やっと「プレミアムルビー」が色付きました。
三月に種子を蒔きましてね、ようやくミニトマトが出荷出来るようになりました。「昔のトマトやピーマンは青臭かった。」とか「昔のトマトは美味しかった。」とか、味(食感)というものは千差万別の主観であるから、「昔の」という表現ってぇのは一体何なんだろうと考える。箱詰めや輸送手段の進歩によって、トマトの食感も大きく変化したはずである。少々青く硬い状態で収穫しても、トマトの色素であるリコピンは、後から発色してくれる。そんな訳だから、昔は少々硬めの状態で出荷していたのではなかろうかと勝手に思っております。それが青臭さの原因だったのではなかろうかと。最近、流通している「桃太郎」は、果肉の硬い品種であり、赤く熟しても実持ちの良い品種だから、「真っ赤な完熟トマトは美味しい。」と思い込まされているのではないかなんてね。一方、「昔のトマト風」に樹上完熟させると果肉も柔らかくなり、その食感が美味しいと言う方もいらっしゃれば、我が長男『ポン太郎君』のように、その食感が嫌いであるという方も少なからずいらっしゃる野菜でありますよ。こちら山形では、昔、トマトに砂糖をかけて食べたり、塩をかけて食べたりする習慣もありましたから、恐らく「昔のトマト」の糖度はさほど高くなかったのではないかと思います。そうそう、小学校からの同級生がトマト嫌いでありまして、給食を残せば先生に怒られるから、そのままトイレ(ポットン)に捨てたという猛者がおりました。今では笑い話で語られるけれど、それほど先生に怒られるのも嫌であり、それほどにトマトも嫌いだったに違いない。腹を空かせている『おやじぃ』なら、代わりに食べてあげただろうにねぇ^^;
親に知られることの方が辛かった^^;
昔の悪ガキは、親から「先生に言いつけるぞ!」と脅され、先生に怒られると、親切な同級生が親に注進してくれるから、また、親に怒られるという負の連鎖があった^^; 「言ったところで分からないから殴るのだ。」なんて言ったら、暴力教師と言われてしまうから、今では、親も先生も恐い存在では無くなったに違いない。給食だって無理強いされることは無くなったなずだから。(まだ、一部の勘違い先生もいらっしゃるようですけれど。)それでもね、子どもたちが野菜嫌いにならないような野菜を作りたいとは思っておりますよ。我が家のトマトは、樹上完熟を目指し、裂果するギリギリのラインまで実を着けさせている。最低でも糖度計で9度はあると思いますよ。(放置しているとは言わないところが素晴らしい^^;)ウソのないところの商売をしたいとは思っているのでありますけれどねぇ。
さて、「恐い先生」が居なくなった現在、人々の怖い存在とは何なんでしょうねぇ?昔なら「地震・雷・火事、オヤジ」…その「オヤジ」さえ、子どもたちにはフレンドリーでありますから^^; おうおう、居りましたおりました。「先生」の職業が違うだけでありますよ。『代議士先生様』、特に官邸という伏魔殿に潜む「先生方」は恐い存在でありますなぁ。分かり切っていることを強引に進める…嫌いな人に、健康に良いから嫌いなトマトを食べさせ、「親日的で無い人がオリンピック開催に反対する。」と国民を選別する。自分たちの主義主張に同感出来ない者たちは、反日派なのだろうか?(お国のために税金ちゃんと払っているけれど…。)長男『ポン太郎君』は、トマトを食べないから反日派である…かなり無茶な論理である。「いいか!トマトを食べないと反日派のレッテルを貼られるから、無理しても食べるのだ!」「同調圧力には素直に従いなさい。」「とにかく先生方の言うことを聞いていれば、安全安心は確保できるのだよ。」…本当かなぁ?それこそ昔流行した「それは真っ赤なトマト(嘘)」というレベルだわ(笑)