毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

禁糖・その後

2013年06月09日 21時40分06秒 | ふと思うこと


例の禁糖なんですが、その後どうなったかといいますと。

5月29日が 今年度最初の お隣小学校・読み聞かせの日で、終わったあと 先生がコーヒーを出して下さったのを、ちょうどのどがカラカラだった私 何も考えずにさらりと美味しくいただいてしまいました(^_^;)

家に戻ってから、「あれ。。。?」と(笑)

で、そこから自然解除という感じで、糖分の方も少しずつまた摂るように。

面白いことに ちょうどその翌日、禁糖を終えるタイミングとして「おへそから指3本分上の腹部第二という場所に左手の小指がなじんだら終わり、左手の薬指がなじんだら継続」という情報と出会ったのですが、どれどれと試してみても どうもよくわからなくて、まあ私には 今回はこういう終わり方でよかったのかも、と

過去のダイエットやらなんやらの取り組みと比べて、大仰に構えることなく さらりと始まってさらりと終わったなぁ、というところが印象に残っています。




禁糖の本来の主旨には外れるのかもしれないけれど、我流禁糖(笑)での 現時点でわかっている収穫は、甘味と前よりいいおつきあいができるようになったこと。

どこかいびつな食欲や甘いものへの欲求が湧くときの自分を観察していて、何が起こっているのかが見えてきたんです。

からだに現れる顕著な反応は、のど元に粘りのある塊が詰まって息苦しいような感覚と、のどがカラカラに渇いたときと同じような感触。

のどの渇きに水を求めるのと同じように 甘いものに対する「渇き」が猛然と起こって、そのまま突進してしまうようなのです。

でも これは、明らかに生理的な自然の反応ではなく、過去のなんらかの体験から引き起こされた 偽の反応。

だから、のど元の軽い圧迫感と ざらりと渇きかけの感触、ぐらいの 早めの段階で氣づいて、静かに見つめていると、そのうちすーっと消えてくれ、当然 飲食物への欲求も薄らぎます。

ここを逃して エスカレートして、「ぐ、ぐるじい」っていうところまできちゃうと、ちょっとやそっとでは解除できないようで、そのときはしょうがないから「ええい、これは“薬”なのだ、甘いもの摂っていいから、せめてとびきり美味しく楽しくいただくことにしよう」と 意識的にいったんゆるめてから 再トライすることにしています(^^ゞ

いずれにせよ、以前はこの段階をすっ飛ばして、なにがなんだかわからないけど とにかく甘いもの~ と 止める手立てのない発作状態だったのですから、からくりがはっきり見えたのは 大きな収穫。

見えれば、コントロールも可能だもんね♪

甘いものどうこうよりも、正体不明の怪物に振り回されるのでなく、自分の力で 自分の状態をよりよく保ちやすくなったうれしさの方が 大きいかな




私たちって、ほんとうにいつも変化し ゆらいでいるのだなぁ、と思います。

変化や動きとして 特に意識しなくても、季節も 星々の位置も 私たちの身も心も 絶えず変っていて、「同じ」というのは たぶん観念の中だけの幻想なんだろうなぁ、と感じさせられる。

氣分がとってもいいときなど、どうかこの同じ氣分のまま ずっといけますように、などと ついつい執着してしまうけれど、それって実は とても不自然な願いなんだね。

「禍福はあざなえる縄の如し」というように、いいも悪いも絶えず変化し続けるのが、本来の私たちのあり方。

いくら心やからだを整えたって、ぐらつくときは必ずやってくる。

それが 命の理なのだから、意志が弱いとか 駄目な奴だとか、そういう問題じゃないんだね。




ただ、望むところに固定させておくことはできなくても、ゆれの質っていうのかな、状態を変えることはできるね♪

太陽や月が雲に隠れるように、本来の私たちの姿も ともすると ほんとうの自分ではないものに覆われて 見失ってしまうけれど、それが幻なんだと認識することで、眠りかかるたびにはっと目覚めるように すばやく戻ってくることはできる(^^)

問題の解決とか、そんな努力や頑張りはいらない。

流れが滞っているところに氣づいて、それがほんものじゃないことに目覚める、それだけでいい。




禁糖後も、取り立てて嗜好が大きく変ったわけではなく、やっぱり不自然な「渇き現象」は起こるし、その陰には 相変わらずややこしい心のもつれが顔を覗かせています。

ただ、よりつきあいやすく 扱いやすくなったというのはあるし、その分ますます心穏やかな時間が増えてきたなぁとも思います。




私たちの 人に認めてほしい、わかってほしい、という欲求って、さまざまな思いの中でも ことさら強いもののような氣がします。

でも、人に。。。って願うとき、実は、自分が自分のことを一番わかってないんじゃないだろうか。

自分をよぉく見つめて 理解して コントロールできるようになると、人にわかってほしいとはあまり思わなくなるみたい。

どうやら どこまでいっても、「すべて自分が起こしてる」というところに ブーメランのごとく戻ってくるようです