毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

本年もよろしくお願いいたします

2023年01月06日 19時05分39秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
松の内、それも関西じゃなく関東の松の内に初ブログが書けるなんて 何年ぶりでしょう \(^o^)/

ということで胸を張って(笑)、新年おめでとうございます。

旧年中は、氣まぐれな更新にも関わらず 温かいエネルギーをたくさんお送り下さって、ほんとうにありがとうございました。

今年もどんな展開になるやら皆目見当がつきませんが、ベストを尽くす所存ですので、どうかよろしくお願いいたします。




私たちは 自分で作った物語の世界を生きている。

私たちは 人生という物語の主人公であり 作者でもある。

すでに何度となく書いてきたことですが、わかりやすい例を挙げれば、太平洋戦争終結後28年経ってからグアム島より帰国した横井庄一さんと、29年後にルバング島から帰国した小野田寛郎さん。

どちらも 敗戦を告げ投降を呼びかける放送を耳にしても信じず、戦後日本の復興などつゆ知らぬまま 長い年月を他国で兵士として過ごしており、1945年8月15日から発見され終戦を受け入れるまでの日々は、他の人々には戦後でも お二人にとっては “戦中” だったわけです。

私たち人間は、とにもかくにも 自分が信じ受け入れたものを現実と見るようにできている生き物なんですね。

私たちは人生物語の登場人物であると同時に作者でもある、これを事実とするか、外に置かれた情報のままにしておくかで、今年がどういう年になるかが分かれる氣がします。




作者である自分を受け入れるということは、どんな場面においても選択権が自身にあると認めることであり、自由に選択できる自分を認めるには、ポジにもネガにも引っ張られないニュートラルな視点を持つことです。

ニュートラルな視点とは、五感の視覚に関係なく 引いたところから俯瞰で物事の本質を見極める意識のありようのこと。

獲得しようと躍起になるものではなく、もとから備わっていることを思い出しさえすればいい。

そのためには、本来の自分を見えなくしているさまざまな思い込みと向き合い 手放してゆくことです。

すでに望み通りの人生を謳歌している人には不要な情報ですから、これを読んで心動かされるのは 思い通りにならないネガティブな現実に 「こんなはずじゃなかったのに・・・」 と悩み苦しんでいる人たちでしょうが、ここにも 「試しにでも実践してみる ・ しない」 という自由選択があり、貴秋のブログは ここでかつての自分と同じく 「実践してみる」 を選んだ人を励ますためにあると思っています。




正直 貴秋もこんなに早くそのときが来るとは思っていなかったのですが、いずれは壊れると決まっている現行のお金のシステムの崩壊を防ぎ、多くの人々からの搾取を続ける、いや より厳しく取り立てるための仕掛けがすでに発動し、私たちはあまりにも多くの矛盾した情報を前に、混乱し 迷い 不安に駆られています。

この状況から抜け出す意志があるなら、混乱の渦から出て 俯瞰で眺めること。

この混乱すら、私たちの意識の知覚できないほど奥に入り込んでいる “バグ” の投影に過ぎないのですから、バグの手放しが進めば おのずと混乱は後ろに引っ込み、実際に何が起きているのかが見えてきます。

何が起きているかがわかれば、どうすればいいかもおのずと見えてくる。

仕掛けた側と仕掛けられた側に分かれて戦うのは、なんの解決にもなりません。

「自分は仕掛けられた側だ、搾取され続けてきた被害者だ」 「いいや、民衆の奴らこそ自分たちの権利を奪おうとする野蛮人だ」 とそれぞれが思い込んだ時点で、すでに被害者の物語に取り込まれて 俯瞰の視点を忘れているからです。

私たちはこれまで 「敵」 とみなした相手を滅することで平和が訪れると信じ込んできた。

が その 「敵」 も 自身の否定的な思い込みが具現化されたものに過ぎないのですから、かえりの道にあるいまは この筋書きももうしまい時でしょう。

敵対、分断、そういったものを越えて、人本来の意識を取り戻し、真の自分を知れば、問題のほうから消えていきます。

あとは、とっ散らかった現状をどう収拾し、よりよい新しい世界をどのように創っていくかだけ。

一人一人がほんとうの自分を思い出せば、それぞれの得意分野に目覚め、それらを持ち寄り 力を合わせてやっていけます。

こうして これまでの負の物語を 自己実現の明るい物語に置き換え、コントラスト効果のすばらしさを存分に味わう、2023年をそんな年にすることが、私たちの誰にも十分可能なのです。