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レストランのマダムに書いて貰った地図を頼りに豊作の墓地に行った。
入り口を入るとかなり広大な墓地だが、墓は埋葬年代順に並んでいるから簡単に見つけることが出来た。
豊作の墓は作ったばかりのようなぴかぴかの立派な墓だった。カミーユ婦人も一緒に入っている。
斉藤豊作は越谷出身で今の芸大洋画科を卒業後フランスに渡った。フランスで有馬生馬の紹介でカミーユと知り合い結婚した。カミーユはフランスの石炭王の娘であった。
結婚後日本に住んだがまたフランスに戻った。
熊谷守一を経済的に援助したりしているからリッチな人だったようだ。
豊作は第二次大戦のおり、敵性国人としてパリ近郊のドランシー収容所に収監されていた。夫人はフランス国籍の儘だったから収監を免れた。豊作は劣悪な収容所生活で体調を崩し終戦後自分の城に戻ったが間もなく亡くなってしまった。
豊作の作品は点描画が主で、埼玉県立近代美術館に作品が収納されている。
*ドランシー収容所:ユダヤ人にとってはこのドランシー収容所はアウシュビッツ収容所への出発点となった恐ろしい場所であった。ドランシー収容所からアウシュビッツ収容所へ送られたユダヤ人の数は67,000人に達したと言う。


