毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

個人が心の平和を取り戻すことが 世界平和につながるわけ

2023年02月14日 11時33分03秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
前回の記事で、バグを手放すうちに 「イヤなこと悪いことはもう起きない」 と思うことができたと書きましたが、今回は ではなぜそうなるのかについて。

もちろん 潜在意識のバグを手放すことでそうなるわけですが、もう少し詳しく言うと、バグが消えることで 特定の線引きへの執着も消えるのです。




私たちは、呼吸をするように 「何かを分け出しては再びゼロに戻す」 ことの繰り返しで 人生を紡いでいると、以前書きました。

この 「ゼロに戻す」 ことをできなくさせるのが、「特定の線引きへの執着」 です。

この執着は、自分に実際利益がある場合と、利益があると思い込んでいる場合の二通りから起こります。

前者は例えば 「長がつく地位の者ほど給与も高い」 とか 「女性より男性の方がいいポジションにつける」 とか。

こういうルールを崩すのがどれほど難しいかは、容易に想像できますよね。

では後者はといえば、特定の相手に偏見や そこから生じる憎悪などを持つ場合。

「どこそこの誰それは」 「○○国のヤツらは」 「△△チームのヤツらは」 などと 不快感を抑え切れない相手を非難するのは、鬱屈した氣分を紛らわせて心地よく感じられるし、また “敵” を特定することで グループの結束が図れるなどということもあるため、一見利益があるように見えますが、それにこだわると 感情に振り回されて 冷静な判断がつかないままどこまでも争い続けることになり、憎しみがエスカレートすれば 命に関わる事態にもなりかねません。

戦争紛争などはこの典型で、社会的経済的事情等でストレスの溜まっているときに ちょっとしたきっかけを与えられれば、私たちは 「なにかおかしい、争いに加わらず 利益だけを得ている者がいるぞ」 などと冷静に見極める目を忘れ、些細な刺激にも敏感に反応して 無意味な戦いに突入し、自身や大切な人の命を危険にさらすようになってしまいます。

誰かを激しく嫌ったり憎んだりしているときは、相手にばかり意識が向かい、自分を大切にする氣持ちも 自分軸で生きることも すっかり忘れてしまうんですね。




そんな 「特定の線引き」 にまつわる怒りや恐れや憎しみなどの感情を見つめ続けると、まず 感情が湧き起こるきっかけとなるある種のからだの感覚が薄れていきます。

おかげで スイッチが押されてから感情が吹き出すまでに わずかな間が空くようになり、「待てよ、これはほんとうに自分がしたいことだろうか?」 と考える余裕が生まれます。

加えて、外にばかり向けていた目を 自身の内に向けることで 引きの視点から物事の全体を見渡せるようになるため、激昂するに任せて争いに飛び込む代わりに、自分軸で事態を吟味できるように 次第になっていきます。

ネガ感情の手放しが進むと、物事の部分部分に反応するのでなく 全体の本質を瞬時に見て取れるようになり、また ネガ感情自体が認知の歪みから出たものであることも自覚できるので、自分のためにならない選択をしなくなり、「イヤなこと悪いことが起こらなくなる」 のです。




「分離」 とは分け出すことであり、分け出すためには一定の線引きが必要です。

その線引きを無効にして、分け出す前の状態に戻るのが 「統合」 。

紅白戦のために敵味方に分かれたクラスメートが、試合が終われば元の仲良しに戻るようなもの、紅白に分かれて競った記憶は残っても、感情的対立はもはや存在しません。

実際貴秋も、以前は夜も眠れないほど悩み抜いた失敗や揉め事でも、とことん感覚フォーカスした今は 「そういえばあんなこともあったっけ」 と思い出すことはあっても、そこに不快な感情が乗ることはなくなりました。

これって、時間経過によっても起こることなんですね。

歳をとってから 「昔こんなことがあって、あのときはえらく腹を立てたものだよなぁ」 なんて懐かしくさえなったりすることってありますものね。

時間的に出来事との距離をとることでも、引きの視点は獲得できます。

ただ、それでは遅すぎることも多いのです。

たった今おおぜいの命が失われている戦争や、日常に支障をきたすほど辛い記憶など、ほんやり待っているだけではどうにもならないこともある。

そういうときは、意図して自身の感情と向き合い、意識の中の境界線を消して、起きてしまった事態や負の記憶の収拾を図ることです。




ただし、たったいま血の吹き出るような生傷を抱えた人に これをやれとは言えません。

それは 脚を折ったばかりの人に すぐさまリハビリをやれというようなもの、そういうときは時の働きに身をゆだねて 傷の疼きが収まるのを待つほうが先です。

ただ、いつかは必ず 「そろそろできそうだな」 と感じるときがやってくる、そうなったら 一人でも 信頼できる誰かに支えられてでもいいから、勇氣を出して 内なる負と向き合うことをお勧めします。

そして、傷ついた人の傍らで、またメディアなどを通じて事態を見聞きし 心を痛めている人こそ、負の感情を手放すことで 状況を好転させるチャンスを握っている可能性が大です。

健康な細胞が増えれば増えるほど 個人の健康度も増すように、意識の統合に成功した人が増えれば増えるほど、グループ全体の統合も進み、悩みや争いを収めて 安らかな日常へと向かいやすくなるのです。

世界平和だって例外ではない、「私一人に何ができる?」 と悩むのをやめ、まず一人一人が心の平和を取り戻すことが、世界全体の平和に必ずつながります。