昨年10月の中国共産党19回全国代表大会で、ポスト習近平は習近平への道を固めた習近平。以来、国内における習近平の「個人崇拝・神格化」の動きが急速に進んでいるのだそうです。
北朝鮮は「金王朝」の独裁体制ですが、習近平は「神」になる。。
年末年始6日分の人民日報1面トップが全部習主席によって独占され、さながら「習近平日報」化。
なかでも、人民日報の3日付記事では、昨年の党大会で、習主席を「核心」とした共産党指導部の諸活動を総括し、「全知全能の神」という言葉で表現する以外にない、習主席の英明にして偉大なる指導者像を報じているのだそうです。
人民日報以外でも、共産党政権指導下で、習主席を唯我独尊の最高領袖として崇拝せよ、とするキャンペーンが全国のマスコミ中心に毎日のように展開されているのだと。
更に、「人民網」が昨年12月29日から始めた「私は習主席と握手した」との報道シリーズに至っては、普通の人々と習主席との関係が、もはや国民と一人の政治指導者との関係ではなく、頭をなでてもらって感激する信者と教祖との関係の構図で再現されていると。。
共産党政権は全力を挙げて習主席の神格化を進めていて、一人の指導者を「教祖さま」として拝むような巨大カルト教団と化しかねない勢い。
毛沢東の独裁政治の弊害を廃して、鄧小平が打ち立てた集団指導体制と、中華人民共和国憲法の第七十九条の、「国家主席および国家副主席の任職は、連続して二期以上を越えてはならない」という規定を壊して、三期目への延命と独裁化を狙う習近平。毛沢東をも超えて、自身の神格化で13億の国民を洗脳しようという野望。
驕る平家は久しからず。栄枯盛衰は世の常。はたして、神となれるのか。神格化した独裁政治をグローバル化し変化が激しい現代で持続できるのか。現状の強権弾圧の国内政治、力による現状変更の外交覇権拡大政治では、問うまでもなく持続は不可能です。
鄧小平が導入した改革開放経済を、低賃金で世界の工場として発展させ、今日のGDP第二位の大国にたどり着いた中国経済。13億の人口の国内消費力への財政投資でかろうじて支えている経済成長ですが、習近平は改革開放には逆行する重厚長大の国有企業保護政策。その打開策での外需取り込みに「一帯一路」戦略を展開していますが、軍拡と併せた財政負担は無限には耐えられません。
金の切れ目がなんとやら。。神格化の目くらましも、経済成長で国民の不満を吸収できてこその持続。今日の発展をもたらした鄧小平路線に決別しようとする習近平の路線変更が成功するのでしょうか。三期目に向けて二期目をスタートさせた今年の中国にはまたまた目が離せませんね。
# 冒頭の画像は、昨年12月に訪中した二階幹事長等と習近平
睡蓮の花
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北朝鮮は「金王朝」の独裁体制ですが、習近平は「神」になる。。
進む習主席の神格化 (1/11 産経 【石平のChinaWatch】)
昨年10月の中国共産党19回全国代表大会の開催以来、国内における習近平国家主席の「個人崇拝・神格化」の動きが急速に進んでいる。
年末年始の人民日報を眺めただけでそれがよく分かる。昨年12月29日付の1面トップは、習主席が中国の各国大使を集めて「重要講話」を行った記事だ。30日付となると、習主席が行事に出席したり、会議で「重要講話」を行ったりする3つの記事で1面は覆い尽くされ、主席の大きな写真が2枚掲載されている。そして31日付、1面トップに登場したのは、習主席がモスクワ大学の中国人留学生に寄せた激励の手紙である。
今年の元日、主席恒例の「新年賀詞」は当然、1面トップを飾ったが、同じ1面には、習主席が別の会議で行った講話の概要と、「主席新年賀詞」への解説コラムが掲載されている。そして1月2日付1面には主席関係の記事が3つも掲載され、3日付の1面トップを飾ったのは前述の「主席新年賀詞」に対する解説コラムの第3弾である。
このようにして、年末年始6日分の人民日報1面トップが全部習主席によって独占され、さながら「習近平日報」と化している。それは人民日報だけのことではない。共産党政権指導下で、習主席を唯我独尊の最高領袖(りょうしゅう)として崇拝せよ、とするキャンペーンが全国のマスコミ中心に毎日のように展開されている。
その先頭を走る人民日報が3日付1面と3面に分けて掲載した長文記事も実に面白い。記事は昨年の党大会開催以来、習主席を「核心」とした共産党指導部の諸活動を総括したものであるが、記事の中で本人の名前が50回も登場するほど習主席は唯一無二の主役なのである。
その中で習主席は、貧困扶助、農村視察、経済会議、外交舞台、産業の現場指導など、あらゆる場面に姿を現した。そして、政治、経済、外交、文化などのあらゆる方面での党と政府の活動に対し、主席が「この上なく重要かつ賢明な指摘」を行い、「この上なく重要かつ適切な指示」を下したという。そこから浮かび上がってきたのは「全知全能の神」という言葉で表現する以外にない、習主席の英明にして偉大なる指導者像である。
習主席の神格化が最も顕著に表れたのは、人民日報のネット版である「人民網」が昨年12月29日から始めた「私は習主席と握手した」との報道シリーズである。故宮の消防隊員、農村の女性教師、アイスホッケー部の少年選手などなど、習主席が北京や地方を視察するときに幸運にも主席と握手できた普通の人々を登場させ、彼らに「握手」への感想をインタビューしたものである。もちろん取材者が期待する通り、この人々の口から吐かれたのは、「当時の光景を思い出すたびに深い感動を覚える」「主席の手は温かくて力強い、興奮して言葉も出ない」「握手は1秒間であったが、終生、その瞬間を心に銘記しておきたい」などの感極まる言葉である。
重要なのは、このシリーズ記事の中で描かれた普通の人々と習主席との関係が、もはや国民と一人の政治指導者との関係ではないことだ。頭をなでてもらって感激する信者と教祖との関係の構図が見事に、ここに再現されている。人民網シリーズの意図は明らかに、習主席を単なる一指導者にではなく、まさに人民にとっての「教祖さま」の立場に祭り上げて、一人一人の人民にそれを崇拝させようとしているのだ。シリーズに登場してきた「握手に感激」の人々はただ、このための道具として使われている。
このようにして、今の中国では、共産党政権は全力を挙げて13億の国民に対する習主席の神格化を進めている。この大国は一人の指導者を「教祖さま」として拝むような巨大カルト教団と化しかねない。実に恐ろしいことである。
昨年10月の中国共産党19回全国代表大会の開催以来、国内における習近平国家主席の「個人崇拝・神格化」の動きが急速に進んでいる。
年末年始の人民日報を眺めただけでそれがよく分かる。昨年12月29日付の1面トップは、習主席が中国の各国大使を集めて「重要講話」を行った記事だ。30日付となると、習主席が行事に出席したり、会議で「重要講話」を行ったりする3つの記事で1面は覆い尽くされ、主席の大きな写真が2枚掲載されている。そして31日付、1面トップに登場したのは、習主席がモスクワ大学の中国人留学生に寄せた激励の手紙である。
今年の元日、主席恒例の「新年賀詞」は当然、1面トップを飾ったが、同じ1面には、習主席が別の会議で行った講話の概要と、「主席新年賀詞」への解説コラムが掲載されている。そして1月2日付1面には主席関係の記事が3つも掲載され、3日付の1面トップを飾ったのは前述の「主席新年賀詞」に対する解説コラムの第3弾である。
このようにして、年末年始6日分の人民日報1面トップが全部習主席によって独占され、さながら「習近平日報」と化している。それは人民日報だけのことではない。共産党政権指導下で、習主席を唯我独尊の最高領袖(りょうしゅう)として崇拝せよ、とするキャンペーンが全国のマスコミ中心に毎日のように展開されている。
その先頭を走る人民日報が3日付1面と3面に分けて掲載した長文記事も実に面白い。記事は昨年の党大会開催以来、習主席を「核心」とした共産党指導部の諸活動を総括したものであるが、記事の中で本人の名前が50回も登場するほど習主席は唯一無二の主役なのである。
その中で習主席は、貧困扶助、農村視察、経済会議、外交舞台、産業の現場指導など、あらゆる場面に姿を現した。そして、政治、経済、外交、文化などのあらゆる方面での党と政府の活動に対し、主席が「この上なく重要かつ賢明な指摘」を行い、「この上なく重要かつ適切な指示」を下したという。そこから浮かび上がってきたのは「全知全能の神」という言葉で表現する以外にない、習主席の英明にして偉大なる指導者像である。
習主席の神格化が最も顕著に表れたのは、人民日報のネット版である「人民網」が昨年12月29日から始めた「私は習主席と握手した」との報道シリーズである。故宮の消防隊員、農村の女性教師、アイスホッケー部の少年選手などなど、習主席が北京や地方を視察するときに幸運にも主席と握手できた普通の人々を登場させ、彼らに「握手」への感想をインタビューしたものである。もちろん取材者が期待する通り、この人々の口から吐かれたのは、「当時の光景を思い出すたびに深い感動を覚える」「主席の手は温かくて力強い、興奮して言葉も出ない」「握手は1秒間であったが、終生、その瞬間を心に銘記しておきたい」などの感極まる言葉である。
重要なのは、このシリーズ記事の中で描かれた普通の人々と習主席との関係が、もはや国民と一人の政治指導者との関係ではないことだ。頭をなでてもらって感激する信者と教祖との関係の構図が見事に、ここに再現されている。人民網シリーズの意図は明らかに、習主席を単なる一指導者にではなく、まさに人民にとっての「教祖さま」の立場に祭り上げて、一人一人の人民にそれを崇拝させようとしているのだ。シリーズに登場してきた「握手に感激」の人々はただ、このための道具として使われている。
このようにして、今の中国では、共産党政権は全力を挙げて13億の国民に対する習主席の神格化を進めている。この大国は一人の指導者を「教祖さま」として拝むような巨大カルト教団と化しかねない。実に恐ろしいことである。
年末年始6日分の人民日報1面トップが全部習主席によって独占され、さながら「習近平日報」化。
なかでも、人民日報の3日付記事では、昨年の党大会で、習主席を「核心」とした共産党指導部の諸活動を総括し、「全知全能の神」という言葉で表現する以外にない、習主席の英明にして偉大なる指導者像を報じているのだそうです。
人民日報以外でも、共産党政権指導下で、習主席を唯我独尊の最高領袖として崇拝せよ、とするキャンペーンが全国のマスコミ中心に毎日のように展開されているのだと。
更に、「人民網」が昨年12月29日から始めた「私は習主席と握手した」との報道シリーズに至っては、普通の人々と習主席との関係が、もはや国民と一人の政治指導者との関係ではなく、頭をなでてもらって感激する信者と教祖との関係の構図で再現されていると。。
共産党政権は全力を挙げて習主席の神格化を進めていて、一人の指導者を「教祖さま」として拝むような巨大カルト教団と化しかねない勢い。
毛沢東の独裁政治の弊害を廃して、鄧小平が打ち立てた集団指導体制と、中華人民共和国憲法の第七十九条の、「国家主席および国家副主席の任職は、連続して二期以上を越えてはならない」という規定を壊して、三期目への延命と独裁化を狙う習近平。毛沢東をも超えて、自身の神格化で13億の国民を洗脳しようという野望。
驕る平家は久しからず。栄枯盛衰は世の常。はたして、神となれるのか。神格化した独裁政治をグローバル化し変化が激しい現代で持続できるのか。現状の強権弾圧の国内政治、力による現状変更の外交覇権拡大政治では、問うまでもなく持続は不可能です。
鄧小平が導入した改革開放経済を、低賃金で世界の工場として発展させ、今日のGDP第二位の大国にたどり着いた中国経済。13億の人口の国内消費力への財政投資でかろうじて支えている経済成長ですが、習近平は改革開放には逆行する重厚長大の国有企業保護政策。その打開策での外需取り込みに「一帯一路」戦略を展開していますが、軍拡と併せた財政負担は無限には耐えられません。
金の切れ目がなんとやら。。神格化の目くらましも、経済成長で国民の不満を吸収できてこその持続。今日の発展をもたらした鄧小平路線に決別しようとする習近平の路線変更が成功するのでしょうか。三期目に向けて二期目をスタートさせた今年の中国にはまたまた目が離せませんね。
# 冒頭の画像は、昨年12月に訪中した二階幹事長等と習近平
睡蓮の花
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