毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「戦いから降りて平和が訪れる」 がここからのトレンド

2023年02月04日 14時57分31秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
前の記事を始めこれまでにもたびたび書いてきたことですが、疑問や反感を覚えた人物と敵対し その相手をどれほど責めても攻撃しても、決して問題は解決しません。

「戦いに勝てば平和が訪れる」 というのは 「行き」 の道で生じた幻想に過ぎず、真に問題を終わらせ 平和を迎えたいなら、まず敵対したくなる氣持ちを手放すことです。

そして 敵対する氣持ちを手放すためには、相手ではなく 相手への反感や恨み憎しみを持たずにいられない自分と向き合い、負の感情を手放すことです。

この点については 毎回躊躇なくきっぱり断言していますが、それは自身の体験から。

「私の人生は私のもの、とことさら言い立てる必要もない清々しさ」 で “世話焼き母さん” と名付けたバグを手放したことを書いた際には省きましたが、実は バグそのものよりも そんなバグに人生を曲げられたことへの恨みつらみを手放す方がはるかに大変であり、そこから得た氣づきもまた大きかったので す。




やたら人の世話を焼きたくなる性分が 潜在意識に刷り込まれたバグだと氣づき、相手にうるさがられたときの腹立ちや 精一杯打ち込んでいるのになぜか感じる空しさなどにひたすらフォーカスするうち、それが自分が好きで選んだ行為ではなく、氣づかぬうちに受け継がされていただけの自動反応だったことが はっきり見えてきました。

そして次に起きたのは解放ではなく、「長年だまされていいように使われてきた」 ことへのすさまじい怒りだったのです。

“割れ鍋に綴じ蓋的人間力学” とでもいうのか、こういう世話焼き人間のそばには 世話を焼かれたがる人間がちゃんとセットになっているものらしく、貴秋の実家では 母と貴秋が世話焼き組で 父と弟が受け取り組という組み合わせになっており、母亡きあとは 当然のように貴秋が その役割の一手引き受け元を期待されている (ただし二人には期待している自覚はない) のがありありと見えちゃったんですね。

かつての貴秋が母に対してそうだったように、受け取る側からすれば 向こうが勝手にせっせと手を出してくるのですから、都合のいいところだけ受け取って あとは迷惑そうに眉をしかめていればいいだけですが、シャカリキに頑張って家族を守っているつもりなのに 当然のこととしか受け取られず、うざがられることもしょっちゅうという割の悪いポジションが、自分のあずかり知らぬところで押しつけられただけのものだったという氣づきは、長年の抑圧で すでに限界まで溜め込まれた怒りに火をつけるのに十分でした。

この怒りや恨みの氣持ちを手放すプロセスが、とにかくもうメチャクチャキツかった。

髪が逆立ち 目もくらむほどの怒りに身を焼かれながらのフォーカスを 数年がかりで繰り返すのがどれほど大変だったか・・・いまちょっと思い出すだけでも からだの感覚がおかしくなります。

でもまあ あまり詳しく描写してせっかくお読み下さっている方にドン引かれるのもなんですから、このあたりはさらっと通り過ぎることにしましょう。




で、手放しても手放しても執拗に戻ってくる (というか、上塗りを重ねた分 剥がす層も多かったというだけのことなのですが) 怒りや怨嗟と取り組み続けるうちに、ふと見えてきたのです、「人をだまして都合よく利用したヤツがいる」 というのも、結局は貴秋自身が作った物語に過ぎないということが。

父や弟は 別に貴秋をだましたわけではなく、自身のニーズにたまたま合った貴秋の行為を棚ぼた的に受け入れ、それ以外の部分には背を向けただけのこと、貴秋をだましたのはバグであり、苦しめていたのは 「二人に都合よく利用された」 と解釈したところから生じた犠牲者の物語だったのだという氣づきが、向こうからひょいとやってきたのでした。

で そこからさらに起きたのが、「された分だけどう返してやろう」 と考え続けるのにエネルギーと時間を割く代わりに、自分がいま一番したいこと ・ 楽しいことに振り向けるようになったという変化。

このビフォーアフターからよくわかりました、恨みつらみは 「取られた分を取り返さずにおくものか」 という執着を生み、意識が恨む相手に向き続けて 波動の低い世界に自身を留めおくが、いったん負の感情から解き放たれれば 意識も自然と氣分の上がるほうに移り、自身の波動も上がって、結果低波動の世界は視界から消え去るのだと。

戦争紛争の類いであれ環境汚染であれ不況であれ、自分の権利が不当に奪われているという怒りから 抗議行動を起こせば、その不当な世界に常時意識が貼りつき 共振共鳴して、望まぬ共同創造を起こしてしまいます。

不当な状況への怒りや恨みや嘆きといった感情は当然ではありますが、それらが湧くおおもとのカラクリは 実は自身の内にあり、それらと向き合うことで解けていきます。

そうなって初めて 引きの視点から全体を見渡し、自身の個性や強みを最大限に活かして 事態の収拾に向けて動き出せるようになる、そのとき私たちは 争いの世界から喜びの世界へとパラレル移行を遂げており、そこには支配や搾取などの不条理がまかり通るエネルギーは存在しません。




コロナ騒ぎにウクライナ侵攻、異常氣象に経済不況に食糧や資源の問題に・・・と カタストロフの様相を呈しているいまこそ、胸に迫る不安や恐れを逆手に取り、内なるバグを一掃して 世界を変える大チャンス。

「戦いに勝てば平和が訪れる」 はもはや昔の物語、「戦いから降りて平和が訪れる」 がここからのトレンド、意識を変えれば地獄も天国に変わる、と体験を糧にこれからも公言して回る所存です。