととき雪見酒を2日連続になったこと、

このようなことを話し合ったりしたのである。

少しばかり無念なことは、
家内は、蔦温泉旅館に夕食後に、5月に連泊した時、高齢の狸(タヌキ)が訪れ、
動物好きな家内は楽しみにしていたが、
旅館のスタッフに寄れば、落葉樹が染まる錦繍の前頃から来館しなくなったこと。

私は、五能線で風雪の景色、『黄金崎 不老ふ死温泉』で日本海に雪が舞い降る情景・・。

このようなことが私達には叶わなかったが、
これ以外は、私達夫婦が予想した以上の八甲田山連峰の山間部の道路の情景、
蔦温泉の周辺、そして奥入瀬渓流の景観であり、
雪深くなる1、2月よりも、この時節の20センチ~60センチぐらいで、
人気の少ないこの時節が、美的な要素を更に倍加させてくれた、と思ったりしている。

こうした意味合いに於いて、今回の初冬の旅は、
これ以上の美景の再現は、たぶん二度とめぐり逢えない光景が多く、私達は幸運に恵まれた。

                              《終り》


このように初冬の旅をしてきたが、数多くの方と同じように、
旅は旅立つ前のその地に思いを馳せたり、旅の途上、
そして帰宅後にデジカメで撮った情景に心情を託すと思われる・・。

そして、あの時はあなたは・・、と旅の同行者と微苦笑を重ねたりし、
旅に魅了されるひとつと感じている。

私は場合は、更に旅先の心情は、写真では写すことはできないので、
このような投稿文を綴り、のちの思い、として心の発露をしている。


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初冬のまほろばの旅路、私は愛惜を秘めながら思い馳せれば・・。 【中】

2011-01-15 00:07:22 | 旅のあれこれ
          第5章  ときおり雪舞い降る中、奥入瀬渓流往還記

私達夫婦は、蔦温泉に滞在している間、冬の奥入瀬渓流の散策を予定し、
当初は蔦温泉より11時32分発の一番バスの路線バスに乗り、
渓流の半ばにある石ケ戸の周辺を散策して、
石ケ戸を午後の2時4分発の路線バスで蔦温泉に戻る計画であった。

もとより冬の奥入瀬渓流の遊歩道に沿った路線バス、トイレも少なく、
今回の旅の往路からの八甲田山連峰のロープウェイの案内スタッフから、
遊歩道、トイレなどの閉鎖箇所もあるので、現地の方、宿泊先に確認されたら、
と教示を受けたりしていた。

私達は10年前の2月、古牧温泉に2泊3日で滞在したいた時、
この観光ホテルのサービスとして、無料の周遊バスで、
谷地温泉の立ち寄り湯、そして焼山の奥入瀬渓流館で自由食、その後は十和田湖までの
奥入瀬渓流の情景を観たりし、魅了されてた。

こうしたささやかな体験もあったが、私は迷ったりしていたのである。

私は蔦温泉の館内の談話室で煙草を喫っていた時、
偶然に公衆電話の横にあるタクシー、貸切観光タクシーの料金表が掲載されていた。
たとえば、蔦温泉から石ケ戸まで、3500円、蔦温泉から子の口までが5500円、
或いは貸切観光タクシーとしては、蔦温泉~奥入瀬渓流~子の口まで12000円(一時間50分)
と明示されていた。

この後、家内と話し合い、タクシーで石ケ戸、そして阿修羅の流れ付近まで利用しょう、
と思い立ったのである。


翌日の朝の10時、旅館前で私達は前日と同様に防寒着で身を固めて、
残り雪の多い冬晴れの中、タクシーを待ったりした。
まもなく、60代ぐらいのタクシー・ドライバーの方に、
『石ケ戸、そして阿修羅の流れまで・・その後は状況次第で・・』
と私はタクシー・ドライバーの方に云った。

走り出してまもなく、私が首からぶらさげたデジカメを見て、
『ご主人・・写真がお好きなんですか?』
とドライバーは私に云った。

このひと言が、私達とドライバーの物語のはしまりであった。

ドライバーの方は、旅行の写真専門誌に幾たびか掲載される写真を撮る名手であった。
そして途中でタクシーを停めて、
この風景が宜しいかと思いますが、とアドバイスをして下さったのである。

その後も私達に微笑みながら、道脇から渓流沿いの冬季に閉ざされた遊歩道を案内して下さったり、
私達夫婦の記念写真まで撮って頂いたりした。

そして、何気ない会話を重ね、すっかり意気投合したかのように、
幾たびか停止し、私はデジカメで冬の奥入瀬の情景を撮ったりした。

結果としては、十和田湖の湖岸のひとつ子の口まで行き、湖岸の波打ち際の氷柱を観たり、
湖岸の樹木の根に氷柱の情景も教示して頂いたりした。

帰路も渓流の14キロぐらいの道のりを利用したが、
路面は除雪の後の真っ白な道、道路の路肩は除雪の雪で60センチぐらい、
そして周辺の樹木は雪をたたえて、ときおり雪が舞い降る情景であった。

何よりも驚いたのは、この時節に渓流の遊歩道を散策する観光客もいなく、
この長い道のりで、人影を見かけたのは道路を管理されている方が3名だけで、
まるで奥入瀬渓流を私達が借り切ったよう錯覚さえ感じたりした・・。

そして私達は蔦温泉までの時を略歴を交わしながら楽しげに話し合ったりし、
映画の話になり、私よりひとつ齢上の方と判明し、互いに笑ったりしていた。
家内もときおり言葉を重ねて、談笑した。

旅館前に帰還した私達に、
『後ほど・・この旅館にご夫妻の記念写真をお届けいたします』
とドライバーの方は明るい表情で云った。

二時間後、このドライバーは、ご自身が撮られた特選の奥入瀬の若葉の頃、
そして錦繍の頃、いずれも美麗な二葉の四つ切写真であり、
私達夫婦の写真も備えられていた。

この世に一期一絵という言葉があるならば、
こうしたことの意味合いかしら、と私は家内と微笑んだりし、
ドライバーの表情、しぐさを思い重ねたりした。



          第6章  旅先の読書

私は観光ホテルなどで滞在の時は、ここ10年は本を持参したりしている。
温泉で心身疲れを休めながら、日中のひとときに寝たりするが、
ときには本を開いたりし、読書の時間で過ごすこともある。

今回、たまたま持参したのは藤原正彦・著の『管見妄語 ~大いなる暗愚~』(新潮社)、
そして嵐山光三郎・大村英昭・共著の『上手な逝き方』(集英社新書)の二冊であった。

読み終わった後、やはり蔦温泉であったので大町桂月の『冬篭帖』、『蔦温泉帖』の復刻版が
この宿の帳場で販売していると思いだして、買い求めたりした。

この時に、宿の方が、宜しかったらと、一冊の本をお借りした。
『酒仙・鉄脚の旅人 大町桂月  ~作品と資料でつづる桂月の青森県内における足跡~』であり、
編集・発行者は蔦温泉の小笠原耕四郎と明記され、1995年9月3日発行と記されていた。
私が10時間ぐらいで興味を持った範囲だけ読んだりしたが、
もとより大町桂月を研究される方には欠かせない書誌であることは、
私でも瞬時で解かる深い内容である。

この本は以前は販売されていたが、在庫は少なくなり、
お借りしたのであるが、ときおり私は持参したノートに転記をしたりした。

そして、気分転換に部屋から出て、談話室に行き、
薪ストープのはぜる音を聴いたりして、大町桂月への思いを馳せながら、
煙草を喫ったりしていた。

こうした手ごたえある本がなかったならば、
全国紙より地方紙の新聞を読んだりすることが多いのである。



          第7章  雪の情景の山岳道路で一路、青森市に・・。

12月18日
蔦温泉旅館に4連泊した私達夫婦は、旅館前のバス停より、
10時15分発の青森駅前行きの路線バスに乗車した・・。

車内の乗客は私達を含めてたった3名であり、私達はバスのドライバーの最も近い最前席に座り、
路面は除雪された後の真っ白な道、道路の路肩は除雪の雪で90センチ前後、
そして周辺の常緑樹の枝葉、落葉樹の枝には雪をたたえ、
ときおり雪が舞い降る情景に、幻想的な道のりが長く続き、見惚(みと)れていた。

ときおりドライバーの方が、雪の降りはじめたこの時節、そして厳冬の時期の状況を教えて下さり、
この八甲田山連峰の山間部の山岳道路の103号の情景に、
その時節ごとに思い馳せながら、私達夫婦は魅了された。

そして市内の郊外に近づくと青空が見えたり、その後は小雨となったり、
下車する頃の午後1時45分過ぎには、曇り空となっていた。

私は終点の『青森駅前』で下車する時、
『ひとつの映画を鑑賞したようで、ため息を重ねるほどの素晴らしい・・車窓からの情景でした・・』
と私はドライバーの方にお礼の言葉の代りに云った。

その後、私達は今宵の宿泊先の『青森グランドホテル』に向った。



          第8章  『森林博物館』、『アスパム』、そして炭火焼ホルモンで酒宴となり・・。

私達は『青森グランドホテル』にチエックインし、指定された部屋で小休憩をした後、
駅の向こう側にある市立の『森林博物館』に行こう、と話し合ったりした。

歩きだして、まもなく冷たい小雨が降り、10分後にはたどり着いたのであるが、
この『森林博物館』は、青森産のヒバをふんだんにつかわれた豪壮な木造二階建てあり、
各展示室もゆったりとし、展示品からも多々教示された。

特に『津軽森林鉄道』に関しては、
明治時代から津軽半島のヒバ材を伐採、輸送手段として森林鉄道が活躍され、
多くの地元の方たちが、これらに従事されて、
やがて青森県、そして国に貢献されている状況が克明に理解できる。

この博物館にあえて苦言を明記すれば、
一階にある一部屋の待合談話室に暖房があるだけで、
これ以外の各展示室は、外気と同じような寒さであった。


この後、家内も寒さを感じていたので、
少し暖かい処に、と云ったりし、私達はタクシーで青森県の新たに完成した観光物産展の『アスパム』に向った。
この『アスパム』は、三角風の独自な建物で、外観からも誰しもが解かりやすく、
展望フロアーからの眺めも良く、各フロアーはそれなりに創意工夫がある。

このように観て廻ったりすると、閉館時間となり、
私達は街中の中核にある新町に向かい歩きだした・・。

夕食の食事処を探していたのであるが、
蔦温泉旅館の4連泊で山里の幸、海の幸も美味しく頂いたのであるが、
この後の旅程として、日本海の海辺の『不老不死温泉』3連泊するので、
今年の5月に三連泊した時の体験からして、海の幸が圧倒的に多かったのである。

このように迷いながら、家内と街中の食事処の看板、ネオン・サインなどを見たりしていた時、
『炭火焼ホルモン たつや』と看板を見て、立ち止まったのである。
この料理だったならば、今後も重複はしないだろう、
と私は家内を誘ったら、同意したので入店した。

店内は広く、カンター席、そして5テーブルぐらいテーブル席が見えて、
この中のひとつのテーブルに、私達は席に着いた。

『こうした店・・30年ぶりぐらいかなぁ・・・』
と私は家内に云ったりしていた。
『わたし・・初めてだわ・・』
と家内はメニューの単品料理の数々を見たりしていた。
『このメニューの右側から・・ひととおり食べてみませんか・・』
と家内は私に云ったりした。

私達は、七輪風のコンロで網の上に、注文した数々の品をビールを呑みながら頂いたりした。

そして、左側のテーブルは3名の女性グループ、奥まったテーブルに2名の女性グループで、
お互いに楽しげに談笑しているので、
私は昨今の流行の『女子会』か、と思いながら、女性は元気で明るく前向きでいいよなぁ、
と心の中で思ったりしていた。

そして、私は少しは元気のでる特効薬として、メニューに掲載されている日本酒を注文した。
まもなく素焼きした茶碗に入った酒が、テーブルに置かれたので、
私は銘柄を訊(き)いたら、『じょぱら』と私には聴こえたのである。

家内も珍しい品の数々をビールを呑みながら、頂いたりしているので、
私も幾度も『じょぱら』をお代わりし、この品も美味しいねぇ、と盛んに食べたりしていた。

そして、少し酔いを感じながら、津軽弁は解からないが、
何となく私の性格が『じょぱら』に近いかしら、と微苦笑しながら感じたりした。


                               (つづく)

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