甘いのは『おやじぃ』の考え方ですが^^;
大相撲秋場所も横綱「照ノ富士」の優勝で終わりました。(ネットでは、横綱 白鵬引退か?なんて記事が流れていますがホント?)大相撲の大ファンと言う訳でもないのだけれど、NHKから流れれば、ついつい幕内後半戦を観てしまうのであります。(丁度、晩酌の時間に重なっているから^^;)
さて、常々感じていること…「土俵の高さ、高過ぎませんかねぇ?」地面から土俵の俵までの高さは60㎝あるんだとか。「ケガをするのは、身体の鍛え方や基礎運動が足りないから。」と昔ながらの考え方でコメントされる親方もいらっしゃるようでありますが、平成の始まりである1989年の初場所での幕内力士の平均体重は147.4㎏で、約30年後の2018年秋場所では164.3㎏(参考:日本経済新聞)だったとか。平均身長はほとんど変わっていないから、「大型化」=「太った」ということなんですかねぇ。
膝のサポーターや装具、喘ぐ息(心臓への負荷)を観ていると、職業とは言え、かなり不健康な業態だよなぁなんて無責任に考える。丸い土俵が作られるようになったのは、江戸時代とのことだから、神代の代まで遡るということでも無いようなのだけれど、神の降り立つ所だから「神聖」な場所であるらしく「女人禁制」が頑なに守られておりますけれどね…ならば『八百万の神のボス』である「天照大神」はどうなるのよ?なんて捻くれたことは言わないようにしよう。元々、矛盾だらけの「伝統」を「伝統」として引き継ぐ方々がいらっしゃるのだから^^;
「伝統は伝統として引き継がれるべきである!」ホントかい?
さて、突然、話題が飛んで「選択的夫婦別姓制度」…自民党総裁選も終盤に入り、これまた賛否色々あるよいうでありますが、『おやじぃ』夫婦は、何のためらいも無く(そう思い込んでいる^^;)オッカーは『おやじぃ』の姓を名乗っております。旦那の姓を名乗る(結婚する)ということが幸せと感じた世代であったとも言える。明治時代に「民法」が整備されて、妻は夫の姓を名乗ることが義務付けられ、戦後に両姓どちらの姓を名乗っても良くなったという制度だから、これまた『古びた伝統』ということでもなさそうである。反対論者の中には「家族の一体感が失われてしまう。」と他人様の家庭事情まで心配してくださる向きもあるのだけれど、30年以上も暮らしていますとねぇ…一体感というよりは「惰性」で暮らしているような要素もありますけれどねぇ^^;
「戸籍」だって、今では夫婦単位(夫婦と未婚の子ども)で作成されている訳で、「〇×為助と〇✕花子の子が婚姻により入籍。」などという記載も残る訳だから、事務的にも煩雑になるとも思えないけれど…。結局のところ、『伝統』を「変えること」「変わること」への拒絶感の方が大きいような気もしますけれどねぇ。何でもかんでも「新しいもの」に変えていくことが良いとは思いませんし、変化について行けないお年頃でもある。「田舎暮らし」なんぞしていると『伝統』という慣習・雑事に振り回されることが多いもんでねぇ…むしろ、ぬるま湯が熱湯に変えられつつあるということに気付かない鈍感さの方が怖いような気もしますけれどね(笑)