現代のスポーツのありように氣が重くなるとき、反射的に思い浮かべるのが かのコリーヌ ・ セロー監督主演の映画 「美しき緑の星」 。
主人公ミラたちの星では、朝起きたらまず湖で泳ぎ、朝食と洗濯のあとは運動をするのが午前の日課のようです。
この運動というのは家族ごとに得意なものがあるらしく、ミラ一家は空中ブランコだそうなのですが、親子それぞれの空中ブランコの腕前のすごいこと。
ご覧になりたい方は こちらをどうぞ。
映画のシーンそのままではありませんが、ミラの空中ブランコ姿が見られます。
余談ですが、映画中のミラのブランコは吹き替えかと思っていたのですが、これを見るとどうもコリーヌ ・ セローさんご本人がなさっているような。。。。どうなんでしょう。
この運動の場面はけっこう長くて、空中ブランコ以外にも 綱渡りのように張ったロープ上でのアクロバットとか、トランポリンみたいにさまざまなポーズで飛び跳ねるのとか、床運動の前転や後転の連続技みたいなのとか、いろいろ出てきます。
そのどれもがサーカスばりにすごくて (このシーンの役者さんは実際サーカスのプロや体操選手などの方々じゃないかしら) シルク ・ ド ・ ソレイユか上海雑技団かという感じなのですが、彼らは人に見せるとか競い合うとかのために運動しているわけではないのですね。
健康維持のためですらない (結果的にそうなるというのはあるでしょうが) 印象を受けます。
なんらかの目的があってしているわけじゃない、ただそうしたいから 楽しいからしているというか、運動するために運動しているというか、そんな感じ。
スポーツの原点って まさにこんなふうだったんじゃないかと思います。
子どものように無心にからだを動かすことを楽しむところから始まった。
そこにあとから少しずつ 「見せる」 「競う」 という要素が加わり、どんどん積み重なって極まったのが今のありようなんじゃないかな。
そして、そのように付け加えたものの持つ意味に氣づいて すっかり手放し子どもの心に返ったのが、ミラの星の人々なんでしょうね。
「美しき緑の星」 には、もうひとつスポーツの場面があります。
あのクライマックスのサッカー場シーン。
ミラと二人の息子が、地球のプロサッカーチームの試合真っ最中に 選手たちに “切断” を施すのです。
たちまち動きを止めた一同、試合など放り出し 選手審判入り乱れてシッチャカメッチャカ、ミラが流した 「美しき青きドナウ」 の曲にのって踊り出す者、馬跳びを始める者、大声で歌いながら走り回る者、唖然とする観衆を尻目に フィールドは小学校の休み時間の校庭さながらに。
挙句の果てに 両チームのキーパーがフィールドのど真ん中に躍り出て。。。。とこれは未見の方のお楽しみにとっておきますが、役者魂としかいいようのない衝撃のシーンでしたよ ( ̄∇ ̄;)
こちらは英語字幕の予告編、サッカー場とあと 「運動」 のシーンもちらっと出てきます。
あの場面で “切断” されたのは、勝敗へのこだわりやいいところを見せたいという欲、そしてその奥に潜む 「役に立つことを証明しなければ存在価値も居場所もなくなる」 という恐れだったのではないでしょうか。
そんなものを取り払って真の自分に戻れば みな幼い子どものように満ち足りた心で楽しく暮らせる、プロスポーツなどというものもなくてもよくなるんじゃない? とそんな静かなメッセージが聞こえた氣がしました。
以前お話したような成り行きで、スポーツ大嫌いだったのが 室内ランニングやストレッチ ・ 柔軟体操を通じてからだを動かすのがすっかり好きになった貴秋、このところ 「自分の内に眠っている潜在的身体能力をもっともっと目覚めさせたい、からだの力を引き出せるだけ引き出したい」 との欲求が日に日に高まりつつあります。
ちょうど涼しくなってきたことだし 結果だ実績だというわずらわしさ抜きで 心の赴くまま思いっきりのびのび動き回るのも悪くない、と “スポーツの秋” 本番を目の前にわくわくしています (^^)
【追記】
これを描いた2日後に 「美しき緑の星」 サッカー場シーンの動画を見つけました、それも一度に3つも (^◇^;)
こちらはそのひとつ、どうぞご堪能ください☆