毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

突破口

2017年07月27日 14時00分41秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


貴秋内的探究の手引書、ニール ・ ドナルド ・ ウォルシュ著 「神との対話」 によれば、人間の自然な感情は 悲しみ ・ 怒り ・ 羨望 ・ 不安 ・ 愛 の5つで、抑圧し続けたそれらは 悲しみ → 慢性的なうつ、怒り → 憤怒、羨望 → 嫉妬、不安 → パニック、愛 → 所有欲 へと変わるのだそうです。

そしてさらに 「自然な感情が抑圧されると、不自然な反応と対応が生じる」 と続くのですが、この 「不自然な反応と対応」 という言葉、身に覚えがあり過ぎます (^_^;)




以前にも書きましたが、繰り返し上がってくる根深い怒りに根氣よく向き合っていると、引き金となる不快な感覚が薄らぐのと入れ替わりに 「純粋な悲しみ」 の感覚が前面に出てくることが よくあります。

ここから想像されるのは、思いもよらない出来事にショックを受けた次の瞬間、まず湧き上がるのが悲しみである場合が多いんじゃないか、ということ。

その悲しみをまっすぐ受け止められればそれで終わりだったのが そうできなかったばかりに そっくり心の奥に押し込められ、そんな痛みを持ち続けなければならない辛さが 次第に怒りに変わり、時間と共にどんどん大きくなっていった、と。

また 最初に生じたのがピュアな怒りだった場合でも、それを率直に表明できないフラストレーションは 小さな火種をどんどん大きくしていきます。

さらに、怒りの感覚は それだけでも相当圧迫感があって苦しく いつまでも感じ続けていられるものではないので、とりあえずなだめて忘れようと 「仕方ない、どうせ私はいつもこうなのよ」 などとひねくれた受け止め方をしてしまうと、それ以降いつも 「どうせ私は」 というあきらめに無念さや無力感が入り混じった観念が発動して そのとおりの体験を重ねることになり、「どうしていつも自分ばかりこんな目に・・・・」 というひがみや恨みが加算されることになります。

抑圧され 持ち越しとなったまま放置された感情は、時が経つにつれ このように負の感情がどんどん上積みされて、一番初めのきっかけとなった出来事にはおよそそぐわないほどいびつに膨れ上がり 不自然なものになってしまうようです。

そんな不自然な感情からは、当然 不自然な反応や対応しか生まれません。

加えて 当事者が自身の言動の不自然さを自覚していると、「こんなおとなげない反応はみっともなくてできないな」 ということで さらに抑圧を重ねてしまい、ますます苦しい思いをする羽目に陥ります (T_T)




さらに話をややこしくしているのは、ネガ感情発生の起点と 実際の発動点とのタイムラグ。

はるか昔 (たいていは 物心つくかつかないかのころ) に 身近な大人 (多くは親) を相手に起きた出来事から生まれた感情、それも時を経ていびつに肥大化したものを、たまたまスイッチを押してしまった人にぶつければ どういうことになるか ((((;゜Д゜)))

相手も似たような状況の人であれば (類友の法則で そういう場合が多いような氣がします) 、解決がつくどころか 互いの怒りを刺激し助長し合って、ますます事態も感情もこじらせ、負のスパイラルにいっそう深くはまり込んでゆくばかり。

子供でも老人でも 以前には見られなかったようなキレ方をする人が増えているのは、こういうことが長い時間をかけて あちこちで起こった結果なのではないでしょうか。




こんな状況は当然苦しいから、誰だってどうにかしたいのです。

どうにかしたいのにどうすればいいかわからないから、ますます怒りややりきれなさが募り 手がつけられなくなってゆくのです。




突破口は、「感覚と言葉を切り離す」 ことにあると 貴秋は思っています。