毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ラ ・ ラ ・ ランド

2018年02月25日 14時49分46秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


先日もご紹介した、ジル ・ ボルティ ・ テイラー博士の動画、「奇蹟の脳」 脳卒中体験を語る/ジル ・ ボルティ ・ テーラー

これももう何回見たかわかりませんが、何度見ても胸が熱くなります。

この動画で特筆すべきは、なんといっても 脳卒中体験者が脳科学者でもあるという点。

ただの脳卒中体験ではなく、科学者の冷静な目と 豊富な知識や経験に裏打ちされた話を聞かせてもらえるのです。




まず感動したのは、これまで知識として受け止めていた左脳と右脳それぞれの役割を 博士の脳卒中体験を通して より詳細かつ具体的に教えてもらえたこと。

左右の脳は つかさどる働きが違い、左脳は理論脳 ・ デジタル脳で 右脳は感覚脳 ・ イメージ脳などとはよく聞くことですが、テイラー博士の体験では、出血により左脳の機能が停止すると、からだの原子分子とまわりの壁の原子分子が交じり合い 自分と自分でないものの境目の区別がつかなくなって 自分が大きく広がるように感じ、同時に周囲の大きなエネルギーに魅了され 溶け合ったそうです。

このエネルギーから 「自分」 というものを分け出し確立させているのが、左脳がささやきかける “私は在る” という声。

博士によると、左脳はほかにも その日の予定やら緊急時の警報やら、さらに細かく 筋肉を伸ばせ ・ 縮めろなどということまで 絶えず小声でしゃべりかけているのだそうです。

うわー、マインドの止まらないおしゃべりって これか!

それにしても、自動反応装置とはいえ よくまあ夜を日についで働き続けるものだなぁ。

いらないこともずいぶん言ってくるけど (笑)、これがすっかり止まると 人としての機能を維持できなくなるのね。




一方の右脳から感じる大きなエネルギーですが、博士はこのエネルギー空間を 親しみを込めて “ラ ・ ラ ・ ランド” と呼んでいるそうです。

“ラ ・ ラ ・ ランド” とは 映画のタイトルにもありましたが、アメリカのロサンゼルスを表すほか、「現実離れした世界、おとぎの国」 という意味と 「現実から遊離した精神状態」 という意味があるそうで、博士はこの “ラ ・ ラ ・ ランド” について、このように述べています。


         “そこは素晴らしい所でした

          外の世界と自分をつなぐ脳のしゃべり声から 完全に切り離されているのです

          (中略) 外界全ての関係と それにかかわるストレスの元が すべてなくなったのです

          (中略) 想像して下さい、37年間の感情の重荷から解放されるのが どんなものか!

          ああ!なんという幸福 

          幸福 とても素敵でした”




長いあいだ 五感を超えた世界と右脳と真我を結び付け、そこにこそ 人の本質、愛とも豊かさとも安らぎとも自由とも呼べるものがあると信じ それを実際に体験したいと願って探り続けてきましたが、よもや脳科学者の実体験から このような話が聞けようとは。

そしてきわめつけは、おしまいのほうのこの言葉。


         “私たちは この世界の中で どんな人間でいたいのか どのようにありたいのか すべての瞬間瞬間において選ぶ力があります

          今ここでこの瞬間 私は右脳の意識へと寄ることが出来ます

          そこでは私は宇宙の生命力です

          (中略) あるいは左脳の意識へと寄って 一人の堅実な個人としてあることを選べます

          (中略) この二者が 私の中にある “私たち” なのです

          (中略) 私たちがより多くの時間を 右脳にある深い内的平安の回路で生きることを選択すれば

          世界にはもっと平和が広がり 私たちの地球ももっと平和な場所になると信じています

          そしてこれは 広める価値のある考えだと思ったのです”





そうですよね、そうですよね。

貴秋がいま 与えられた時間の大半を費やして 内的世界の探究に没頭するのも、まったく同じ理由なんです。

説得も撃破もならない分厚い壁に取り巻かれたように思える いまのこの問題多き世界も、自分の意識を変えるだけで 愛すべき場所に変わる、あらゆる生き物が平和に暮らせる天国を実現するのは 決して絵空事でも綺麗事でもない 完全に実現可能なことだ、そう信じているから、こんななんの保証も確証もない探究に 人生丸ごとかけられるんです。




あやふやで捉えどころのない世界と思っていた領域を、科学者の確かな知識に裏打ちされた素晴らしい体験談にしっかり支えてもらって どれほど勇氣づけられたことか。

このおしまいのくだりを見るたび、今でも熱いものがこみ上げてくるのです。





















波動と粒子

2018年02月25日 11時49分00秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


貴秋がムージ師の数々の動画と出会ったきっかけは、こちらの 「この世界が仮想現実であることを示す証明式」

これはたしかマスター濱田浩朱氏お勧めの動画で、ずっとお氣に入りフォルダに入れていながら なぜか手が出ず置きっぱなしになっていたもの。

画面横の次のお勧め動画をたどって 師を知るところとなったわけですが、「この世界が~」 は、量子物理学の 「二重スリット実験」 や 「コペンハーゲン解釈」 などについて CGを用いてとてもわかりやすく説明してくれていて、文章を読んだだけでは把握し切れなかった部分をしっかり補足してもらえてたいへんありがたかったのですが、その新たな理解が 直後に出会ったムージ師の講話と結びつき、さらに他の話ともつながって、貴秋なりの新たな世界観が生まれることになったのです。




物理学的詳細については ぜひ動画をごらんいただきたいのですが、貴秋が大雑把に受け止めたのは、人に見られていないときは波動であるものが、人の意識が向けられた瞬間 粒子に変わる、ということ。。。。。って大雑把過ぎですね ( ̄∇ ̄;)

波動 = 見えないもの、粒子 = 見えるもの、ということらしいのですが、これがあの 「思いが現実を創る」 と結びつくと、「見えない波動の世界は 形になる前の ありとあらゆる可能性に満ち満ちた世界で、そこに 人の考えや思い、記憶、感情などが向けられると、波動は粒子に変わり、向けられた意識に応じた形が出現する」 という見方が生まれます。




この 「思いが現実を創る」 というのは、五感を超えた世界について語られる場では ほとんど通説といっていいのではないかと思うぐらい あちこちでお目にかかる話で、ニール ・ ドナルド ・ ウォルシュ氏の 「神との対話」 にも、感情や思考がエネルギーであり それらが動き 引きつけ合い かたまりとなって物質が創り出されるという話が出てきますが、見えない感情や思考が見える形を生み出すプロセスを これほどわかりやすく説明してくれるものと出会ったのは初めてで、以来 「思いが現実を創る」 は 貴秋の中で有力な仮説となり、日常の暮らしの中でえんえん検証され続け、今ではほとんど事実認定されたといってもいいほどです。

一方 量子物理学については、そもそも自分なりの真実を知りたいだけで 科学的立証などにはさほど関心はありませんが、このような曖昧な領域の話が 客観的証明に厳格な科学の世界にも登場していたことに驚き 興味をかき立てられて、以来 理数系苦手で大嫌いにも関わらず シュレディンガーのネコだの二重スリット実験だのの話に食いつくようになったのでした。




なので あくまでも素人考えの個人的解釈ですが、貴秋は この見えない波動の領域と 無意識だの超意識だのと呼ばれる世界がイコールで、それが人の思いが作用することで形あるものに変わる瞬間の その無形と有形の境目が “在る” なんじゃないかなと思うのです。

この見方は、ムージ師の動画 「絶対への扉 第一部」 の一節に影響を受けてのものです。


       “I AM - 私は在る は扉の様なものだ

        それは全ての顕現に対し開くことが出来、そしてもう一方で永遠にも開かれる

        いったいこの扉は何であるのか?

        非顕現と顕現の境界線、それゆえにそれも一現象に過ぎない

        それを 「絶対なるもの」 の最初の反映と言おう”


“I am = 在る” も その存在に氣づかれている以上 現象なのでしょうが、五感で捉えることができないのだから 物質でもない。

ここで思い出すのが、「可能性の場」 というもの。

無限で無形で絶対だけれど、そこに何かが作用すれば 有限の形あるものになる可能性を秘めているエネルギー。

貴秋は “在る” をイメージするとき、カーレースのスタートラインで エンジンを目一杯ふかしながら ボルテージMAXで チェッカーフラッグが振られるのをいまや遅しと待ち構えるレーシングカーの群れが思い浮かぶのです。

「可能性の場」 は、そのはち切れんばかりに豊かなエネルギーに 方向付けがなされて 形が生み出されるのを待ち受けている、そんな氣がします。




ここにさらに、あのジル ・ ボルティ ・ テイラー博士の話が重なってくるのです。