踏んだのか?踏まなかったのか?
夕刻のニュース報道を見ながら、友人『イチオ君』が「免許証更新に年齢期限を設けたらどうだろう?」とポツリとひと言。彼は早くに両親を亡くしているから、年老いた親に免許証返納を勧めるという経験はしていない。かく言う『おやじぃ』も亡くなる直前まで免許証更新を気にしていた親父に「返納」を進言することは無かった。「自爆して事故死するのは自己責任。ただし、他人様を巻き込んだら、一家は立ち行かなくなる。」そんな暴言?を吐いてはいたけれど。(高齢者ドライバーを抱えるご家庭の息子、娘は、共通してこんな言葉を日常的に発しているらしい。)
「自分は大丈夫!」という当てにならない確信があり、「自分もいずれは高齢者ドライバーに仲間入りする。」という視点が欠けている。日常的な買い物や通院をどうすれば良いのか?不便であるという回答が必ず返ってくる…「保険料、ガソリン代、車検費用を考えれば、タクシー利用も贅沢とは思えないのだけれど。家族(若い衆)に気がねする必要もないのに。」これまた、若干若い世代の共通した言葉である。思い立った時に、待たずに(即時に)移動したい…特に、公共交通機関のぜい弱な地方の生活では、自家用車は日常の足である。そう簡単に手放せるものじゃないよなぁ。(その部分は理解できる。)
誰しも「限界」なんて認めたくないもの…
「池袋暴走事故」…判決内容は『他人事』であり、勝手なコメントをしようとも思わない。しかし、交通事故は『自分事』である。どんなに慎重に運転していても事故に巻き込まれ、事故を起こしてしまうことはある。老若男女に関わらずである。
総てが身の回りで起こっていることではあるのだけれど、「自分だけは大丈夫!」という当てにならない確信はどこから来るのだろうか?(『おやじぃ』だって、自分が事故を起こすとか事故に巻き込まれるなんて思いながら、常にハンドルを握っている訳ではありませんから…。)『他人事を自分事に置き換える。』と言うのは易いけれど、やっぱりどこか『他人事』なんですよ。他人の行為は、コメントで叩くけれど、自分の行為に対しては結構甘いから…。
「〇✕さ~ん!いくつになったけ?」…「満で78歳。」「免許証返納すると不便だべ?」…「これで結構、頭があちゃこちゃだから。(滅茶苦茶だから)」今年、免許証を自主返納したご近所の婆さんを車に乗せて買い物に付き合った際の会話でありますよ。帰りしな「デマンドさん!料金いくら?」…「これで料金取ったら高い買い物になっちまうべ。それにタクシーの運転手さんに恨まれる^^;」
子どもの頃の買い物のお使いが、これからは車に乗せると言うお使いに変わったりしてね…これもまた、そんなに遠くない将来訪れるであろう『自分事』。老化は「目に来た、歯に来た、足に来る?」認めたくないけれど、これが現実の姿でありますなぁ(笑)