毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

十分可能

2016年06月21日 13時34分09秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


私たちは 幼いころから、真実であると証明されたことを信じるように仕向けられてきました。

が、実際のところは どうも逆なようです。

自分が信じたことが、自分の真実として実現するのです。

すなわち、誰かに保証されるのを待つことなく、なんなりと望ましい状況を 実現すると信じて疑わない氣持ちでいることが、望む世界の実現につながります。

が、保証なしで 心底信じ込むということは、マインドの説得ぐらいでは そうそう簡単にはいきません。

証明されないことは信じられないという長年の刷り込みが 強力に働いているからです。

そんな 自身の意図の及ばないところにまで作用している かたくなな思い込みを解除し、思い通りの世界を創り出すために、何ができるでしょうか。




まだ言葉を持たない幼少期に ダイレクトに意識に入り込み根付いた観念を あとから言葉で書き換えようとするのは、無理があります。

が、その観念が ほんとうにもともとの自分の一部かどうかは、無心に見つめてみれば わかります。

ほんとうの自分でないものは、見つめれば やがて消えます。

そして それを重ねるうちに、後付けの観念が消えて 空いたスペースに、信じる氣持ちが おのずと湧いてくるようです。




からだにも、筋肉や関節のように 自分の意志で思い通りにできる部分と、心臓や消化器官のように 意のままに動かせない部分があるように、心の動きにも 小我の意志でコントロールできるものとできないものとがあります。

恐れや 不信の念に 「恐れるな」 「信じろ」 といくら命じたところで、まず効果はありません。

ムリに 恐れまい、信じよう、とがんばると、「抗えば相手は大きくなる」 の法則どおり、かえって恐れや不信が募ったりします。

が、今の自分を見つめようとする意志や勇氣を持つこと、それと並行して 内面のフォーカスを 少しずつでも明るい方へとずらしてゆくよう努めることなどは、進んで意図してできること。




最近、「ああこれが 『前向きな氣持ち』 『開いた心』 というものか」 と言いたくなるような心地が ちょくちょく湧き上がってくるようになりました。

それそのものを意識的に呼び覚ませたわけではなく、ただ それが起こりやすいありようを整えることは あれこれ試みる中でできていたのかもしれません。

前向きになれ、明るくなれと命じて すぐさまそうなれるわけではない、でも そうなるようにもっていくことはできる、努力して自分を創り変えることは 十分可能だと 確信を持てたと言っていいような氣がする きょうこのごろです(^^)