夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『ツイッター』は私は発信できないが、『ブログ』の投稿文は日々投稿して・・。

2011-01-24 23:29:04 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
夕方のひととき、ぼんやりとニュースを見ようと、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、

《 有名店員「○△が彼女と」ツイート…謝罪頻発 》

と題されたニュースを読んだ後、憂いたのである・・。

無断であるが、転載させて頂く。

《・・
       有名店員「○△が彼女と」ツイート…謝罪頻発

「この前、うちの店に有名人が彼女と一緒に来たんだよ」。

友人や家族との間なら許される会話でも、ネット上でつぶやくと――。

簡易ブログ「ツイッター」で、有名ホテルやレストランの従業員が、
客として訪れた著名人の行動を暴露し、店側が謝罪する騒ぎが相次いでいる。

一方で、つぶやいた従業員の顔写真や名前などもネット上に流出するケースも。
個人が気軽にその場で情報発信できるネット時代、情報管理の在り方が問われそうだ。


今月11日夜。
サッカー元日本代表と人気モデルがホテルのレストランで会食している――と、ツイッターに書き込まれた。
つぶやきはあっという間に広がった。
数時間後にはインターネット掲示板にスレッドが立ち、場所が東京・目黒区のウェスティンホテルであることや、
書き込んだのはホテルのバイトの女子大生だったことなども割り出された。
翌日、ホテルはウェブサイトに総支配人名の謝罪文を掲載した。


一方、中央区のレストランでも昨年12月、
男性従業員がツイッターで経済評論家の勝間和代さんの来店をつぶやき、
「大嫌いな有名人」などと中傷。
レストランはサイトで謝罪し、運営会社は系列店も含め従業員約500人に、客に関する書き込みを禁じたという。

トラブルが起きた2店はいずれも、ミシュランガイドで星を獲得したこともある有名店。
ガイドブックにはスタッフの質の高さをたたえる記述も出ていた。

(2011年1月24日14時51分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110124-OYT1T00608.htm?from=main1
☆【YOMIURI ONLINE】 有名店員「○△が彼女と」ツイート…謝罪頻発 ☆


私は殆ど毎日、ブログの投稿文を数通発信することが多い年金生活をしているが、
確か2007(平成19)年の頃から、急激に普及した『ツイッター』に関しては、私は発信できないでいる。

短い綴りで、つぶやくような文章と私は解釈しているので、
短い言葉で私の今の心情を発露するようなことは、無念ながら私には筆力がないので、
利用したことがないのである。

しかしながら、ある程度の長い文章の綴りであるならば、
つたない私なりに『ブログ』の投稿文として、
日常の思い、或いは思索したいることなどを心の発露として綴ったりし、
ここ6年ばかり投稿している。


私は2004(平成16)の秋にある民間会社を定年退職したのであるが、
まもないブログの世界を知り、
あるサイトに加入して、翌年の2005(平成17)年2月7日に於いて、
『ブログと自己存在感・・。』と題して、投稿していた。

【・・
ブログが昨今に急速で、加速されたかのように広がっている。
何故、これほど話題になり、注目され、利用されているか、
私が利用した理由を書き込めば、ひとつのヒントになると思ったりしている。


昨年の秋の定年退職の前後、私はホーム・ページを立ち上げようとしていた。

理由として、この星の下で生まれ、育ち、何を考えて、やがて死んでいくことに、
生きたいたことのひとつの証(あかし)を残していきたい、と思ったりしたのである。

ホーム・ページの場合は、原則として実名公表なので、
政治・外交・軍事・社会・宗教・文化等の公表に、
著名人でない上、これといった専門知識がない素人の私には、一種のためらいがあった。

私の好きな山川草木のよしなごとは書けても、
身過ぎ世過ぎの年金生活の日常を過しているので、政治・外交・軍事・社会・宗教・文化等の世界は、
文章にほころびが生じる、と思ったのである。

世の中の専門知識を有する学者の随筆は、
論文等、或いは大学教授としての前提で、一面の遊び、としても綴ることが出来るので、
私のような素人としては、こうしたためらい、たじろいがあり、
開設したところで、来訪者が少なく、
そのうちに自身が書き続けられるか、と自問したのである。

こうした時、たまたまブログ、ブログに準じた簡素なホーム・ページのブログを知ったのである。


ブログの場合は、匿名が圧倒的に多く、ある程度の心の節度があれば、
公表できる利便性の要素が十二分ある。

新聞、雑誌の投稿には、それぞれの発行元の編集部などの見解のもとで、
掲載が決められている現状であるが、
このブログの場合は、ある程度の節度があれば、何の制約も無く、
その方の自身の政治・外交・政治・軍事・社会・宗教・文化等の分野の思いでも、
自在に公表できるのである。

そして一旦発信されたならば、当人がただちに削除しない限り、
この星の下で存在し、ある一面、怖いところも付随するが、
読まれるか、無視されるかは別問題として、確実に残るのである。


そして誰にしても、ある程度の知識があれば、日常生活を綴っても、
自己の存在感を提示できる世界がブログ、と思ったのである。
・・】

この当時は、このような心情であり、今も基本的には変らないでいる。

そして私が常に根底にしていることは、匿名を悪用して、
いいかげんな気持ちで、一時的な感情で投稿するのはやめよう、と心に誓った。

しかし、政治家、官公庁などの一部の諸兄諸姉に、余りにも心の節度が酷すぎる、と感じた時、
ときには国民のひとりとして投稿文を重ねたりしてきた。

たとえば、鳩山前首相の総理としての時代、
園児のような発想の鳩山首相であり・・・、と私は明記したが、
私なりの理由を必ず明記した。

私は匿名にかこつけて、単に罵倒するのは、覆面レスラーのように卑劣さを感じたのである。

こうしたことを基本に、ある程度の節度があれば、何の制約も無く投稿できるのが、
ブログの世界、と私は思いながら、投稿してきている。


今回のニュースを読み終わった後、
私にとっては活用できない『ツイッター』の世界であるが、
『ブログ』の世界より、短い表現であればある程、その人なりの心の節度が問われている、
とぼんやりと思ったりしている。


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『歳寒三友(さいかんさんゆう)』、と私は心の中で呟(つぶや)きながら、微笑み・・。

2011-01-24 15:29:14 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅で、世田谷区と狛江市に隣接している処に住み、
年金生活の66歳の身である。

午前中のひととき、家内が小田急線の『喜多見』の駅前の歯科医院で治療を受け、
その後はスーパー、専門店で買物するというので、
私は家内のボーディ・ガード、荷物持ちのようなお供で、
我が家の近くに流れる野川の川沿いの遊歩道を20分ばかり歩いたりした・・。

その後、駅前で家内は歯科医院で治療を受けので、
私達はひとまず別れ、コーヒー・ショツプの『ドドール』で待ち合わせをすることにした。

そして私は、この間に喜多見の住宅街を歩き廻ったりした・・。

この街は、世田谷区の管轄下で『成城学園前』駅と『狛江』駅のあいだにあり、
私の住む隣町なので幼年期から馴染みのある街であるが、
50年の歳月が過ぎれば、大きく変貌してきた・・。

私は駅から10分ぐらいの周辺を歩いたりすると、
数多くのマンションが建ち並び、いつ頃に建ったのかしら、と思いながら歩いたりした。

その後、駅近くの古くからある住宅街に戻りと、
ある旧家の庭に、孟宗林が片隅に配し、中央に松が3本、少し離れた所に白梅の純白の花が咲いて折、
私は思わず見惚れて、しばらく眺めたりした。
そして、『歳寒三友(さいかんさんゆう)』か、と心の中で呟(つぶや)きながら、微笑んだりした。


私は、正直に告白すれば、『歳寒三友』と言葉を学んだのは、
遅ればせながら一昨年2009(平成21)年の早春であった。

私達夫婦は家内の母と3人で、長崎・雲仙に8泊9日で訪れる時、
羽田空港より、長崎空港に向けて機上の人となった。

私は飛行機の機内は、新幹線などの電車のように車窓から風景が見えないので、
何かと苦手な乗り物のひとつである。
しかしながら、飛行機はたった2時間以内に羽田空港から長崎の地を踏めるのであるから、
やむえず時間の圧縮として利用していた。

私は機内の場合は、煎茶のペットボドルを持ち込んで、
この煎茶を飲んだりしながら、持参した本を読むことが多いのであるが、
この時は。何気なし『翼の王国』と称されたANAグループの機内誌を手に取り,
何かよい随筆はないかしら、と思いパラパラの捲(めく)っていたのである。

この中で、偶然に魅せられた文があり、要約すると下記のように綴られていた。

《・・
古来、日本には花が美しいと見る文学的な思想はなく、
『栄木(さかき)』といった常緑の木に神聖を感じていた。

先進国であった唐より梅が伝わってきたが、
『鳥梅(うばい)』という薬として、日本に伝わってきた。

『万葉集』の頃から、目立って梅の歌が現われる。

梅は松、竹と共に『歳寒三友(さいかんさんゆう)』のひとつに挙げられている。
・・》

この記事は、『萬手控(よろずてびかえ) 植物文化考』と題された連載で、
私が手にした二月号は『友好の梅』と名付けられ、望月 昭氏が綴られた一節である。

私は全文を読み、魅了された一節だけを要約して、持参したノートに転記したのであるが、
この時節、梅と松、そして竹は、『歳寒三友(さいかんさんゆう)』と言葉に、
齢ばかり重ねた私は、遅ればせながら学び、何よりも魅せられたのである。


この時から、この時節、『三寒四温』という天気季語と同様に、
冬枯れの木立の情景と共に、『歳寒三友』は私にとって、
愛(いと)おしい冬麗(とうれい)の情景にっている。


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