毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

災い転じて福と成す

2016年06月22日 18時59分21秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


最近あまり読みませんが、奈良に住んでいたころ 高校生ぐらいから アガサ ・ クリスティが大好きで、エルキュール ・ ポアロも ミス・マープルも トミー&タペンスも パーカー ・ パインも ハーリ ・ クインも、ハヤカワミステリ文庫で出版されたものは ほとんど全部といっていいぐらい読みました。

クリスティの魅力を語り出したらきりがありませんが、そのひとつに 何不自由なく暮らしていた人々が 事件に巻き込まれ、過去の過ち露見の危機とか 人間関係のもつれとか 経済的困窮とか 不意に襲い掛かるピンチにさらされ、その真の姿があぶり出される、というシチュエーションがあります。

寛大と思えた人が 実は狭量だったり、勇敢に見えた人が 実は臆病だったりと、みな容赦なく 見目よい上っ面を剥ぎ取られ 真実の姿をさらけ出すところまで追い込まれるのですが、いやおうなくほんとうの自分を見つめざるを得なくなるからこそ、ひとわたりジタバタあがいたあとは 素直になって よりよい選択をし、これまでと違う人生を歩み出すチャンスが生まれます。

クリスティの筆致には 「そういうものなのよね、人って」 とでもいうようなあたたかいまなざしが感じられ、事件解決と共に 万事収まるところに収まって、関係者一同新たな人生に踏み出してゆく、そんな安定の物語の運びと 作者の登場人物への愛情と思いやりが たまらなく魅力的でした。




これって 物語の中だけのことではなく、実生活での私たちも同じことなんですね。




いやなこと まずいことが起これば、誰だってネガティブな感情をかき立てられます。

連鎖的に うれしくない記憶が呼び覚まされ、からだに不快な反応が起こり、そのままにしておけば そこからネガ感情が続々と湧き上がって、身も心も不快の渦に引きずり込まれます。

一刻も早く なんとかしてこれを消さねば、と必死になるのも当然ですが、実は この 「不快感があらわになる」 こと自体が 同時にそこから解放されるビッグチャンスでもあるのだ、ということを、この数ヶ月の体験から思い知りました。




幼いころ どうする術もなく 心の奥に押し込んだままになっていた辛い記憶は、知覚できない意識の底に沈み、こちらが氣がつかないうちに 私たちの人生を左右しています。

当然幸せを望んでいるはずなのに、そう努力しているはずなのに、なぜかそうならない、そこにこの 氣づけないままの否定的な記憶が影響しています。

そんなネガ記憶がもとで起こる ネガティブな事態は、そのもとになった記憶そのまま、もしくはそれとそっくりの辛いストーリーや、そこから派生する 当時そのままの怒りや痛みを、今ここに再現してくれます。

存在自体が氣づけないほど深く埋もれ隠れていたものが、五感ではっきりキャッチできるほど鮮明に 姿を現すのです。

そうなればこっちのもの、無心に見つめ 真我の光を当てることで、長い間解決不能で持ち越しになっていた出来事を 分別あるおとなの感覚で受け止め、終止符を打つことが可能になります。

幼いころはどうしていいやらわからず 手をつけられなかったものが、今 成長した自分の力で 受け入れ 味わって おしまいにできるのです。

できれば避けたい、なしで済ませたいと思うような出来事は、その出来事を生み出す原因となっていた 隠れた負の思いを 手の届くところに呼び出し、同じことが二度と繰り返されないようけりをつけるために起きていた、と見ることもできるようです。




クリスティの物語のこの点に魅かれたのは、物事の否定的な面を明るみに出すことで 根本からの解決が図られ、人生を大きく好転させることができるという真理に共鳴し 心地よく感じるところが 自分の中にあったからだったんだな、ってわかりました (^^)




BSで 夕方ときどき ポアロシリーズのテレビ化されたものをやっていて、父とお茶しながら見るのが 最近のお楽しみのひとつになっている貴秋です☆