太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

使える英会話

2020-04-03 11:40:25 | 本とか
こう見えても、私だって英語力をつけたいと努力していたことはある。
今の夫と結婚したとき、英語が通じなくてどれだけ毎日がおもしろいことになっていたか、今では笑い話である。
クリームシチューを作ると言ったら、「ブレッドロール」があるといいね、という。
私が小さい丸いパンを買ってくると、「これブレッドロールにできる?」という。
夫が言ったのは、パンに穴をあけてそこにシチューを詰める、ということで
ブレッドロールではなく、ホールのあるブレッドということだった。
こんなのがほぼ毎日。

英語を勉強したのは高校3年まで。
それから再婚するまでの24年間、まさか外人と結婚して外国に住むなど夢にも思わなかったから、
1度たりとも英語を再勉強したことはなかった。
相手が夫だけなら笑って済ませられることも、夫の家族や友人となるとそうもいかない。
そこで私はさまざまな英語を勉強する本を買い、最初は意欲に燃え、
すぐに飽きてほかの本を買い、ということを繰り返し、英語本ジプシーとなったのである。

そんな私が出会った本の中で、すごくお勧めの本がある。



いわゆる普通の英文法の本とは違う。
丸暗記も構文もいらない。なぜそれはそうなるのかを、くだけた感じで説明していて
英語には未来形などは存在しないんだよとまで言う。
受験勉強には向かないかもしれないが、「話したい人」にはわかりやすい。
ハワイに住み始めて、「話さねばならなく」なった私の救世主。

昨日、私の本棚を整理していたら、奥からこれが出てきた。
生活の中で英語を使い始めたら、文法なんかどこかに行ってしまう。
文法を考えていたら私は話せなくなる。
誰かがしゃべっているのを真似て話していることも多いし、英文を作る前に話すので、
配置が変な英語になったりもする。
それでもなんとか、英語だらけの生活を9年続けてこれた。
私の英語は、変かもしれないけどなんとか通じる英語なのだと思う。

久々にこれらの本を読みなおしたら、ああそうだった!ということがたくさんある。
たとえば、Canは潜在的な能力の意味で使う。
潜在的能力とは、やろうと思えばできる、という意味であり
「私はこれができる」にはCanだけれど、
「その飛行機は深い霧の中でようやく着陸できた」にはBe able toでないとおかしい。

その話を夫にしたら
「そうそう、そうだよね。深く考えたらまったくそれが正しいよ。僕はCanって使うけど」
そうなのだ。
夫だけじゃない、ほとんどの人がそうだろう。
私も、なんでもかんでもCanだ。
いつだったか、関係代名詞のWhoとかWhomとかWhichについて質問したときも
「そんなの、みーんなThatでいいんだよ。てかThatもいらないよ、もう」
かくして私は文法から自由になり、通じてしまうがゆえに、英語本とも疎遠になってしまったのだ。(という言い訳)
ただ、単語だけは数多く知っているに越したことはない、これは言える。

実際のところ、「おや?」という英語を話している人は意外と多い。
ハワイは雑多な人種が集まっているのでなおさらだ。
映画を観ていても、「She don't like that」とか平気で言う。三人称ならDoseだろう。

単語の本も出てきた。
毎日時間はたっぷりあることだし、
この機会に英語をブラッシュアップするか、などと殊勝にも思っているが
いつまで続くか怪しいものである。