夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

有名な写真家に寄る絶景紅葉の作品、高齢者の私は拝見して、圧倒的に魅了されて、やがて私は・・。

2019-10-10 14:48:14 | ささやかな古稀からの思い

過ぎし日の10月7日の夕方、ときおり愛読している公式サイトの NEWSポストセブン  】を見ていたら、
『 「二度と撮れない絶景紅葉写真」有名写真家6人が自薦 
と題された見出しを見たりした・・。


私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。


こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。

こうした時は、殆どコンバクト・デジカメをネクタイのように首回りから下げて、
颯爽と歩き、
歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

こうしたささやかな写真を撮り続けている
私は、やはり有名な写真家の作品を鑑賞する機会が少なく、
今回の《・・有名な写真家に寄る絶景紅葉の作品・・》を拝見して、
圧倒的に魅了された。

この記事は、『週刊ポスト』の2019年10月11日号のグラビアに掲載され、
取材と解説文は、戸田梨恵さん、そして斉藤裕子さんが綴られ、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン  】10月7日に配信され、
無断であるが、敬意を重ねながら転載させて頂く。         
                   

有名写真家6人が自選した秋の風物詩の決定的瞬間をお届け。
ひと足早い錦秋グラビアを6枚、紹介します。

2018年11月2日 山梨県・南アルプス市 南アルプスICから車で約30分の櫛形山林道展望台近くにて撮影。 

南アルプス市にある櫛形山林道(くしかたやまりんどう)は、
富士山と雲海を同時に撮影できる有名なスポット。

撮影日も夜明け前から、大勢の人たちがシャッターチャンスを狙っていました。
紅葉を撮ろうと思った私は、林道を少しはずれて人気がない場所へと向かいました。

少し奥に入ると真っ赤に色づく紅葉が見え、向こうに雲海と富士山が現われたのです。
撮影したのは朝日が昇る瞬間。紅葉にやわらかな光が射し込んでいます。

撮影■宮本孝廣/1963年、和歌山県生まれ。
県立南部高等学校卒業と同時に、写真家・森田敏隆氏に師事。
現在、森田氏が設立したエムオーフォトスに所属し、日本風景を撮影し続ける。

2018年11月2日 福島県・JR只見線・只見川第一橋梁(会津西方駅~会津桧原駅間)。
「道の駅 尾瀬街道みしま宿」から遊歩道を歩いて15分ほどの場所にある『只見川第一橋梁ビューポイント』にて撮影。

気温や湿度、天気などの条件を考慮して撮影場所を事前に考え、
年間300日ほど只見線と奥会津だけを撮り続けています。

撮影日には紅葉と只見線と、秋には珍しい山霧を1枚に収めることができました。
通常、この地域で山霧が発生するのは6月から8月にかけてで、霧は陽にあたると消えてしまいます。
この日も朝日が差し込むまでのわずかな間、10分ほどで消えてしまいました。


撮影■星賢孝/1948年、福島県生まれ。郷土写真家。
地元建設会社に47年間勤め、只見線・奥会津の写真を撮り続けて25年。

現在は金山町と三島町にまたがる只見川沿いの渓谷“霧幻峡”の渡しの船頭も務める「特別展 復興祈念 只見線写真展~星賢孝とその仲間たち~」が
秋山庄太郎写真芸術館にて10月14日まで開催中。

 

 

2018年10月30日 熊本県・マゼノ渓谷 JR阿蘇駅より車で20分。
国道212号を北上し、マゼノミステリーロードを進む 
※マゼノ渓谷の今年の紅葉シーズン一般開放時期は未定。 

南小国町にあるマゼノ渓谷の紅葉が素晴らしいと、噂に聞いたのが数年前。
昨年ようやく訪れることができました。
春と秋の年2回、期間限定で一般開放されています。

紅葉のピーク時は、森が錦秋に染まり、温かな彩りに包まれていました。
この写真を選んだのは、皆さんにもぜひ訪れてほしいから。

手つかずの自然が広がり、渓谷沿いの散策路を歩くだけでも楽しめる。
写真以上の光景を見られるかもしれません。

撮影■福田健太郎/1973年、埼玉県生まれ。幼少期から自然や風景に魅かれ、18歳から写真家を志す。
1997年、写真家・竹内敏信氏のアシスタントを経てフリーランスとして活動。
写真集に『泉の森』(風景写真出版)など。

2014年10月1日 長野県・槍ヶ岳 
槍ヶ岳・上高地ルートの登山口へは、松本電鉄・新島々駅からバスで上高地バスターミナルまで約1時間5分。


北アルプス・天上沢の上空から、槍ヶ岳山腹をセスナで空撮。
標高差がある山で、上部から下部まで一斉に色づく年は珍しい。

写真の紅葉は、標高約1800~2600メートルの範囲。
これだけ標高差があると、通常は下部が色づく頃には上部が散ってしまう。

黄色いのは主にダケカンバ。山腹の谷筋にまだ雪渓がたっぷりと残っています。
被写体との距離があるので、晴れているだけでなく、大気が澄んでいるのも撮影の条件です。

撮影■佐々木信一/1949年、石川県生まれ。1972年、信州の山と自然に憧れて松本に移り住む。
フォトライブラリー「フォト信州」を設立。

ポスターやカレンダー、書籍など様々な媒体に写真を提供。
写真集に『槍 穂高 空と雲のあいだに』(信濃毎日新聞社)など。

 

1996年10月5日 群馬県・草津白根山 
噴火警戒レベル2のため、山頂の湯釜を中心に半径1km圏内は通行規制中。


半世紀以上にわたって数々の山に登ってきましたが、この景色を目にした瞬間は、息をのみました。
白根山から山腹を見下ろした構図で撮影。

一面に緑の笹が広がり、黄色いダケカンバと赤いナナカマドが映えています。
この辺りの山あいは風が強く、すぐに散ってしまう。
タイミングよく撮影できたのが奇跡的です。

現在は火山活動のため入山規制され、まさに二度と撮ることができない写真です。

撮影■鈴木克洋/1941年、千葉県生まれ。
1970年代に出版社への作品応募を機に山岳写真に傾倒。

以来、日本各地の山岳風景や山野草を撮影する。
写真集『奥日光の自然 光と彩りのなかで』(山と溪谷社)など多数出版。


2014年12月1日 京都府・養源院 
京阪電車・七条駅下車、徒歩約7分。または市バス「博物館三十三間堂前」「東山七条」下車、徒歩約3分。


京都のモミジが見頃を迎えるのは、毎年11月上旬から12月半ばまで。
なかでも真っ赤な絨毯が見られるのは、散り始めの12月上旬に限られている。

それも夜間に強風が吹き、雨が降った翌朝にしか見ることができない景色です。
踏まれてしまうと汚れるので、拝観者が訪れる前、朝一番に撮影しました。
ここまで参道一面に紅葉が敷きつめられる日は、1年に一度あるかないか。貴重な光景です。

撮影■水野克比古/1941年、京都市生まれ。
京都の神社仏閣や庭園・自然風景を中心とした作品を発表し、写真集を196冊出版する「京都写真」の第一人者。
2000年、京町家を修復したフォトスペース「町家写真館」を開設。

取材・文■戸田梨恵、斉藤裕子・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。   

                                

今回、有名な写真家に寄る絶景紅葉の作品、高齢者75歳の私は拝見して、
圧倒的に魅了されたりした・・。

やはりプロの写真家は、もとよりカメラとレンズの性能、フィルターを駆逐する技巧、そして構図も優れ、
多くの御方に感動させる写真集を発刊して生活されているので、
それぞれ突出した優れた感性がある御方であり、良き作品を鑑賞できた、と思いを深めたりした。

この後、明日に神代植物園を訪ねて観よう、と思ったりした。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接している調布市の片隅みに住み、
生家も近く、この地域には結婚前後5年を除き、70年ばかり住んできた。

我が家の近くに野川が流れていて、両岸は遊歩道があり、
私は年金生活の身であり、 散策として殆ど毎日のように歩いたりしている・・。
          
そして上流に向かえば、やがて3キロ先には深大寺があり、すぐ近くには神代植物園がある。
過ぎ去る60代までは、私は野川の遊歩道を景観を眺めながら45分ばかり歩き、 深大寺を参拝した後、
神代植物園の園内で、少なくとも3時間ぐらいは歩き廻り、季節のうつろいを享受してきた。

定年後は、多々の理由で年金生活を始め、何かと頻繁(ひんぱん)に深大寺、そして神代植物園を訪れてきた。

たまたま10月7日は、バラ園で『秋のバラフェスタ』が開催日もあり、
雨上がりの中を私は訪れて、つたないなりにデジカメで20数枚撮ったりした。

今回、写真に関する記事であるので、恥ずかしながら私が撮った写真を公開する。          


                 


                 


                 


                 


                 

このようなデジカメの技巧も知らず、拙(つたな)い感性を頼りに撮ったりしているが、
私のその時の心の軌跡の記録でもあり、ともすれば見た情景を忘れることもあり、
記憶のかたみであり、もとより自己満足の世界の写真となったりしている。

或いはブログ
の投稿文に於いて、 乏しい筆力を補(おぎ)いながら、
カット代わりに写真を掲載したりしている。

こうした私の写真なので、何年たっても進歩のない写真だ、と微苦笑したりしている。
 
コメント
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