突然の死を認識していないに違いない。
「東京都のコロナ新規感染者数は9日連続で前の週を下回る。」(ヨシヨシこの調子!)しかしである。6月30日の新規感染者数は673名に対して、昨日は2,909名で4倍強…毎日の数値が大きく成り過ぎて、数字に対する感覚がマヒしてしまっていますよ。
「ようやく第5波のピークアウトか?(楽観論?)」「まだまだ予断を許さない!(慎重論)」「重症者数は後からからピークを迎える。(悲観論?)」とまぁ、人によって様々な受け止め方がある。何とかこの難局を乗り切りたい…これだけは世界共通の願いであるとは思うのだけれど。
しかし、この国の『政治屋さん』というものは、どうしてこうも「権力の座」にこだわるのか?そりゃそうだよね、『猿は木から落ちても猿だけど、議員は選挙に落ちたら只の人だから。』(って誰かが言っていた^^;)歳を重ねて「出処進退を決める。」「第一線を退く。」のは頃合いが重要かも…「まだまだ現役として頑張ってください。」なんて社交辞令を頂いている内が華であり、その気になってポストに留まっていると「老害」などと揶揄される。昆虫の場合、神経節がそれぞれの器官を司っているから、おそらくは鳥につつかれて欠損した腹部であっても、前脚だけは動いている…外野席から見れば、既に「死に体」なのだけれど、そのことさえも気付かない。(昆虫に意識があればということですが…。)
昆虫と政治屋さんを比べてもねぇ…
「若手の台頭」「世代交代」を望んでいると言いつつ、我が身については「まだまだ大丈夫」と、当てにならない自信(過信)を持っている。というより、「過去の人」とか言って「忘れ去られてしまう」ことが怖いのかも知れない。ベテランと称される(高齢者では失礼か?)のは、培った経験を糧にして、的確なアドバイスが出来ること…しかし誰もが経験したことの無いパンデミックに直面すると、蓄積された知識も役に立たず右往左往することになる。(これは「専門家」と称される方々も同じだわ…異論百出だもの。)これは自分自身にも当てはまること^^;
はてさて、『失われた30年』そして、この悶々とする日々は誰のせい?結局のところ、時々の選択(選挙)にお付き合いしてきた『おやじぃ』たちの責任ではないかと我に返る…「誰がやっても同じこと。」という台詞を吐きながら、現状を追認している自分が居る。
今、確実に断言できること…「ウイルスによって人類は死滅しない。」なぜなら、「宿主となる人類が全滅すれば、ウイルスも存在出来なくなるから。」…かなりの極論ではある。「ならば政治屋さんも死滅しない。おバカな『おやじぃ』がまだまだ存在しているから。」…だからこそ、いや、今こそ若者たちが立ち上がる時じゃないかなぁ。自分自身の将来を決するのだから。ならば、第一線を退いた『おやじぃ』は、「近頃の若い者は…。」なんてね、使い古された言葉で批判しているかも知れないな(笑)