先程、ときおり愛読している公式サイトの【 マネーポストWEB 】の『暮らしのマネー』を見ていたら、
『 経済的状況による「健康格差」、低所得者ほど肥満になりやすい 』
と題された見出しを見たりした・・。
私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、 程ほど貯金を取り崩しながら、 ささやかに過ごしている。
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活15年近く過ごしてきた。
そして私は認知症、心筋梗塞など何よりも恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
こうした中で、私は富裕層には無縁であるが、《・・経済的状況による「健康格差」・・》って、
どのようなことですか・・、と思いながら記事を精読してしまった・・。
この記事の原文は、『女性セブン』の2019年10月31日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 マネーポストWEB 】に10月21日に配信され、 無断であるが転載させて頂く。
《・・経済的状況による「健康格差」、低所得者ほど肥満になりやすい
《増税するなら、上級国民にもっと払わせればいいのに・・・》、
《老後の“悠々自適”なんて、上級国民しかありえないでしょ・・・》。
インターネットを中心にじわじわと浸透する「上級国民」という言葉。
この刺々しい言い回しが広まったきっかけは、2019年4月に起きた痛ましい交通事故だった。
東京・池袋で87歳(当時)の元高級官僚の高齢男性が、運転する自動車が暴走。
母娘2人が死亡、8人が負傷したが、男性が逮捕されないことに、
「逮捕されないのは、上級国民だからだ・・」とネットを中心に批判が高まったのだ。
世の中は学校や住む場所など、あらゆる面で「上級/下級」に分かれていると
断じた橘玲さん著の『上級国民/下級国民』(小学館新書)も話題を呼んでいる。
多くの人が、自らを“中間層”だととらえていた「一億総中流時代」は、終わりを迎え、
地位や収入が、二極化した社会構造が浮き彫りになっているということだ。
それは健康も、例外ではない。
何を食べるか、どんな生活をするか、そういったある意味では「自己責任」の積み重ねでもある「健康」にも、
所得や経済的な状況の違いによって、格差が生じてきているのだ。
こうした「健康格差」について長年研究を続ける、
千葉大学予防医学センター教授の近藤克則さんが解説する。
「対象者を追跡した調査研究から、所得や学歴、職業などの社会階層が低いと
健康を損ないやすいことが明らかになっています。
低所得の人の死亡率は、高所得の人の2~3倍高い。
低所得の人ほど、多くの病気にかかりやすいとわかっている。
そうした事実を知った上で、何ができるのかを考えることは非常に大切です」
健康は、お金で買える・・・そんな現実に向き合うことで、
病気への対策や健康を維持する方法が見えてくる。
「健康格差」に対するいちばんの処方箋は、知ることなのだ。

☆穀物の摂取量、喫煙習慣、検診未受診…
お金持ちは、高カロリーなおいしいものをたらふく飲み食いするから、生活習慣病になりやすい・・・
こんな話も今は昔。
実際のデータをひもとくと、年収と肥満率は反比例し、年収が低い人ほど、肥満の割合が高いという。
2015年に発表された厚生労働省「国民健康・栄養調査結果」によれば、
所得が600万円以上の世帯に比べて、200万円未満世帯の人は、肥満の割合が高いことがわかった。
問題は、それだけではない。
低所得世帯の人は「穀類の摂取量が多く、野菜類や肉類の摂取量が少ない」、
「習慣的に喫煙している者の割合が高い」、「健診の未受診者の割合が高い」、
「歯の数が20本未満の者の割合が高い」ことも明らかになっている。近藤さんが続ける。
「バランスのいい食事を作ろうとすれば、何種類も食材が必要になるため、どうしても食費がかかる。
金銭的に余裕がないと、食事の選択肢が限られてしまいます。
国民健康・栄養調査によると、低所得の家庭では、野菜の摂取量が少ない。
例えば、安くてカロリーの高いインスタント食品や菓子パンなどですませていると、
自然と野菜の摂取量は減り、穀類の摂取量が増えます」
さらに異常気象によって、野菜価格が高騰すれば、野菜の登場回数はどうしても少なくなる。
家計に余裕がなければ、食卓に野菜を並べるのが難しいことは、容易に想像がつく。(略)
☆子供がいる家庭の場合はさらに深刻だ。
「65歳以上の男女1万9920人を対象に、
子供の頃の社会経済的状況と高齢期になってからの野菜・果物摂取頻度の関連を分析した結果、
子供時代に貧しい家庭で育った人は、高齢期に野菜不足になるリスクが1・4倍と高いことがわかりました。
子供は、親が用意した食事をモデルに育つので、野菜が少ない家庭で育った人は、
成長してからも、野菜不足の食生活を続けてしまいがちです」(近藤さん)
野菜不足の生活を送ることは、肥満になりやすいだけでなく、さまざまな病気のリスクを高める要因にもなる。
「野菜の摂取は、高血圧や脳卒中、大腸がんなどのリスクを下げる効果があります。
血糖の上昇を和らげたり、コレステロールの吸収を抑えたりする効果もある。
つまり、貧困によって野菜の摂取量が少なくなれば、これらの病気のリスクが高くなります」(近藤さん)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
今回、《・・経済的状況による「健康格差」・・》多々教示され、
そして《・・子供時代に貧しい家庭で育った人は、
高齢期に野菜不足になるリスクが1・4倍と高いことがわかりました。・・》私は微苦笑してしまった・・。
私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。
そして私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、 農家の跡取りは長兄であるが、
この当時も幼児に病死することもあるが、 万一の場合は、次兄がいたので万全となり、
今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。
私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心に勝手に感じながら、 いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。
やがて1953年(昭和28年)の3月になると、
前の年から肝臓を悪化させ、寝たり起きたりした父は、 42歳の若さで亡くなった。
そして祖父も跡継ぎの父が亡くなり、落胆の度合いも進み、翌年の1954年(昭和29年)の5月に亡くなった。
どの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹の二十歳前後の未婚のふたりの叔母、 そして長兄は中学1年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、
家は急速に没落なり、生活は困窮となった。
そして私たち子供は母と叔母に支(ささ)えられ、そして親類に見守り中で、貧乏な生活が始まった。
この当時も義務教育は中学校までであったが、PTA(授業料)の会費は有償であり、 確か教科書も有償の時代であった。
祖父が亡くなって後、私は担任の先生から母あてに一通の手紙を渡された・・。
帰宅後の私は母に手渡した後、 『PTA会費・・当分・・免除するって・・』 、
と母は呟(つぶや)くように小声で言っていた。
近くにいた小学5年の次兄は、母の小声の内容を知り、
『いくら貧乏していても・・PTAの会費ぐらいは・・払おうよ・・』
と次兄は怒ったような声で母に言ったりした。
次兄は翌日から下校した後、手入れが余り行き届かない生家の畑で農作物を採り、
程近くに広い敷地にある国際電電公社(現・KDDI)の数多くの社宅に売りに行ったりした。
このお陰で、何とか私は人並みにPTAの会費を支払うことができた。
こうした苦い思いでを私は秘めている。
しかしながら農家の児であったので、
キャベツ、ナス、ホウレンソウ、カボチャなどの農作物は採れたので、幸運にも愛食できたりした。
過ぎし18日、健康診断を受診して、身長は少し縮み167センチ、体重は少し小太りの73・5キロ、
と診断されたりした。
やがて私は、3年前の頃より、少し小太りの人は長生きできます、と学んできたことを、
思い浮かべて微笑んだりした。
余談であるが、本日は小庭の樹木の剪定をしていたので、
投稿時間が平素より遅延した。