私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが.
昨夕、季節はずれの冷たい雨が降りつづけている時、
敬愛しているシンガーソングライターの中島みゆき女史のことをネットで検索していたら、
驚ろきながら、しばらく深くため息を重ねた・・。
http://miyuki-lab.jp/info/
☆ 『中島みゆき研究所』 中島みゆきファンサイト ☆
私は一時間ばかり、見ていたのであるが、殆ど限りなく網羅されているので、
驚いたのである。
私は遅ればせながら『昭和』から『平成』に変る少し前に、
偶然にカセットテープを聴いて、中島みゆき女史を知ったのである。
このカセットは、私の勤務するあるレコード会社から発売されていたので、
たまたま残っていた試聴用テープを頂いた。
私なりに尊敬しているテレビの脚本家として名高い倉本聰(くらもと・そう)氏が、
初めて映画監督された『時計』のオリジナル・サウンドトラックであり、
各レコード会社が契約している有力な歌手の曲が収録されていたが、
たまたま金子由香利さんの『時は過ぎてゆく』が最初と最後に編成されていた為か、
私の勤めていた会社が発売となった。
このカセットテープの中の一曲に中島みゆき女史の『エレーン』があり、
この『エレーン』に私の魂まで揺さぶられ、少なくとも5年間ぐらい物狂いのように熱愛した。
多くの方が魅了されたアーティストに対し、
初期作品から聴いてみたいと思うように、私の場合も同様だった。
最初のアルバムの『私の声が聴こえますか』から『回帰熱』までのアルバムは、
私は短期間の間で購入し、
多岐にわたる分野を書き分ける才能の豊かさには、圧倒された。
そして中島みゆき女史の綴られた随筆された本も愛読したり、
他の方が中島みゆき女史に関しての評論された本も当然のことながら購入した。
そして、歌詞集も三冊ばかり熱読したり、コンサートは恥ずかしながら一回限りであるが、『夜会 第2回』を観たりしていた。
こうしたことの心情については、このサイトに於いて数多く投稿をしてきたので省略はするが、
熱愛が終わり平熱となった後、
1997(平成9)年の秋に、私は退社後に音楽の販売チェーンに、何気なく寄ったりした。
そしてCDの邦楽アーティストの棚で、中島みゆき女史の並ぶ数多くのCDの並ぶ外れに、
私が知らなかったのがあり、思わず手に取ったのである。
『なみろむ』と題されたCD-ROMの2枚組みの豪華なケース入りであった。
一枚目は『ろむ壱』History&Diarysと明記され、
《○シングル、アルバム、ビデオ、夜会、コンサート、書籍、提供楽曲を収録
○これまでの雑誌インタビュー、対談記事約70点収録
○プロモーションビデオを始め写真等約300以上収録》
そして二枚目は『ろむ弐』Discographyと明記され、
《○デビュー曲『アザミ嬢のララバイ』から新曲『愛情物語』まで全317曲を16bitの高音質で1コーラス収録
○全歌詞を完全収録。歌詞のキーワード検索も可能
○全曲を自動演奏するオートプレイ機能》
このように明記されて、製作・著作・発売元 株式会社オラシオン 7,800円(税別)、
と表示されていた。
私は瞬時、全歌詞を完全収録、魅せられて、
これだったら三冊の歌詞集より何かと便利である、と購入したのである。
そして私は自宅のノートパソコンで、しばらくのあいだ享受した。
このようなことを思い馳せながら、
☆『中島みゆき研究所』 中島みゆきファンサイト☆を見たりていたのである。
ネットの世界は、ウィンドウズ95の発売により、日本でインターネットの普及が始まり、
その後はハード、ソフト面は加速して、日本人の数多くの人たちに享受されていることは周知の通りである。
この間、音楽を取り巻く環境として、携帯電話で音楽を聴いたりすることが普及、拡大となってきた、
そして私が定年退職後には、【YouTube】が日本でも登場し、
利用者の投稿に寄り、ほぼ無制限の世界であるので、
まさにレコード業界の各社がこれまで培ってきた数々の曲が、利用者は無料でも視聴できるので、
まさにパンドラの箱が開けられた、確信させられ、痛感したのである。
こうしたネットで無料でも、情報や曲を聴いたりできるので、
私が驚くよりは、もとより創作されるアーティストの方たちの方が、
この15年間ばかりの激変に戸惑いを重ねたりし、しなやかに対処し音楽活動をしてきたと思われる。
私は居間にある音楽棚の中島みゆき女史のカセット、CD、DVD、そして随筆、歌詞集を眺めながら、
ネットの世界はどこまで進めば・・と思いながら、
余りにも安易に頼ると、脳裏の働きが鈍くなり想像力が欠如する人たちが増えるのかしら、
と齢を重ねた私は思ったりした・・。
尚、私が女史という敬称を使用するのは、
女性の中で、私が深く感銘を受けた社会的地位や名声のある女性に対し、敬愛をこめて使用している。
たとえば、『中島みゆき氏』では、何かしら固苦しく他人行儀のような心持ちであるし、
『中島みゆきさん』では、敬愛していても直接にお逢いし言葉を重ねた人でないので何かしらおかしく、
まして私より齢下のお方であるので、『中島みゆきちゃん』・・馴れ馴れしく失礼であるし、
『中島みゆき』などと呼び捨てにするのは論外と思ってきたのである。
やむえず、『中島みゆき様』と照れ隠しのように綴ったりする時ある。
このような思いで、『中島みゆき女史』、私の心からしてびつたりと確信したのである。
昨今の社会風潮の一部に於き、気性の勝った女性をからかい気味に言う時にも用いられる、
と何かの本で読んだことがあるが、
こうした解釈をされる方は、特に平成の初めの頃から社会が劣化した風潮の中で、
薄まった文化しか学んだことのない人である。
href="http://www.blogmura.com/">
昨夕、季節はずれの冷たい雨が降りつづけている時、
敬愛しているシンガーソングライターの中島みゆき女史のことをネットで検索していたら、
驚ろきながら、しばらく深くため息を重ねた・・。
http://miyuki-lab.jp/info/
☆ 『中島みゆき研究所』 中島みゆきファンサイト ☆
私は一時間ばかり、見ていたのであるが、殆ど限りなく網羅されているので、
驚いたのである。
私は遅ればせながら『昭和』から『平成』に変る少し前に、
偶然にカセットテープを聴いて、中島みゆき女史を知ったのである。
このカセットは、私の勤務するあるレコード会社から発売されていたので、
たまたま残っていた試聴用テープを頂いた。
私なりに尊敬しているテレビの脚本家として名高い倉本聰(くらもと・そう)氏が、
初めて映画監督された『時計』のオリジナル・サウンドトラックであり、
各レコード会社が契約している有力な歌手の曲が収録されていたが、
たまたま金子由香利さんの『時は過ぎてゆく』が最初と最後に編成されていた為か、
私の勤めていた会社が発売となった。
このカセットテープの中の一曲に中島みゆき女史の『エレーン』があり、
この『エレーン』に私の魂まで揺さぶられ、少なくとも5年間ぐらい物狂いのように熱愛した。
多くの方が魅了されたアーティストに対し、
初期作品から聴いてみたいと思うように、私の場合も同様だった。
最初のアルバムの『私の声が聴こえますか』から『回帰熱』までのアルバムは、
私は短期間の間で購入し、
多岐にわたる分野を書き分ける才能の豊かさには、圧倒された。
そして中島みゆき女史の綴られた随筆された本も愛読したり、
他の方が中島みゆき女史に関しての評論された本も当然のことながら購入した。
そして、歌詞集も三冊ばかり熱読したり、コンサートは恥ずかしながら一回限りであるが、『夜会 第2回』を観たりしていた。
こうしたことの心情については、このサイトに於いて数多く投稿をしてきたので省略はするが、
熱愛が終わり平熱となった後、
1997(平成9)年の秋に、私は退社後に音楽の販売チェーンに、何気なく寄ったりした。
そしてCDの邦楽アーティストの棚で、中島みゆき女史の並ぶ数多くのCDの並ぶ外れに、
私が知らなかったのがあり、思わず手に取ったのである。
『なみろむ』と題されたCD-ROMの2枚組みの豪華なケース入りであった。
一枚目は『ろむ壱』History&Diarysと明記され、
《○シングル、アルバム、ビデオ、夜会、コンサート、書籍、提供楽曲を収録
○これまでの雑誌インタビュー、対談記事約70点収録
○プロモーションビデオを始め写真等約300以上収録》
そして二枚目は『ろむ弐』Discographyと明記され、
《○デビュー曲『アザミ嬢のララバイ』から新曲『愛情物語』まで全317曲を16bitの高音質で1コーラス収録
○全歌詞を完全収録。歌詞のキーワード検索も可能
○全曲を自動演奏するオートプレイ機能》
このように明記されて、製作・著作・発売元 株式会社オラシオン 7,800円(税別)、
と表示されていた。
私は瞬時、全歌詞を完全収録、魅せられて、
これだったら三冊の歌詞集より何かと便利である、と購入したのである。
そして私は自宅のノートパソコンで、しばらくのあいだ享受した。
このようなことを思い馳せながら、
☆『中島みゆき研究所』 中島みゆきファンサイト☆を見たりていたのである。
ネットの世界は、ウィンドウズ95の発売により、日本でインターネットの普及が始まり、
その後はハード、ソフト面は加速して、日本人の数多くの人たちに享受されていることは周知の通りである。
この間、音楽を取り巻く環境として、携帯電話で音楽を聴いたりすることが普及、拡大となってきた、
そして私が定年退職後には、【YouTube】が日本でも登場し、
利用者の投稿に寄り、ほぼ無制限の世界であるので、
まさにレコード業界の各社がこれまで培ってきた数々の曲が、利用者は無料でも視聴できるので、
まさにパンドラの箱が開けられた、確信させられ、痛感したのである。
こうしたネットで無料でも、情報や曲を聴いたりできるので、
私が驚くよりは、もとより創作されるアーティストの方たちの方が、
この15年間ばかりの激変に戸惑いを重ねたりし、しなやかに対処し音楽活動をしてきたと思われる。
私は居間にある音楽棚の中島みゆき女史のカセット、CD、DVD、そして随筆、歌詞集を眺めながら、
ネットの世界はどこまで進めば・・と思いながら、
余りにも安易に頼ると、脳裏の働きが鈍くなり想像力が欠如する人たちが増えるのかしら、
と齢を重ねた私は思ったりした・・。
尚、私が女史という敬称を使用するのは、
女性の中で、私が深く感銘を受けた社会的地位や名声のある女性に対し、敬愛をこめて使用している。
たとえば、『中島みゆき氏』では、何かしら固苦しく他人行儀のような心持ちであるし、
『中島みゆきさん』では、敬愛していても直接にお逢いし言葉を重ねた人でないので何かしらおかしく、
まして私より齢下のお方であるので、『中島みゆきちゃん』・・馴れ馴れしく失礼であるし、
『中島みゆき』などと呼び捨てにするのは論外と思ってきたのである。
やむえず、『中島みゆき様』と照れ隠しのように綴ったりする時ある。
このような思いで、『中島みゆき女史』、私の心からしてびつたりと確信したのである。
昨今の社会風潮の一部に於き、気性の勝った女性をからかい気味に言う時にも用いられる、
と何かの本で読んだことがあるが、
こうした解釈をされる方は、特に平成の初めの頃から社会が劣化した風潮の中で、
薄まった文化しか学んだことのない人である。
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