毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

複数の視点を持つ意味

2019年02月12日 11時26分06秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


以前にも書いたことですが、複数の視点を持つことが これからは特に大切だと感じます。

一見不動の大岩も ミクロの視点を通せば 絶えず動き回る素粒子の集合体、どちらも事実だけれど、この二つを同一視点上に並べると 矛盾となってしまいます。

視点がひとつだけだと 訳がわからず混乱をきたすことがままあるのです。

逆に言えば、八方塞がりで出口が見出せないことも、五感を超えた視点を併せ持てばブレイクスルーのチャンスが生まれるということ。

迷路で袋小路に突き当たっても、上空から俯瞰で見れば一目瞭然 どう進み直せばいいかがわかります。




貴秋はよく 「行ってかえる (返る ・ 帰る ・ 還る) 」 と表現しますが、「行き」 は 本来の自分にはない否定的な要素を刷り込まれ 体験し 強化していく道、「かえり」 は 「行き」 で身につけたものをひとつずつ手放して本来の自分に戻ってゆく道。

今は世の中全体が 「かえり」 の途上にあるので、過去に得た知識や情報が通用しなかったり不十分だったりということが往々にしてあり、「想定外」 などという言葉がよく聞かれます。

「行き」 は五感の世界の視点だけで済むけれど、習い覚えたことをひとつひとつ見直し 不用になったものを手放してゆく 「かえり」 の道には 五感を超えた世界の視点がぜひとも必要です。




五感を超えた視点とは、人の形を取る以前の意識体 ・ 魂としての見方のこと。

なんでこんな目に・・・と恨みたくなるような出来事も、本来の自分が望んでのことと思えば 対応が変わります。

あの 「#Me Too」 も、これからの私たちは理不尽な扱いは認めない許さないという意思表示として掲げておき、そこから先は ひとりひとりが自身の体験としっかり向き合うようにすれば、あれほどの混乱は起きなかったのではないかと思います。

意味なく起こることなどひとつもないのですから。

苦痛を受け止め、自分は無意味に苦しめられたわけではない、体験の意味を読み解き 込められたメッセージを受け取ることができたんだと思えたとき、痛みは祝福に、怒りは自信に変わります。




私たちは長いこと 自身の外に答を求めるよう条件付けられてきましたが、確かな答など誰も持っていない今 どれほど外を探し回っても心細さが増すだけ。

もっとも確かな答は 常に自分の中にあります。

マインドが山ほどの言葉で作り出した意識の曇りを取り除けば、その向こうにおのずと答が見えてきます。




これまで 「道は人の数だけある、花畑を通ろうが森を抜けようが崖をよじ登ろうが 頂上に着くことにかわりはない」 などとたびたび書いてきましたが、運動オンチの貴秋、実はひそかに 「わざわざ崖登りなんてシンドイことをしたがる物好きがどれほどいる?」 と疑問に思っていました。

が 昨今のスポーツクライミングブームなどを見るに、とんだ思い違いだったようですね (^^ゞ

時速100キロ以上で飛んでくる硬球を太さ6cmほどの棒で打ち返すとか ボールを手を使わずあやつって狭いゴールに蹴り込むとか 盤上の駒の動きにさまざまな制限を設けた上で取り合いをするとか、人はわざわざ制約を課した難題をクリアすることが楽しくてならない生き物のようです。

そのおおもとである魂とて同じこと、日常に浮かび上がるどんな問題も 解き明かす快を求めてわざわざ用意したのだと思えば 向き合う勇氣が湧きます。

逃げるのをやめ 進んで向き合えば 解決できないことなどない、この信念が裏切られたことは ただの一度もありません。




環境汚染、難民問題、富の偏在にさまざまな不正、行き過ぎかねない科学の発展、果てしないほどの難題の山を 私たちの意識はこの先どのようにクリアしてゆくのでしょうか。

その行く末は、私たちひとりひとりの自身へのチャレンジにかかっています。