その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

「共生社会」の実現…

2021-09-06 10:20:56 | 転職

アブラムシとアリも共生関係のモデルですが…

「東京パラリンピック」も無事に閉幕しましたけれど、「共生社会の実現」に向けて公共施設などのバリアフリー化を進める上では少しは追い風となったような気もします。
生物学なんぞを少々かじり、生物学上の『共生(英:Symbiosis)』の概念をひも解くと、「複数種の生物が相互関係を持ちながら同所的に生活する現象」を指し、一般的に頭に浮かぶ「相利共生(互いが利益を得る場合)」だけでなく、「寄生(片方のみが利益を得、相方が害を被る場合)」も含めた利害関係性を意味している。根底には「複数種の生物が…」つまり「自己と非自己(他己)の識別」という概念が存在しなければならない。
「わきまえた」私を含む多くの大人たちの目と違って、多くの子どもたちの目は正直であり、時には残酷(大人の感覚)でさえある。「肉体的な欠損」「肌の色」「言葉の違い」を見抜き、指摘し、「何故?」という言葉まで発してしまうのだから…そして、多くの大人たちは、慌てふためき口を塞がせるのでありますよ。
でもなぁ、「自分ではない複数の他人が居る。」という当たり前のことを、受け入れることが出来なければ、「共生社会の実現」なんて夢のまた夢になってしまうかも?なんて考えさせられるようになりましたよ。


どこかに「同情」の気持ちがないかい?

「やればできる!」なんてぇのは、一部の強い人間の発する言葉であって、出来ない者には「やっぱりできない。」のだよ。視力をほとんど失いかけた祖母は、自室からトイレまで壁を手探りしながら、用を足そうと試みていた。まだ『ぽっとん便所』であり、『段差アリー』の我が家であったけれど、『寝かせきり』となるまでは、段差を解消することには反対した。(長年の彼女の「勘」が狂ってしまうから…。)車椅子生活をするようになった我がお袋の場合は、トイレの改修(様式化)や段差解消を試みたものの、決められたスペースの中では限界もあった。やっぱり、個人宅で出来るは予算(お金)やスペースの問題もありましてね。
さて、年々肉体的にも衰えていく我が身や我がオッカーの場合はどうなることやら…「弱肉強食」なんて言葉もあるけれど、「片利共生(片方のみが利益を得る場合)」かな?「食われる者(草食動物)」も増え過ぎれば、食べ物(草)もいつか無くなってしまう訳ですしね。この世の中、微妙なバランスを保って成り立っている。大体、「強い者」「弱い者」なんて誰が線引きしたのかね?
キュウリの葉についた「アブラムシ」に、『おやじぃ』は殺虫剤を振り掛ける…「アブラムシ」との「共生」なんてあり得ない!と言いつつ、「アブラムシ」は「抵抗性」という武器で対抗してきますから^^; それぞれが「生き残る」ために「相利共生」を目指したとしても、どこかに「害」を被る者たちがいる。だから永遠の課題であるし、その現実にも目を向けなければならないのかも知れないなぁ。(今朝は結構真面目^^;)

コメント
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