私達夫婦は妹の2人と駅前で、母の命日に際してお墓参りをする為に、待ち合わせをした。
予定時間に集合し、近くの寺院に向ったが、
この時節としては、暖かく風もなく小春日和のようなひとときであった。
境内は広く数多くの大木があり、冬枯れの情景で静寂であった。
お墓に行き、私達は墓石を水で清め、生前の母が好きだったお花を挿し、
お米を備え、お線香を奉げた。
そして紫煙は香りを残しながら、ゆったりと青空に向かい昇っていく・・。
花の匂い、お線香の香り中、もとよりお墓参りは生者の慰めと知っているが、
亡くなった父と母、そして祖父に守られ、
こうして私は生きてこられてきたのであるので、私は感謝の一心で、
手を合わせたりした。
生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。
この後、母のおもかげがよぎっていった。
私の場合は、父が私の小学校の2年の時、
そして一年後に祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
このためか、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
言葉づかいが想いだされる。
『命日のお墓参り・・このように風もなく暖かい時・・初めてみたい』
と私は妹に云ったりし、
お線香の煙が芳香を残して、青空の中、立ち昇りながら消えいくのを見たりしていた・・。
この後、予約していたイタリア料理店で昼食を頂きながら、
私達4人は、お互いに談笑し、懇親したのであった。
店内はパヴァロッティが唄う『ローマのギター』、『はるかるサンタ・ルチア』、『オ・ソレ・ミオ』、
『アヴェマリア』、『乾杯の歌』などの名曲が静かに流れる中、
過ぎ去ったこの一年の出来事のこぼれ話しなどを、
微苦笑しながら私は妹のふたりに話したりした・・。
私は66歳となり、妹は64、62歳であり、家内も61歳の身であるので、
心身健在であればこそ、こうして母の命日に近い日に、
お墓参りをしたり、その後は昼食を兼ねて懇親できるのである。
私の現役時代の50代の時、私の余り変わらない方が亡くなったり、
先輩の方の中で、60歳を少し過ぎた時、突然に訃報に接したりしてきたのである。
このような体験もあり、いつこの世と告別するか、
解からないのであり、私は1日を大切にし、切実に過ごしている。
この後、私達はイタリア料理店を辞した後、
駅まで数分の道を歩きながら、
『毎年・・こうして・・10年先まで・・逢えるといいね・・』
と私は妹の2人に云ったりしたのであった。
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予定時間に集合し、近くの寺院に向ったが、
この時節としては、暖かく風もなく小春日和のようなひとときであった。
境内は広く数多くの大木があり、冬枯れの情景で静寂であった。
お墓に行き、私達は墓石を水で清め、生前の母が好きだったお花を挿し、
お米を備え、お線香を奉げた。
そして紫煙は香りを残しながら、ゆったりと青空に向かい昇っていく・・。
花の匂い、お線香の香り中、もとよりお墓参りは生者の慰めと知っているが、
亡くなった父と母、そして祖父に守られ、
こうして私は生きてこられてきたのであるので、私は感謝の一心で、
手を合わせたりした。
生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。
この後、母のおもかげがよぎっていった。
私の場合は、父が私の小学校の2年の時、
そして一年後に祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
このためか、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
言葉づかいが想いだされる。
『命日のお墓参り・・このように風もなく暖かい時・・初めてみたい』
と私は妹に云ったりし、
お線香の煙が芳香を残して、青空の中、立ち昇りながら消えいくのを見たりしていた・・。
この後、予約していたイタリア料理店で昼食を頂きながら、
私達4人は、お互いに談笑し、懇親したのであった。
店内はパヴァロッティが唄う『ローマのギター』、『はるかるサンタ・ルチア』、『オ・ソレ・ミオ』、
『アヴェマリア』、『乾杯の歌』などの名曲が静かに流れる中、
過ぎ去ったこの一年の出来事のこぼれ話しなどを、
微苦笑しながら私は妹のふたりに話したりした・・。
私は66歳となり、妹は64、62歳であり、家内も61歳の身であるので、
心身健在であればこそ、こうして母の命日に近い日に、
お墓参りをしたり、その後は昼食を兼ねて懇親できるのである。
私の現役時代の50代の時、私の余り変わらない方が亡くなったり、
先輩の方の中で、60歳を少し過ぎた時、突然に訃報に接したりしてきたのである。
このような体験もあり、いつこの世と告別するか、
解からないのであり、私は1日を大切にし、切実に過ごしている。
この後、私達はイタリア料理店を辞した後、
駅まで数分の道を歩きながら、
『毎年・・こうして・・10年先まで・・逢えるといいね・・』
と私は妹の2人に云ったりしたのであった。


