その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

「免責」ですよねぇ^^;

2022-08-21 08:36:03 | 転職

伝票書くのも、ひと苦労^^;

我が集落も高齢化が進んでいる。(当然^^;)後継者が居ない場合もあれば、早々に若夫婦が新居を構え、別の場所で生計を立てることも…それはそれで、時代の流れというべきでしょうかねぇ。集落戸数は微減…空き家が一戸だけだから、まだまだ恵まれた地域なのかも知れませんけれど。集落役員(会計)を仰せつかって、初めに気付いたのが「公民館」の損害保険の補償額が低額過ぎること。万が一の場合、再建しようにも金額が不足する。後継者(若者たち)が居て、もしもの場合は「借金」してでも…となれば、それはそれで良いのだけれど、第一線を退いた方々が多いから、そんな勢いもありますまい。昔に比べれば、公民館の活用頻度は落ちているのだけれど、防災施設や集会場としての役割は大きいんですよ。
昔は公民館を『お蔵』と呼んでいた…地元の奉行(米沢藩)がコツコツと私財を貯めて、『お備蔵』として建造したのが始まりで、おかげ様で「天保の飢饉」では餓死者を出さなかったとも言われる、由緒ある『お蔵』でありますよ。失火など余程のことがない限り、まだまだ大丈夫と思っているのではありますが、さすがに、屋根が…床が…基礎が…と経年劣化は否めない。当面は、屋根ですかねぇ。(垂木の一部が折れている。)風雪害のオプションを付加して、契約変更をしてみたのでありますけれどね。(当然、役員会や集落民への説明を行った上での判断でありますけれどね。)
最近は、風雪害のオプション付加とともに「雨樋を直しませんか?」などという商売が横行しているようでありますよ。我が家にも、経年劣化でボロボロになった「雨樋」を見つけて営業に来た「塗装屋さん?」もおりましたけれど…「経年劣化で壊れたモノを、今年の雪害を理由に直すって…保険金詐取じゃないの?」まぁまぁ、良からぬ商売を考える方もいらっしゃるようである^^; そんな訳で、折れた「垂木」は事前に見て(評価)していただいておりますけれどね。


これで百年は安心?

まさか、百年以上持った家屋だから、これからの百年も大丈夫などとは思っておりませんけれど、いつかは建替えの時期がやって来るに違いない。(そこまで集落が維持されるかという問題の方が先かも知れない^^;)だから、そんな先のことを考えていても仕方がない。そうして、若者たちに問題を先送りするのは、お国の方向性と同じかも知れませんなぁ^^;
さて、保険と言えば、あの細かい字で書かれた契約約款…一般的な災害は保険が出ると信じているから、『保険屋さん』を信じて約款を読むということはないのではなかろうか?(『おやじぃ』も一度挑戦したことがあったけれど、途中で断念してしまった^^;)「放火」…故意による放火は別にして、第三者による放火に関しては、原則保険金は出るようである。建物保険と並ぶ「自動車損保」の場合は…「飲酒運転」…貰い事故の場合は補償されますけれどね、飲酒運転の当事者は「重大な法令違反を犯した者」として制限されるんですなぁ。当然といえば当然なのだけれど、自損事故で大怪我をしても保険も出なければ、医療保険も使えない。自業自得なのだけれど、弁済、自身の治療費が多額になった事例も知っているから、ホントこれだけはやめた方がよろしい。「戦争、内乱、武装反乱etc.」…まさか日本で…これまた補償されませんわなぁ。理由は、保険会社が保険金を支払うことが著しく困難になるような甚大な被害になる可能性があるからなんですと…。自力復旧が原則になるんですかねぇ…かつて、ウルトラマンによって破壊された家屋に保険は適用されるか?などという話題もありましたけれど、正義のヒーローも損害賠償請求の対象になる^^;
平和な世界に生きているからの妄想でありますが、取り敢えず「役員」としての責任は「免責」していただけそうでありますよ(笑)

#戦争反対 破壊された街並みの映像を見て、復旧、復興を考える。やっぱりバカげた光景でありますよ。

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あれれ?問題の本質は?

2022-08-20 08:47:11 | 転職

お地蔵様の表情が穏やかで…

お地蔵様(地蔵菩薩)は、お釈迦様が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済されることをお釈迦様から委ねられたようでありますなぁ…。「菩薩信仰」というものを『おやじぃ』は良く知りませんが、「お地蔵様は子どもの守り神である。」と祖母が教えてくれたことだけは良く憶えている。我が家の菩提寺の参道脇にも赤い頭巾を被った地蔵堂がありましてね、「子どもの守り神」という言葉を信じて、通るたびに手を合わせている。「親より早く子どもが死ぬと、親孝行の功徳も積んでいないことから、三途の川を渡れずに、賽の河原で鬼のいじめに遭う…そんな幼子に仏法を聞かせて成仏の道を開いてくれる。」という逸話が元になっているとは思うのでありますが、我が祖母も四人の幼子を亡くしておりましてね、残った5人の息子たちもさることながら、失った子どもたちを最期まで気に掛けておりましたよ。こうした逸話に対して『科学的にどうか?』などと論じてみても仕方がない。祖母は『心の救済』を求めていたのだから、それはそれで良しとしよう…。さて、『おやじぃ』はといえば、「お地蔵様は子どもの守り神である。」という言葉を信じて手を合わせているのだから同じようなもの…親(祖母)の影響は大きいものよと今さらながら感じております。
はてさて、連日報道される政治家と宗教団体との関係…『救済(票)』が欲しくて近づき、『お手伝い』いただいたということでしょう。『問題の本質』は、宗教団体に有利な働きかけなど、宗教によって政治が歪められてしまったか?ということであって、「反社会勢力である。」とか「被害者を救済しなければならない。」という宗教団体が抱える問題点とは切り離して論じないと、『宗教結社の自由』と言いますか、マスコミが創り出した『正義の踏み絵』を踏まないと政治家としてどうよ?といった論調にうんざりしてきた。『一般的な常識』でおかしいと思っても、未だ信じて疑わない方(信者)がいらっしゃる訳で、『魔女狩り』的な手法に少々疑問を感じているのですよ。


サルスベリには「不用意」という花言葉もある^^;

一方、新型コロナ新規感染者数は…山形県でも連日、過去最多を記録しております。以前に比べて「重症化率」は低いと言われておりますが、感染者数が増えれば「重症者数」は必然的に増えて来る。医療ひっ迫を防ぐために「全数把握」を改め「定点把握」にする…確かに、ひとつの策ではあるのだけれど、これまた、『問題の本質』から次第に離れて行くような気がしてならないのでありますよ。既にこれだけの感染者数になると、保健所による追跡調査や医療機関への振り分けは不可能の域に達しており、押しなべて「軽症だから自宅療養で良し。」という訳にもいかないのではないかと思うんだけれどなぁ…。「軽症であっても、不安ならば医療機関で受診できる。」それが安心というものであり、『国民の命を守る』ということだったんじゃないかと…。
国会の閉会中審査の状況を見ていると、野党の皆さんは「定点把握」で医療機関の負担軽減を求めていらしゃるようだけれど、「あの時、しっかり調査していれば良かった。」なんて、いわゆる『ブーメラン効果』が起きないだろうかなどと心配してあげておりますよ。「全数把握」にしても「定点把握」にしても、統計のサンプリング手法の違いだから、『確からしい現状』の推測は可能ではあると思うのではありますが、感染者数を減少させるという『問題の本質』には影響しないのでは…感染者総数が増えれば、自主的な行動制限が起こるとは思いますけれどね。
もう、どこで感染してもおかしくない現状の中で、どう対処するか…政治家に求められているのは、『踏み絵』を踏んで身の潔白を示すことよりも、責任を持って方策を練り決断することだと思うのだけれど。

#戦争反対 国防も重要だと思いますよ…けれどね、宗教と感染症で右往左往していなければならないとすれば、『国民を守る』ことなど出来ないと思うのでありますよ。

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白河の関越え

2022-08-19 08:49:09 | 転職

コスモスの花言葉は「乙女の純真」^^;

全国野球選手権もベスト4が出揃い佳境を迎えております。猛暑の中で繰り広げられる試合に『狂気の沙汰』と批判する向きもありますが、結局のところ高校生球児の熱闘の前に、そんな批判の声もどこかへ消え去ってしまう。部活のひとつでしかないのだけれど、強弱はあれ全国の球児は「甲子園」を目指す。「甲子園」が競技条件の良いドーム球場へ移ったら…その熱は一気に冷めてしまうのだろうか?野球をしない『おやじぃ』には分からないけれど、「甲子園」を目指す球児にとっては『聖地』なのかも知れませんなぁ…。そんな『おやじぃ』もベスト4に東北地方の2校が残ったことを喜んでいる。山形県民であって、東北地方と一括りにされることを嫌うくせに、こうして東北勢の活躍を目の当たりにすると何故か『同郷意識』が湧いてくるから不思議な現象でありますよ^^;
そして、必ずと言っていいほど「深紅の優勝旗は『白河の関』を越えられるか…。」というフレーズが飛び交うのでありますよ。(2004年には、白河の関どころか津軽海峡を越えて駒大苫小牧高校が優勝しておりますけれどね^^;)「白河の関」は、「鼠ヶ関」「勿来関」とともに古代奥州三関のひとつ。古くは「白河以北一山百文」と言われたように、奥州は価値のない場所だったのでありましょうかねぇ…。高校野球の優勝校を調べてみたら、何と記念すべき第1回大会(1915年)で秋田中が準優勝している。『おやじぃ』の記憶に残るところでは、第41回大会(1969年)に太田投手を擁した三沢高(青森)に始まり、以降、東北勢7校が準優勝しているんですなぁ。(当然、山形県の記録はない^^;)今回の準決勝では東北勢がぶつかるから、どちらかが丁度10度目の挑戦ということになりますよ。『熱狂』している訳でもありませんが、夏の季語ともなっている「甲子園」が終われば、いよいよ秋本番となって参りますよ^^;


ダレている場合じゃないんですけれど…

「日本の一番長い日」の著者である故)半藤一利さん(2021年没)は、「①国民的熱狂をつくってはいけない。」と教訓を残されているようである。(残念、その著作は一切読んでおりません。)「国民的熱狂は戦争を引き起こす。」と誰かが言っていた記憶のようではあるけれど…。今では、「東北地方が遅れている。」などという気持ちも無いのだけれど、どこかに下に見られてきたという意識が残っているのも事実。ネガティブに『遅れている』とひとつ一つ数え上げるよりも、ポジティブに『ここが優れている』と数え上げられるようになったこともあるかも知れない。『白河の関越え』もそのひとつ。東北勢のレベルは着実に上がっているとポジティブにとらえる…もし、『白河の関』を優勝旗が越えたなら、そりゃ~県民のみならず東北地方は『熱狂』するに違いない^^; そうねぇ、自分事では無いはずなのに『熱狂』する心は『おやじぃ』にも潜んでいるのでありますよ。
はてさて、『政治屋さん』が某宗教団体と関わったと一斉に叩かれ、コロナ禍にあっては『行動制限のない夏』と煽られ、新規感染者数の全数把握は定点把握へとマスコミ報道が続く。(科学的エビデンスなんて、どこへ行ってしまったのだろう?)見事に『おやじぃ』も誘導されておりますなぁ^^; 『コロナ疲れ』『戦争報道疲れ』『不満のはけ口』etc.…半藤一利さんの教訓は、「②最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。」「⑤すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。」と続くようでありますよ。日々の『疲れ』と『不満のはけ口』を自分の外に向けさせる。『情熱』と『熱狂』は違うんだよなぁ…『情熱』が失せかけている夏、異常なまでの『熱狂』に巻き込まれないようにしないとなぁ。

#戦争反対 予備費のやり繰りだけ(行政)だけで、国会(立法)が開催されないなら、議員さん必要ないじゃん。無駄な議論と言わずに意見を戦わせなければ…戦うのは『外』だけではないと思えるのだけれど。

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なつかしのメロディー

2022-08-18 09:12:48 | 転職

クルミの花が思い出せない^^;

山寺の墓地に自生したクルミの葉っぱなのですが、ご覧のとおりボコボコ…原因は「フシダニ?」調べてみないと分からない^^; クルミの花言葉は『知性』…物事を知り、考え、判断する能力と言うことなのだけれど、そのクルミの花が思い出せない。見ているようで見ていない。画像で確認して、ああ、そうだったなんて思い出しておりますよ。
友人『ノロ社長』が、「盆休み最終日の飲み会」と称して、早い時間からお誘いの電話をかけて来た。(それは『ノロ社長』の会社の休みであって、『おやじぃ』の休みとは一致していないのでありますけれどね^^;)缶ビールをひと缶持って、晩酌会場に出掛けると、友人『イチオ君』も既に参戦していた。(彼は、ズル休み…家族に内緒の年次有給休暇とのことである…堂々と疲れたから今日は休むと言えないのかね?まぁまぁ、他所様の家庭内事情にまで口出しはすまい^^;)
大型テレビからは、『おやじぃ』たちが若い頃の同年代の女性歌手(聖子ちゃん、明菜ちゃん)のコンサートの模様が流れていた。今となっては、『おやじぃ』たちにとっての「懐メロ」ということになるのだろうか?今は亡き我が親父も、戦後の昭和歌謡をよく見聞きしていた。それぞれの年代に、それぞれの「懐メロ」があるに違いない。しかしなぁ…歳を重ね、声量が極端に出なくなった歌手の往年のヒット曲を聴かされるのも少々イタイ。歌詞が『大人』向けならまだしも、『少女時代』の想いを披露されてもねぇ…ファンも多数いらっしゃることだろうからこれ以上は申すまい^^;
「一世風靡した彼女たちは、果たして幸せだったのだろうか?」などと『ノロ社長』がポツリと漏らす。「ゼロサム社会。足し引き算して、結果ゼロ。」…『おやじぃ』もポツリと応える。華やかなりし時と不遇な時と足し引き算して、結果ゼロなら、まずは上々の人生だったのではないかなんてね、お付き合いも無いですし、他人様の幸不幸を計る訳にも行きますまい、勝手に『おやじぃ流』の解釈をしておりますよ。


白花のサルスベリ…花も色々^^;

「百日」なのに、白花とはこれ如何に^^; 紅色に染めていたほっぺの美少女も白髪が目立ったりして…「加齢」もまた人に平等に訪れる結果であるから、抗ってみたところで仕方がない。ただし、「美しく」というか「上品に」歳を重ねるということはあると思う。性格や素行は、歳を重ねるに連れてお顔に現れるような気もするから、男どもだって、根性の悪そうな顔つきよりは、『好々爺』に変容したいものだわ。(これからの生き方次第だわなぁ^^;)
さて、東京都内の新型コロナ感染症は、専門家の予測通り、今のところ減少傾向を示しているようである。一方、山形県の感染者数は過去最高を記録してしまいましたよ。一概に帰省客の増加を理由にするつもりもありませんが、盆踊りや花火大会などイベント開催も緩和され、都会からは周回遅れで増加傾向を示すのではないだろうかなんて、素人ながらも予測しております。「二年振りに行動制限のないお盆」と歓迎ムードを煽る一方で、「基本的な感染対策の徹底を」と呼び掛ける。『大人』なんだから、後は個人の判断で…と匙を投げられた感も無くはないのだけれど^^;
しかしねぇ、施設入所している年老いた義父母には、未だに直接面会すら出来ないのでありますよ。病気になって入院しても面会すら出来ないなんて、やっぱり異常な世界だわ…。「懐メロ」とは、ある程度の年月が経ってから、音楽を聴くと当時を懐かしく思い出される曲なのだけれど、この三年を(まだまだ続くかも知れない。)懐かしく思い出されるような時が来るのだろうか?親との最後の時さえ、一緒に過ごすことも叶わないなんてね。「行動制限のない…」年老いた両親を持つ身としては、まだまだ「行動制限」された日常でありますけれどね。(今朝も笑えない。)

#戦争反対 「行動の自由」…なんと有難いことよ。戦争もコロナ禍も長期化で「厭世観」さえ漂う世の中である。せめて、人と人の争いごとは収めたいものだが…。

 

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大きくなって…^^;

2022-08-17 08:00:43 | 転職

富山土産の「鱒寿司」ですけれど^^;

友人『ノロ社長』は久し振りの長距離仕事…お盆だと言うのに「富山県」までの遠征であります。我が在所は、先の豪雨災害で目立った被害が無かったようにも思えますが、近隣市町の被害は甚大で、途中の国道113号やJR米坂線は、小国町(山形県)、関川村(新潟県)で被害が集中したようであります。(改めてお見舞い申し上げます。)ボランティアの方々が復旧作業に汗を流しておられる中、物見遊山的な見物は不謹慎でありますから、『ノロ社長』が見た光景から被害の状況を想像し心を痛めております。
さて、大雨の予報の中、富山県宇奈月温泉まで荷届けを終えた彼を追い掛けるように雨が降り、帰り道は国道113号の利用を断念し、磐越道で大きく迂回して帰宅したとのことであります。福島県会津若松市と山形県米沢市をつなぐ「大峠」国道121号も通行止め…先の豪雨災害は隣県をつなぐ主要道路を寸断してしまったようである。まったく、いつまで降り続くのやら…新型コロナ感染症のように、今年は自然災害の波が、一波また一波と続いておりますよ。
暗くなってばかりもいられない。夕刻に帰宅した『ノロ社長』が途中で買い求めて来てくれた富山土産の「鱒寿司」で一杯やろうやと声を掛けてくれた。『河鱒(サクラマス…ヤマメの降海型)』を使った寿司が伝統のスタイルらしいのだけれど、需要と漁獲量が見合わず、今では輸入や北海道産の鱒が使われているらしい。『おやじぃ』は、「鱒寿司」「鯖寿司」が好物でしてね、喜んでお呼ばれいたしましたよ。「ほほ~!白魚の塩辛ねぇ…珍しいねぇ^^;」汽水域で一生を終える「シラウオ」は小さく、川を下り荒波に揉まれてから遡上するサクラマスは、渓流釣りでメジャーなヤマメとは似ても似つかぬ大型の鱒となって帰ってくる。田舎に生まれて、都会に出て帰ってくる子どもたちのようでもある。季節は、早盆の送り日、田舎では、大きく成長し帰省した客人たちがそそくさとまた都会に戻っていく頃である^^;


参道にはコスモスの花が咲いていた…。

体調がすぐれず、ウダウダした生活とモヤモヤした気分に、どこかで踏ん切りを付けるために、突如、オッカーを誘って実姉の墓参りに出掛けてみました。『おやじぃ』の立ち直りを信じて、文句も言わずにそっとしておいてくれているのに、イラついて声を上げそうになった自分に嫌気が差してしまったのでありますよ。(本来、その思いやりに感謝しなければならない立場なのに、声を荒げてしまうなどというのは実に情けない。)厄介な『憑き物』に取りつかれたような気分を一新して、秋からの戦闘モードに切り替えるぞという宣言でもありますが、仏様に頼ったところで仕方がない^^;
はてさて、一番下の叔父が特産の「和梨」を送ってくれたので、お礼の電話を入れて近況を尋ねてみた…あれまぁ、肺炎を患って10日間ほど入院したらしい。「長年続けた、煙草が原因だよ。お前も煙草止めなよぉ~。」なんて、弱々しい声で甥っ子にアドバイスを送ってくれる。まったく、我が親父と同じ病気で苦しんでいるなんてねぇ…。電話をすれば『病気自慢』と『薬の数自慢』だったのだけれど、今回ばかりは相当堪えたらしい。それでも心配しているのは施設に入所している地元の叔父(兄)のこと…「こんな状況で、もしものことがあったら出向くことが出来ない。」などと心配しているのでありますよ。15年程前は、四兄弟揃って「兄弟会」なんぞしていたのにねぇ、それぞれが老け込んでしまいましたよ。この調子で行くと、あと20年で『おやじぃ』も『病弱老人』の仲間入りするに違いない。のんびり生きても、焦って生きてみても、あと20回ほどの植え付け、収穫しか経験できないのかね…あと20回と考えるか、まだ20回と考えるか?心の持ちようで生き方も大きく変わってくる。もうこれ以上『荒波にもまれて大きく育つ』ことは無いと思うけれど、もう少しだけジタバタしてみようかと思った一日でありましたとさ(笑)

#戦争反対 誰しにも平等に訪れる「死」…強制されて死地に向かうなんて御免被りたいものである。

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夏休みの宿題(感想文)^^;

2022-08-16 08:37:43 | 転職

本を読み返すことは稀ですけれど…

東京の「夏休み」は8月末まで…一方、山形県内の「夏休み」は8月24日前後で終わるのが定番だった。(何で?)関東方面からお盆に帰省する従弟たちの夏休みの長さを羨ましく思ったものである。(高々、一週間ほどの違いなのだけれど、それでも一週間の差は大きいのだ^^;)当然、小学生にとっての大きな『不公平』の理由を大人に尋ねるのだけれど「東北地方は冬休みが長いから…。」というのが大方の答えであったのだけれど、正月に帰省する子どもたちの「冬休み」に大きな違いは無かったのである。「田舎は都会に比べて授業(勉強)が遅れているから…。」という答えもあったのだけれど、天下の文科省「学習指導要領」では、年間授業時数が定められているから、未だに「夏休み」の長短に答えが出ていないのでありますよ^^;
さて、「夏休み」といえば課題学習…立派な『夢屋少年』は、定番の「おさらい帳」は、日付を入れて計画的にこなし(祖母がそうさせた^^;)工作は得意、自由研究は興味の赴くままに取り組み、「読書感想文」だって、『ちょちょいのちょ~い』と終わらせていた。先生(大人)の心を『くすぐる術』を心得ていたというべきか、そこそこに評価を頂いたような気もする。がしか~し、中2の夏休みの『課題図書』だけは困ってしまった。読後、何の感情も湧かなかったのでありますよ。(題名は憶えておりますけれど、敢えて書きません。)「無味乾燥(感想)」なんてね、選者(大人)は、結構な本として推薦したのだろうけれど、中2の反抗期というヤツでしょうか…感動も感慨も一切覚えなかった記憶であります。
困ったのは娘の宿題…作文、読書感想文だけが必ず残りましてねぇ。「夏休み」の最終日、帰宅してみるとまだ終わっていないと定番の報告…始めの内は「どう思った?」なんて優しく?聞き取りするのですが、『聞き取り調査』も深夜に及ぶとさすがにキレて、「何も感じなかった。つまらなかった。」という言葉をそのまま素直に書きなさいというのが精一杯…それもまた、良い思い出ではありますけれどね(笑)


感動も感想も湧かないのだから仕方がない^^;

さて、「世に優れた文学作品」と評される小説だって、二度読みすることなど稀でありますよ。国語の読解力アップのために「読め、ヨメェ~!」と尻を叩かれて来たような記憶であります。大人になって読み返し、なるほど登場人物の感情はこう揺れ動いたのか…なんて気付けるのは『大人』だから^^; 児童文学といえど書いているのは『大人』ですもの…青春時代の感情を思い起こして書いているのだから、それ相応の年齢になって感じられるものもあるに違いない。教科書の短歌や小説について、『湧き上がる感情』にもう少し時間をかけて触れていたなら、少しは楽しい授業だったろうなどと思うのでありますけれどね。
はてさて、「全国戦没者追悼式」の天皇陛下の「おことば」と岸田首相の式辞全文に触れてみた。岸田首相の式辞については、「反省」の言葉が無いとか、歴代のコピペであるという散々な書かれ方なのであるけれど、「反省」という言葉は、「自分の良くなかった点を認めて、改めようと考えること。」の意味のようである。天皇陛下も岸田首相も既に「戦後世代」なんだよなぁ…などと思ってしまう『おやじぃ』であります。『おやじぃ』や岸田首相が(並列で書くなんてねぇ^^;)先の大戦にいくらかでも関わっていたならば「反省」という言葉もアリかも知れないけれど、「戦後世代」の『おやじぃ』が、そして、その子どもたちがいつまで「反省」し続けなければいけないかと考えてしまうのでありますよ。(これって、「歴史の教訓」に目をつむるということではないと思うのだけれど…。)いずれどなたかが、国際情勢や歴代の式辞を参考に、推敲に推敲を重ねて代筆されたものなのだろうけれど、「歴史の教訓」という言葉の方が『おやじぃ』には重く受け止められるのでありますけれどね。
「夏休み」も終盤戦…読書感想文の『代筆アルバイト』でも始めてしまうかね(笑)

#戦争反対 悔い改める気持ちの無い「反省」など繰り返しても始まらない。「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。」という日本の立ち位置で振る舞うことが必要だと思うのですが…。

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しょっぱい人生^^;

2022-08-15 09:06:45 | 転職

『百年梅干』を試食させていただきました^^;

友人『ノロ社長』ご自慢の『百年梅干』…「百年後にはひと粒2万円の価値に成る。」と豪語する「貴重な梅干」を惜しげもなく試食させていただきました^^; 「しょっぱ~い!ひと舐め、ご飯一杯はいける。」と即答できる塩辛さ…この梅干が百年後ひと粒2万円になるかどうかは保障の限りではなく、恐らく関係者はこの世に存在しないことだけは確かである。ましてや、この塩分濃度の梅干を食べ続けていたら、高血圧症で短命に終わることだけは確からしい(笑)
今は亡き我が祖母が漬け込む梅漬けも塩辛かったけれど、着色に「赤ジソ」を使っていた。「赤ジソ」には「シソニン」という色素があって、酸を加えると赤くなり、アルカリ性のものを加えると青くなるという特性があるとのことである。子どもの頃の記憶では、「赤ジソ」を加える前に青い梅をひと粒すり下ろして、揉んでから加えていたようである。青梅の中のクエン酸と化学反応を起こし、着色を促進させるための生活の知恵だったのだろうと今頃感心しております。
山形県置賜地方は、海から離れた内陸であるから、新鮮な海産物を食べるということは稀であった。食卓に上る魚介類は、塩蔵品、味付け加工品、干物であった。「棒鱈」「カラカイ(エイのひれ)」の煮物などは、カラカラに干された『ブツ』を時間をかけて水で戻し、コトコトと煮込んだ食べ物ではあるけれど、調理過程では『異臭』が漂っていた。(子どもの頃の記憶^^;)新鮮な刺身が食べられるなんて、何と贅沢な世の中よなどと思うのだけれど、そんな生活に戻れるかと言えば、当然、ムリ~!な世界でありますよ。冬場の漬物をはじめ、塩蔵品を食べて来たから、『おやじぃ』世代でも『しょっぱ勘(塩分濃度が高くても平気)』が多く、甘~い卵焼きに醤油をかけないとおかずにならないと豪語する強者も存在する。塩分過多の生活はそうそう改善できるものではないようでありますよ(笑)


「コリウス」もシソ科の植物ですわなぁ…

8月15日は「終戦記念日」…全国戦没者追悼式も開催される。亡き親父は大正15年12月生まれ(本人は、昭和元年生まれと言っていた^^;)であり、終戦間際に招集されたようである。明日は戦地に送られるかという間際の終戦だったようである。「上等兵に殴られた。」などと言うことはあっても、戦争について語ることはほとんど無かったような記憶でありますよ。そんな親父と最後まで意見が合わなかったのが「靖国神社への閣僚の参拝」でありました。「お国のためにと命を落とした英霊に閣僚が礼拝して何が悪いのだ。」というのが親父の考え方であり、「命を落とした戦没者を神格化することも無かろう。」というのが『おやじぃ』の考え方…戦没者を追悼し、平和な世界を祈ることに異を唱えるものではないのだけれど…。
終戦から3年後、親父の親父(我が祖父)を亡くしているはずで、一番下の叔父はまだ2歳になっていなかったようである。ようやく伝い立ち出来るようになった末っ子が棺に手を掛けて「どどぉ~、どどぉ~(父ちゃん)」と呼び掛け、弔問の親族の涙を誘ったということは何度も聞かされた。まともな仕事(現金収入を得る仕事)もなく、12歳を筆頭に幼い弟たち4人を育てる苦労を語ることも無かったけれど、弟たち(叔父たち)は父親替わりの兄貴を慕ってくれていた。もしも、我が親父が戦死していたならば(当然、『おやじぃ』もこの世に存在しない訳ではあるけれど。)我が家は、さらに悲惨な生活を強いられたに違いない。『おやじぃ』は戦争を知らない世代ではあるのだけれど、「お国のため…」という発言に違和感を持つのは、こうした間接的な伝聞が元になっている。「しょっぱい」には、塩辛いという意味の他に、勘定高い、けちであるという意味もある。我が命が大事という弱い考え方だって大切だと思うのですけれどねぇ…。

#戦争反対 日中戦争、太平洋戦争と戦局が拡大していったのは何故?満州国を建国し、「清」と戦っていたはずが、実は支援する大国と戦っていた…日本の侵略行為が始まりとは言え、代理戦争的な要素も。どこかで見え隠れする今の現状…同じ過ちを何度繰り返せば済むのだろうか?

 

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くぅ~出たぁ…!

2022-08-14 08:25:22 | 転職

「コリウス」の花言葉は「叶わぬ恋」ですと^^;

60過ぎの『おやじぃ』が「叶わぬ恋」などと書くと正気かと思われるかも知れないけれど、「恋」という言葉には「人、土地、植物、季節などを思い慕うこと。めでること。」の意味もあるらしい。
盆の入りだというのに体調不良でウダウダしていたら、雨が降る前にと家族はサッサと墓参りを済ませてくれたようである。(物心ついてから墓参りをサボったのは、盆休みを利用して渡航した時以来かも知れない^^;)「遂に、ご先祖さまも迎えに来てくれなくなったか。」と嫌味のひとつも言われそうな雲行きでありますが、案の定、夢には滅多に表れない亡きお袋が出て来た^^; 「こりゃ~相当怒っているに違いない。」などと一瞬怯んだのでありますが、夢の中の彼女は穏やかで、『おやじぃ』と指相撲?をしておりました。負けそうになった彼女は、『おやじぃ』に新ルールを提案してきた…『おやじぃ』は左手、彼女は右手…指を組み合うことが出来ない上に、彼女の親指は常に上にある。(こんな書き方で状況が分かります?誰かと試してみてください^^;)彼女からの『必勝パターン』の伝授に脱帽しながら、夢から覚めて、若い頃から少々『こすい』ことを考える名人だったと思い出にひたっております^^;
「親孝行は生きている内に…。」を『夢屋家』の第一家訓としている『おやじぃ』でありますが、両親を失ってしまってから、墓石や仏壇を新調しても生きている者たちの見栄でしかなく、故人とつながっているなどと考えるのも、「お盆」という行事を通してのみでありますから…果たして、親孝行が出来ただろうかなどと反省しております。夕飯にはオッカーの手料理である「芋煮」が出て来た。こちらは、『夢屋家流』というよりは、オッカーの実家流…次第しだいに、『オッカー流』に染められて行くんだわなぁなんて感慨に浸っておりますよ(笑)


「精進潔斎」なんてね^^;

先だって「ハグロトンボ」に子どもの頃から『霊的なもの』を感じてきたなどとも書きましたけれど、その黒装束と飛び方には少々『不吉なもの』を感じてきた『おやじぃ』であります。
さて、本日のお題「くぅ~出たぁ!」でありますけれど、久し振りに夢に出て来た我がお袋のお話から「クーデター」に突然移行するのであります^^; フランス語である「クーデター」とは、「国家に対する一撃」を意味し、一般的には、暴力的な手段の行使によって引き起こされる政変をいうとある。これまた『おやじぃ』の夢の中のお話なのですが、自衛隊の戦車を乗っ取り、国会議事堂に乗り込み政変を試みる。(『おやじぃ』は、ニセ平和主義者であるから、常から暴力による政変など考えてもいないのですけれどね…極端だわ^^;)しかし、時の首相を人質に取っても、残念ながら『おやじぃ』が望む政変、改革は起こらないのでありますよ…何で?そうそう「クーデター」とは、支配階級内部の権力争奪戦であって、被支配層が権力を奪取するのは「革命」なんだそうですよ。夢の中の『おやじぃ』は暴徒であって何の影響力もないんだわ。(今頃気付いたのかね^^;)
はてさて、お盆だというのに何が言いたいの?つまりは、暴力による権力奪取より、宗教、思想的に権力の中に浸潤し、結果的に己の主義主張に近い政治へと変えて行く…遅いけれど着実な方法かも知れないなぁ。広島・長崎に原爆が投下され、終戦記念日を迎えるお盆の頃。慰霊の日々、平和への誓い(時として、軍拡への道へとすり替えられることもある。)となるべきところが、お盆のオッカーの「芋煮料理」が定番となったように、知らぬ間に染め変えられていく。何かなぁ…こちらの方が、恐く思えて来たのでありますけれどね。

#戦争反対 「大本営発表」…終戦特集で、マスコミの追随も報道されていた。当事者に都合の良い『発表』を互いに出す訳だから、事の真偽を判断することは難しい。

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どつぼにはまる…

2022-08-13 08:33:41 | 転職

おつまみの「サザエのつぼ焼き」ですけれど…

「サザエのつぼ焼き」というお題に対して、サザエを壺に入れて焼こうとしたお嬢さんがいらっしゃった。テレビ的には『笑い』を取る場面なのだろうけれど、「壺焼き」自体は、密閉した壺状の陶器で蒸し焼きする調理方法であるから、あながち間違いという訳でもないようである。ただし、巻貝を壺に見立てて直接焼くかいなかであるのだけれど^^;
少しばかり長く生きた経験と知識があるから、未経験の若者たちの『常識』外れの行為を笑い飛ばしてしまう…オジサンあるあるだわなぁ。そのオジサンたちだって、未経験のことが沢山あったはずなのにねぇ…『常識』と言われて、それが当たり前と思い込んでいるだけのこともあったりしてね。酒席での盃のやりとりを「献酬」というらしい。(初めて知った^^;)上席から口を付けた盃を頂いて、さっと飲んで「ご返杯」などといって返す。それが酒席の『常識』と思い込んでいたのでありますが、昔、ある酒宴のお客様に「私は盃のやりとりはいたしません。」とキッパリお断りされましたよ。(『常識』というものが、上席の方から覆された日^^;)さすがに、気まずい雰囲気にならないように理由を述べられておりましたけれど、彼は「旧海軍」経験者らしく、狭く密閉された艦艇内で感染症が発生すれば、瞬く間にまん延してしまうから、衛生観念だけは「旧海軍」で叩き込まれたとのことでしたよ。『アルコール消毒』などと言って、他人が口を付けたものを回し飲みする…よくよく考えれば不衛生極まりないのだけれど、新型コロナ感染症が発生すると改めて、その不衛生さに気付かされてしまう。恐らく、新型コロナ感染症が収束したとしても、「アルハラ」も含めて、盃のやりとりなど無くなってしまうのではなかろうか…今まで当たり前だった『常識』というものなんぞ、あっと言う間に崩れ去ってしまうのよねぇなんて思っております。(サザエの壺焼きから、良くまぁ話を引っ張りましたなぁ^^;)


そうそう、お題は「どつぼにはまる」でした^^;

いや~今年は、トラクターのエンジントラブルに始まり、田植え機の脱輪、草刈り機の故障、井戸水を汲み上げる水中ポンプの故障、今度はキュウリに送水する水中ポンプの故障とトラブル続きでありますよ。家電製品がひとつ壊れると、何故かしら別の家電に不調が生じるなどと言うこともありますわなぁ…。そこに来ての体調不良…散々な年であると自覚しております^^; 「長~い人生、こんな年もあるわさ。」と悠長に構えていられる内は良いのだけれど、こう度重なると『これは何か憑き物に取り憑かれているのかも知れない。』などと考え始めると始末に負えないのであります。今、マスコミに取り上げられている某宗教団体に限らず、不幸や不運が立て続けに起こると、「やれ、屋敷内のあの〇×が悪い。」とか「屋敷内の南側に植えられた松の木(難待つだって^^;)が悪い。」とか、余計な『節介』をしてくれる某宗教団体(現在では認知されているようであるけれど)の信者の方もいらっしゃいましたっけ。人は強いようで意外に脆く、人は弱いようで案外強く出来ている。ことの大小は別にして、不幸・不運というものは確かにある。人の弱味につけ込んでと跳ね返せる内は良いのだけれど、宗教(信心)によって救済されたと思い込んでいる人に、「それは間違っている。」などと諭したところで聞き入れてもらえるものでもありますまい。(二次被害に苦しんでいる方も確かに存在する。)
はてさて、「どつぼにはまる」の『どつぼ』とは、関西エリアで言う『野壺(肥溜め)』の音変化なんですと。「阿弥陀様」の慈悲の働きで救済されるのが「他力本願」の由来とか…『救済』を信じて『どつぼ』を高額で買わされるのは御免被りたいけれど、コロナ禍を理由に、お盆の棚経もあげていただけないなんてねぇ。葬儀のためだけの仏教では、檀家も次第にお寺さまから離れてしまうと思うのだけれど…盆の入りに思った雑感でありますよ(笑)

#戦争反対 神仏のご加護に頼っても、戦争は終わらないだろうなぁ…起こしているのは人間だもの。

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「いい塩梅」とは…

2022-08-12 08:30:58 | 転職

友人『ノロ社長』の土用干し…

大気が水分を大量に含んだ状態…湿度が高く不快な状態を、我が在所では『ムツムツする』とか『ムツムツとおむ(も)れる』と表現する。「蒸れる」には、風通しが悪く熱気がこもるという意味があるから『ムツムツと』という表現が方言かも知れない。案の定、午後から激しい雨に見舞われたものの、被害が出るほどの雨量ではなかった。
夕刻、定番の晩酌に出掛けると、友人『ノロ社長』は、自慢の梅干の土用干しをしておりましたよ。雨が降り出す直前に天気の変化に気付き、取り込みに成功したと自慢しておりましたけれど、『梅干は今日一日の難逃れ』なんてね、その梅干の「難」から守ってあげている訳だから、その効果は絶大なはずでありますよ(笑) 例年であれば、5%程度の塩分濃度で彼は漬け込むはずなのだけれど、今年は20%で調整したのだとか…「これで100年梅干を目指す。100年後にはひと壺200万円の価値があるから先行投資にどうかね?」と水を向けられる。「百年後には関係者は誰も存在しないから、この梅干の価値を確認できる者はいない。むしろ、今、某宗教団体のように壺そのものを売った方が儲かるんじゃないかい?」と今風の話題で切り返す『おやじぃ』でありますよ。
「壺」ねぇ…一体いくらするんだろう?メルカリでは数千円から出品されているようでありますが、元はどれほどのお値段を寄付して購入したものなのか?「ありがたい」と思えば有難く、「つまらない」と思えば詰まらない。「100年梅干」にしても、100年という時の長さに価値を求めるのか、梅干に神通力が宿るのか(これはないな^^;)「価値観」なんざぁ人それぞれ、100年後なんて見通せない『おやじぃ』には、塩蔵された梅干に興味がないだけなのでありますけれどね^^;


確かに『おやじぃ』も限界だわ^^;

そうそう確か『年金100年安心プラン』などという政策もあったけ…これって「年金受給額」が100年安心していただけますという掛け声ではなくて、「年金制度」は安心ですよという掛け声だったような気もするが…。
そもそも『おやじぃ』がこれから100年間生きる残るはずもないから、『100年安心プラン』が果たしてどうだったかと検証することも出来ない訳でありますよ。ならば、100年前はどんな世の中だったのかなんて思いましてね調べてみますと、1923年(大正12年)の9月には「関東大震災」が発生した年であり、変わったところでは渋谷の「忠犬ハチ公」が11月に生まれているようでありますよ。その5年前(1918年)には、第1次世界大戦が終結し、スペイン風邪第一波が発生しているようである。なんかなぁ、100年経過しても世の中の雲行きが同じように思える不思議さよ…といったところですかねぇ。
はてさて、「梅干」という言葉が登場するのは平安時代らしく、1000年以上の時を経ている訳でありますよ。『良いものは良い物』として生活の中に息づいているようでありますが、『悪しき物』(戦争、疫病、災害etc.)もまた、それを断つことが出来ずに生き残っているようであります。今年の梅干の「塩梅」はどうかね?身体の「塩梅」はどうかね?なんてね。その日その日の暮らし向きに感謝しながら生きている方が楽なような気もするが…なんてね。

#戦争反対 「三国同盟」と「三国協商」の対立から「第一次世界大戦」が勃発し、戦死者は900万人にも及んだと言われております。100年経っても変わらぬ愚かさよ…100年経ったら何とかならないのか…検証するのはこれからの人々たちであるけれど。

 

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