見事な「孟宗竹」…昨年のこと^^;
「孟宗」は中国三国時代の呉の政治家…『二十四孝』の一人として挙げられているらしい。そんな孝行息子が「タケノコが食べたい。」という母の願いに、天に祈りながら冬の竹林を掘って出て来たのが「孟宗竹」なんだって…「孟宗」を語る『妄想』の逸話でありますなぁ^^;
『二十四孝』の人物をググってみると「老莱子」なる人物も出て来て、彼の場合は70歳を過ぎても子どものような振る舞いをしたなどと言われているようでありますよ。成長して「親に心配をかけない。」というのも孝行であるけれど、「まだまだ子どもで私が居なければ…。」などと思わせるのも立派な『親孝行』の内かいなどと笑いもこみあげて来る。『孝行話』は、息子(何故か娘が出て来ない^^;)の自己犠牲的なお話を美化されている部分が多分にあるから、立派な人物に育てるためには、『息子』どもに語り聞かせなければいけないのかも知れない…娘は常に親思いである。(言いなりになる?)ここは『男尊女卑』などと噛みつかないでくださいな。中国の古い教訓話ですから(笑)
いつの間にか呑兵衛オヤジになっている^^;
歳を重ねて、いつの間にかオヤジになっている。立ち上がる際には「ヨイショ!」っと声を出すようになってしまったけれど、娘、息子に手を差し延べられたら、その手をバカにするなと振り払うに違いない。ましてや「席をどうぞ。」などと公共交通機関で席を譲られたなら「オジサンは大丈夫。」などと折角の善意を断ってしまうかも知れない。(この場合、勇気をもって声掛けしてくれるのだから、善意は素直に受けるべきとも思うのだけれど…。)
はてさて、『おやじぃ』も『微妙』な年齢になってしまったことよ。『親孝行』はするもので、『親孝行』をされる立場になったことがないもの。(誰だって、夫になり、親になり、親孝行される立場になるのは未経験ゾーンのはずではありますけれどね^^;)「老莱子」のように、「まだまだ、オラが居なくては…。」と思って動いている内は良いけれど、「ああ、オラの役目もそろそろ終わりかな?」などと思い始めたら、一気に老け込んでしまうかも知れない。娘よ息子よ、もう少し『おやじぃ』に心配をかけさせてください…「孟宗竹」を見ながら「妄想」を繰り広げる『おやじぃ』でありましたとさ(笑)