2006年に始まった「日中歴史共同研究委員会」が報告書を発表しましたね。(1/31)
江沢民時代の中国の反日政策で拡大された認識で、隔たりが大きくなつていた中での学識者による共同研究でした。とても協議にはなるまいと思いましたが、途中経過では会話が出来るようになったなどの報道もあり、ガス田のような政治ではなく学者さん同士の集まりなので、ちがうものなのだと感心していました。
未だ2期の委員会に残した課題があるとはいえ、報告が出るというのは、凡人の遊爺には驚きです。
内容を見ると、譲歩する日本に対し、予想通り、戦勝国であると同時に被害者という立場を国是とする共産党の方針の枠を厳守し、日本の譲歩の言質をとろうとする中国の構図がそのまま反映されているように見えます。
それにしても、しぶとくしつこいであろう先方との協議を継続され、パラレルヒストリーという形にして報告書を出すまでのご苦労をされた皆様には、労のねきらいの言葉を贈りたいとおもいます。
政治家の発表ではありませんので、過去の村山発言、河野発言などのように政治利用されないことを願っています。
争点と日本の譲歩は以下のようです。
・南京事件
日本側は「日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と認定した。ただ、犠牲者数は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」と指摘。中国側は軍事裁判の認定を引用して「30万人余り」とした。
日本側は、もっとも食い違う犠牲者数の論争の深入りを避け、犠牲者の拡大原因には中国軍の民衆保護対策の欠如など中国側にも責任があると指摘したのだそうですが、中国側の猛反発で、パラレルの日本側論文の「原因」を、「副次的要因」に修正を余儀なくされたのだそうです。
・満州事変
中国側は、「日本の連続した侵略行為で計画的だ」とし「侵略」だと断じて譲らなかったそうです。日本側はきっかけとなった南満州鉄道(満鉄)爆破事件(31年)を関東軍の「謀略」と明記し、当時の政府は追認せざるを得なかったとした。田中儀一首相の侵略計画を天皇に密奏したといわれる「田中上奏文」は日本画は偽者と主張したのですが、中国側の反論で「怪文書」の表現に妥協されたのだそうです。
・日中戦争の発端となった盧溝橋事件
中国側が譲って「偶発的」と双方合意しながらも、「原因の大半は日本側が作り出した」と認めた。中国側は「全面的な侵略戦争」とした。
文化大革命(66~76年)や天安門事件(89年)などを含む45年以降の現代史については、中国の現政権批判に直結しかねないこともあり、中国側が公表見送りを強く求めたため、第 2期以降の委員会に委ねられることとなったそうです。
日中両国で歴史を政治的に利用する動きがあったので、政治は現在と未来の課題に取り組み、歴史は学者で議論しようということになった。共通の歴史認識を持つことはとても無理だから、論文は「パラレルヒストリー」という形で、日本と中国から見た日中関係のあり方を双方の立場から書いていった。
議論しても残った意見の違いは「討議要旨」として発表することで一度は合意したが、中国側が「国民に無用の誤解が広がり、日中関係に悪影響がある」と言い出したので論文だけを公表することになった。
その後、中国側は論文もすべて発表しないでほしいとも言ってきたが、日本側が拒絶し、長い交渉の結果、戦後の部分以外は公表することで一致した.、いろいろあったが、結果を発表できたことは大きな意義だ。
中国側は今回の研究で、日本が中国を侵略したことや南京虐殺を認めたことが成果だと言っているが、議論した結果そうなったのではなく、そもそも日本では多くの歴史家や政府も侵略と南京虐殺を認めている。
日中戦争については、中国側は侵略と断定して、だんだんと細部に入っていったが、我々は個々の事実を見ていって、侵略性を判断するというアプローチの違いがあった。中国側は日中戦争は全体として計画的な侵略だったと主張したが、戦争の拡大を止めようと努力した人もいるから、我々はその意見をとらない。
戦後の部分は、「日本側の表現で問題があれば言ってほしい。学問的な信条に反しない程度で考える」と中国側に配慮した。しかし、例えば、1990年代の日中関係の悪化を取り上げると、愛国心教育など現政権と関係することを書かざるを得ない。彼らはそういうテーマに触れたくなかったのだろう。(談)
日本側委員の中には「国益のためとはいえ、貴重な時間を無駄にした。もう委員を受ける気はない。たくさんだ」といっているかたがおられるそうです。学者として尊敬できる人物が中国側にはいないというかたも。それほど中国側がかたくなでしつこくご苦労されたということです。
が、それは中国でビジネスしている現代のサラリーマンでは常識のことで、共同研究が始まるときから予測されたことです。むしろ、途中での報道では、かたくなであった中国陣もフリートークでは自由な質疑応答が出来るように変わってきたとのものもあったと記憶しています。
報告を文書でまとめるとなると、官製学者ですから当然ドアを閉ざすのであって、フリートーキングや公表を控えた内容などで、海を隔てて主張しあうだけだったときに比べ変化があったのであれば、今後の彼ら自身の研究の変化に期待がもてるわけで、参加された日本陣のかたがたのご苦労も、形にはならなかったけれども、成果があったのだと考えますがいかがでしょう。
未だ継続していくことのようですし、パラレル方式にならざるを得ないと覚悟して、相手が一党独裁政治国家の学者さんの立場であることを理解すると同時に、ビジネスでも見られる国民性をも念頭に、無用の譲歩や妥協なく、今後も対話のパイプは残していくべきだと考えます。
第 2期以降に参画される学識者のかたがたには、そういった腹を据えた対話を期待します。現代史では、中国が侵略国の実績をもち、日本は一切侵略行為はしていない、むしろ竹島にしろ、東シナ海ガス田にしろ、侵略されてもみているだけで放置している国ですから、戦勝国・敗戦国の立場とは逆転した立場で臨めるし、今後の世界平和や経済発展を牽引する立場の国同士(既に追い抜かれ見下ろされていますが)として、将来に向けた建設的な対話をお願いします。
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