太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

身内以外の人に会う

2020-04-30 14:32:40 | 日記
友人のジュディスとは、ひと月に1度、一緒にアートを楽しんでいるが
3月は、さすがに自宅待機が始まったばかりでもあり、会わなかった。
4月は、少し迷った上に、会うことにした。
私もジュディスもほとんど外出をしないし、できる限りの対策をすれば
会っても構わないのではないか。


久しぶりのジュディス家


テーブルはふたつあわせて6フィート離れるようにセットし、
私が行く前にすべてを除菌し、
お互いにマスクをした。
一人で製作するのが私は好きだけれど、
時々、誰かの意見が欲しくなるときもあるし、こうして会うことが、モチベーションにもなる。
3時間ぐらいのうち、半分はおしゃべりになってしまうにしても。


家に一人でいることが、苦にならない。
もともと、大人数で会うのは苦手で、友達とは二人きりで会うのが好きだ。
パーティなど、一生行かずに済むならそれに越したことはないと思っている。
できるだけ多くの人と出会いたい、と言う人もいるけれど、
私は数えるほどの、よく知った仲間がいればそれでじゅうぶん。



花屋が営業再開できるようになって、売っている花の種類がグッと増えた。
今日、シュートメがみつけてきたのは、なんとライラック。
札幌の公園に、たくさん咲いていたなあ。
私が好きなジャカランダにも花の姿が似ている。
こんな南国に連れてこられて気の毒だけど、楽しませてくれてありがとね。








38年モノ

2020-04-30 14:01:03 | 日記
物持ちのいい友人が多い。
結婚祝いにもらったママバッグを(いいものらしい)、子供がいないので25年以上もしまってあり、
ようやく誰かの出産祝いのオマケとして、それを手放した友人もいる。
その友人は、バブルの頃の肩パッド入りの服を、まだ持っていた。(たぶん今は処分したと思いたい)
30年以上も前に私があげたものを、とってある友人もいて、感動した。
私はそれをあげたことをすっかり忘れていて、それを見ても思い出せないというのに。

私の母は、捨てられない人で、
10年前に実家を二世帯に建て替えるときに、そうとうのものを姉が処分させたのだけれど、それまでは、引き出しの中に

二年三組 〇〇〇子

と私の名前が書かれた鉛筆が入っていたり、
妹の子供が持っている傘の柄に、妹が1年生だったときの名前があったりした。


その点、私はまったくダメである。
母や、前述の友人たちは、それは誰がくれたものかということをしっかり覚えているのも素晴らしい。
その点でも、私はまったくダメである。
12月に父が亡くなったあと、お通夜や葬儀をするのに姉妹三人がてんてこまいをしていたとき、
母は、祖父の時にはお寺にいくら払った、とか、
仏壇の位牌は、お寺で書いてくれた字がうまくなかったので、〇〇町にある店で
書き直してもらった、とか、すらすらと覚えていたので驚いた。

限りなくおおざっぱな私は、そういうことを覚えていられないなら
書き留めておくなどということができるはずもなく
私のような者は、「お返し文化」の日本では不義理者となり、生きにくい。


最初の結婚で、突然無計画に、身の回りのものだけカバンに詰めて家を出て、
ほとんどの物を置いてきたまま強制断捨離した、という経緯はあるにしろ、
長い間持っているというものが、あまりない。
そんな家出や、何度もの引っ越しをくぐりぬけて残った、数少ない古いものの中でも
20年ほど前に姉からもらったマイナスイオンのドライヤーは、稀にみる古いもので
私は大事に使っていたのだけれど、
半年ほど前にとうとう壊れてしまった。(そのあとハワイで買ったドライヤーは半年の間に2個壊れた)


先日、アート関係のものが入っている入れ物の中に、ブラシを見つけた。



デッサンをしているときに、紙面のカスをはらうブラシで
美大に入ってすぐに、構内の売店で買ったような気がする。
あれから38年。(気が遠くなりそう)
デッサンなど、あれきりしたことがない。
1度も使いもしないのに、38年も、よくぞ生き延びてきたものだ。
突然の家出のときにも、私はこれを持って出たのだなあ、なんでだろう?


実はこのブラシ、掃除をするのに大変便利をしている。
窓のサンや、巾木の埃をはらうのにもいいし、
網戸をこれでサッサと払えば、猫の毛が簡単に落ちる。
ソファの座る部分の埃やゴミを、ザザっと下に落としてから掃除する。

物持ちが悪いからといって、物を大切にしたくないわけではないのだ。
「一生大事にするからね」
存在を忘れていたくせに、そんな恋人みたいなロマンチックなことを
ブラシに向かって言うのである。