夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

八千草薫さんが闘病中、人生の晩秋期の信条を発露され、改めて75歳の私は学び、敬意を深めて・・。

2019-10-30 15:49:03 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、ときおり愛読している公式サイトの【文春オンライン】を見ている中で、
『 【最後の手記】がん闘病中の八千草薫さんは「ちょっとだけ無理をして生きたい」と語っていた 』
と題された見出しを見たりした。

10月28日、女優の八千草薫さんが膵臓(すいぞう)がんに伴い、ご逝去され、
八千草薫さんが闘病中、総合月刊誌の『文藝春秋』の2019年8月号に最後の手記を寄せられ、
今回、ご逝去されたことに伴い、関連の公式サイトの【文春ンライン】に10月28日19時に配信されていた。

私は1970年(昭和45年)4月より、総合月刊誌の『文藝春秋』を購読している身で、
もとより今年の2019年8月号も購読し、八千草薫さんの【最後の手記】も精読して感銘させられたりした。

こうした根底のひとつには、たまたま私の家内が今年の4月に、膵臓(すいぞう)がんが発見されて、
病院で入院している中、開腹手術を受けて、18泊19日の入院生活後、
退院して自宅で生活する中、抗生ガンなどを服用して、指定日に病院に通院している最中であったりした。

何よりも膵臓(すいぞう)がんは亡くなる確率が高く、こうした中、がん細胞の転移を私たち夫婦は恐れ、
これ以前に、女優の八千草薫さんが膵臓(すいぞう)がんを公表されていたので、
何かと私は八千草薫さんの記事に注視してきた。

このような深情を私は秘めてきたので、秘かに八千草薫さんの肝臓がんの動向が気になり、先達の師のように思い続けてきた。

無念ながら八千草薫さんの肝臓がんに伴い、御逝去されてしまったが、
『文藝春秋』の2019年8月号に最後の手記の中で、人生の晩秋期の信条を発露されていたので、
私は再読して、改めて感銘をうけたりしたので、長年の『文藝春秋』の愛読者に甘えて、記事の大半を転載させて頂く。

            

《・・(略)・・昔は「歳をとる」という現象について、深く考えることはありませんでした。
気づいたら20代、30代、40代・・・あっという間に時を刻んでいました。

 
年齢を少し意識するようになったのは、80歳を過ぎてからだと思います。
ペットボトルの蓋が開けられなくなる。
階段を昇るのがしんどくなる。

今まで簡単に出来ていたことが難しくなりました。
舞台で勢いあまって転んでしまったこともあります。

 
こうして振り返ると、自分の体がどんどん変わっていくのを感じます。
否応なく“体力の衰え”という現実を突きつけられると、やっぱりショックを受けますよね。
あーあ、とため息もついてしまいます。

「歳をとる」というのは、皆、経験したことがないですから、いつでも初体験。
未知のものは誰だって怖いでしょう。

 
体力、筋力、思考力が低下していくなかで、不安になることもあります。
でも、どうにもならないことを、うだうだと考え続けるのはつまらない。

それで50歳まで若返るわけでもないですしね。
変わっていく自分をちょっとずつ受け入れていくしかありません。

だから悩みが出てきたときは、「えいっ!」と思い切って、考えること自体を諦めてしまいます。
そうやって楽しく、肩の力を抜いて、歳をとることができればいいなと思っていますね。(略)

            

2018年に「すい臓がん」と診断され、6時間を超える大きな手術を受けることになりました。
それまでも病気の兆候はあり、2017年の春先には「乳がん」が見つかっていました。
でも、それはとっても小さながんだったので、手術も比較的軽いもので済み、その日のうちに病院から帰宅することが出来ました。

なので、すい臓がんは、私が人生で初めてかかった大きな病気だったのです。

 
診断が出たとき、私は意外とショックを受けませんでした。
その時、どんな感情だったのかを表現するのは難しいのですが、「あ、とうとう来たんだ」という感覚でした。
そうやって現実がすとんと、自分の中に落ちてきたのです。

 
もっと若い頃にがんになっていれば、不安を抱えたのかもしれません。
「夢があるのに」「まだまだ生きると思っていたのに」と、悲観的になったかもしれません。

でも、今の私は80歳を超えていて、この先そんなに長く生きる年齢ではない。
寿命がすぐそこに見えているという事実が、私を冷静にさせました。

 
それに、くよくよ悩んだからといって病気は治りません。

「まぁ、病気になってしまったものは、しょうがないな」

 そう思って、日々をしっかりと、精一杯生きていくしかないのだと思います。
決して強がりを言っているのではありませんよ(笑)。

 
(略)歳をとったり、病気になったりすると、周囲の人たちがいろいろと気を遣ってくれるようになりました。
道に段差があると、先回りしてさっと手を差し出されることもしばしば。
ありがたいのですが、「自分で歩けるのに」と、ちょっと嫌な気持ちになることもあるんです(笑)。

 
焦って無理をしすぎると、周りに迷惑をかけてしまう。
逆に、全く無理をしないと人生の可能性を狭めてしまいます。
これからは、欲は持ちすぎず、“ちょっとだけ”無理をして生きていこうと思っています。

 
例えば道を歩いていても、コンクリートで出来た平坦な道はつまらなくて飽きてしまいます。
逆に自然の中のデコボコした道は歩きにくいですが、
「ここに足を置けばいいかな」と考えながら歩けるので、ちょっとわくわくしますよね。(略)

            
 
 主人が亡くなった2007年は、ちょうど結婚50周年でした。

19歳も離れた人と結婚したのですから、当初から先立たれることは覚悟していました。
でも、山登りが趣味だった主人は体がとても丈夫で、
「100歳くらいまでは元気に生きてくれるんじゃないかな」と楽観視していたのです。

それが90歳を過ぎた頃からだんだん元気がなくなって寝込みがちになり、ご飯もあまり食べなくなってしまいました。

 
最期は肺炎で亡くなりました。
その日、私は屋外でのロケが入っていました。
しかも、神奈川・厚木の山奥まで行かなくてはならないので、何時間もかかるお仕事です。

病院の先生は「もう何時間も持たない」とおっしゃるのだけど、ロケを休むことはできません。
深い眠りに入っている主人にそっと「さようなら」とお別れの挨拶をしました。


50年も連れ添っていたのですから、もちろんすごく落ち込みました。
でもある時、「しょうがないな」って思ってしまったのです。

人の寿命は神様が決めるもの。
主人が亡くなった過去は変えられません。

 
今でもふとした時に寂しさはやってきます。
でも、その感情を否定することなく、寂しさと上手く寄り添いながら生きています。

 主人がいなくなっても、私の周りには、彼との「思い出」がたくさん残っています。(略)

            
 
 今、我が家で暮らしているのは猫が1匹、犬が1匹。
そして、庭には毎日小鳥たちがやって来ます。

動物たちとは言葉を交わすことはできませんが、ずっと一緒にいると心が通じ合っているような気がします。
そうでなくとも、なんとか彼らの気持ちを汲み取ってあげたいという気持ちがわいてくるのです。

 
家の庭には、4メートル四方の小さな池があります。
そこにはメダカ、オタマジャクシ、ヤゴなど様々な生き物が暮らしています。

最近はオタマジャクシが小さなカエルになり、池からたくさん出てきてちょこちょこと歩いています。
そういえば、アオダイショウがするすると庭に入ってきたことがあります。
つい1週間前には屋根裏でハクビシンを見つけました。
よその家の猫ちゃんたちは、勝手に遊びに来て、庭で日向ぼっこだけして帰っていきます。

            
 
家の庭からは、些細な四季の変化を感じとることもできます。
鳥が花の種を落としていくので、春には庭のあちこちに花が咲き、夏は雑草が腰の高さにまで生い茂り、
秋には池のヤゴが羽化してトンボが庭を舞うのです。
 

ただ自然の中に身をおいて、四季を感じ、動植物と触れ合う。そんな時間が私にとっては何よりの宝物なのです。
こうしてのんびりと暮らしていると、「ひょっとして、私は人間よりも動物に近いのかな?」と思うことがあるくらいです。


その生活の中で気づいたことがあります。
時間というのは、人間にも動物にも植物にも平等に与えられるものです。死も一緒です。
生きとし生けるものに、確実に訪れます。
私も病気をしたことで、自分の「死」が近づいたことを感じました。

 
ですが、全ての生き物の中で人間だけが、取り返しのつかない過去を嘆いたり、
どうなるか分からない未来を不安がったりしています。

過去や未来のことを心配しても何にもなりません。
どうにもならないことは考えなくていいのです。

 
では何を大事にして生きればいいのか。

 それは「今」です。
1日をきちんと大切に生きるというのが、本当はとても難しい。

目の前のことをごまかして先に進んでも、結局はうまくいかなくなります。
私は「今」というこの瞬間から逃げず、一瞬一瞬を大事にして生きたいです。・・》  

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

            

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。


こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活15年を過ごしてきた。

今年の春、家内は亡くなることの多い『膵臓(すいぞう)がん』に遭遇して、
私たち夫婦のささやかな年金生活が、何かと変貌を余儀なくされて過ごしている。

こうした中、秘かに八千草薫さんの肝臓がんの動向が気になり、先達の師のように思い続けてきた・・。

今回、八千草薫さんが闘病中、人生の晩秋期の信条を発露された数多くのことを、
こうした心構えでお過ごしされましたか・・改めて75歳の私は学び、敬意を深めている。

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