毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

意識が世界を創るって そういうことだったのね

2022年04月14日 23時38分57秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
前回の続き。

長年嫌なことにばかり意識を縛り付けられていた身としては、好ましい未来を思い描くなんてお安いご用と高をくくっていたし、また子どもの頃から磨きをかけ続けた空想力にも自信アリだったのですが、実際にやってみて、「空想」 と 「イメージング ・ ビジュアライゼーション」 とは違うのだということを痛感させられました。

「引き寄せの法則」 などを参考に、“好き” をてんこ盛りにしての未来図描きは、最初のうちこそ楽しいのですが、「できるだけ細部までリアルに」 との指示に従い 細かい設定を描き込んでゆくにつれて、不思議と面白みが薄れ ワクワク感が色あせてくるのです。

大づかみに 「内的探究は間違いなく死ぬまでやってるよね、それに家仕事も 畑も 手芸やクラフトも♪」 などとイメージするのは いまの延長だからたやすいのですが、「未来の家はこんな立地でこんな間取りでこんな内装で。。。。」 などとなってくると、いますぐ発注するわけでも建てたいわけでもないのに そんなこまごま思い描いたところで 実感湧かないし、だいたい将来もいまと好みが同じかどうかなんてわからないものね・・・とだんだんしらけムードになってきます。

で、ああでもないこうでもないと悪戦苦闘を続けていたあるとき、またしてもインスピレーションが。

「ずっと先に何をするかなど いま考えたところでどう変わるかわからない、それよりたったいま叶えたいこと ・ 叶ったらうれしいことは何?それがわかれば あとはネガの感覚フォーカスのときと同じこと、その望みが叶ったときの感覚を想像して呼び覚まし、フォーカスしなさい。感覚を実現できれば、具現化は後からついてくる」




えらいカン違いをしておりました。

フォーカスすべきはつねに感覚であり感情、言葉化された物語ではないと よぉくわかっていたはずなのに。

そもそも引き寄せなどで言うところの 「望みが叶った情景を細部までリアルに思い浮かべる」 というのも、そうなったときの生々しい感情や感覚を呼び覚ますための手段であり、ビジュアライゼーションそのものが目的ではなかったはずなんだよね。

それに 「未来」 というのも いま望んでいることが叶った未来のことであって、それより先のことをあれこれ考えても仕方ない。

で すぐさま意識を切り替え、改めて たったいま叶ってほしいことは何? と問うと、返ってきた答えは 「全き自由の身となること」。

そう、貴秋の今生での課題は 家族関係とお金の二点で、この二つに自由を阻まれていると感じることが多かったのです。

そこから生じたネガ感情をひたすら見つめることで 否定的な出来事はほとんど起こらないまでになりましたが、今度はさらに一歩進めて その空きスペースに入れるものを見つけることになり、そこで積極的に取りに行くべきものが、この 「全き自由」 だったんですね。

それではと、そういった問題がことごとく消え失せて、何をするもしないも 右へ行くも左へ行くも自由となったら どんな氣がするものか 真剣にイメージしてみたら、まあなんて風通しよくていい氣分なんでしょう。

胸のあたりのしこりが解けて、呼吸が楽になって、身も心も軽やかで晴れやかで 幸せそのもの。

“悩んでたことがウソみたいね だってもう自由よ なんでもできる”

「アナと雪の女王」 主題歌 「レット ・ イット ・ ゴー」 の一節が浮かびます。

本氣でイメージできることには、ちゃんとからだの感覚もついてくるものだと よくわかりました。

で、それっきりそのときのことは忘れていたのですが。





先月末 あること (貴秋ひとりだけのことではないので 具体的な内容が書けなくてごめんなさい ) が起こり、ここ数年苦にしていた大きな縛りがひとつ 思いがけない形で外れたのです。

想像のはるか斜め上をいくような思いがけなさだったため、うれしいより先に呆然としてしまったのですが、しばらく経って我を取り戻し、もうあれに悩まなくていいんだ、あれを四六時中氣に病んで生きていかなくていいんだ、と思ったら、せき止められていた空氣がどっと流れ込むような感覚と同時に 自由になった! という喜びがこみ上げ、次の瞬間 それがあのイメージングのときの感覚と同じであることに氣がつきました。

うわ、あのときの感覚がほんとうになった、実現したんだ!

こうしてついに、感覚フォーカスが否定的世界の手放しだけでなく 肯定的世界の実現にも有効であると確信することができだのです。

実際に手にした成果はささやかなものですが、望んだ世界を意図して具現化できるとの手応えを得た自信の大きさたるや その比ではありません。

疑念にさいなまれ 長い時間がかかったけれど、ついに仮説が正しかった確証を得た、その歓喜自体が 意識の縛りが解けたことの現れであり、それが 次の具現化の呼び水となり さらに大きな成果を得るだろうとの予感もあります。

こうなったらやることはひとつ、このウキウキワクワクをひたすら味わい続けること、得た自由を最大限活かして 日々を楽しみ暮らすこと、それだけ。

4月に入ってからしばらくブログの更新がストップしていたのは、ちょうど桜が満開だったこともあり、毎日お花見、読書、クラフト、お菓子作りと、そのときどきで これしたい! と思うことを片っ端からやっては浮かれ過ごしていたからで、そんな楽しい日常がいまも続いています。

結局のところ、自由を阻んでいたのは 自分自身の 「そんなことできない」 という思い込みであり、家族やお金の問題は その思いが反映され形になったものに過ぎなかったんだとよくわかりました。

目に見える景色は同じでも、感覚や感情が変われば世界が変わる、これ ほんとうです。