太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

親と施設

2020-04-20 14:33:38 | 日記
母は今、生前父がお世話になっていたグループホームにいる。
12月の初めに転んで肩を骨折するまで、家からデイサービスに行けたのだが
骨折後、ほかの機能もがっくり落ちて、姉ひとりではどうにもならなくなったのだ。

2年前、父を施設に入れねばならなくなったとき、抵抗があった。
その抵抗の半分は罪悪感でできている。


母が短期で入所した、いくつかの施設は、施設こそきれいで快適そうだけれど
一列にテレビに向けて座らされ、1日中テレビを眺めているとか、
1日中、パジャマのままだったり、それも食べこぼしがついたままのものを
着替えさせてくれるように頼んでも尚、翌日もそのままだったり。
職員も足りないのだろうし、大変な仕事だとは思うけれど・・

父がいたグループホームは、実家から徒歩1分という距離にあり、
元は個人のお邸だったのを改装した、こじんまりとした施設だ。
職員の方たちが、ほんとうに温かく、明るい。
一人一人によく声をかけてくださり、一緒に何かをやってくれたりする。
私が送った、日本の風景の大人の塗り絵を、父の指がもうあまり動かなくなってからは
「ここは何色がいい?ここは?」
と聞きながら、かわりに塗ってくださったりもした。
家族だって、そんなことはできない。

父が亡くなったのが12月半ば。
母に同じホームに入所してほしかったけれど、手続きがいろいろあって、
空きが出たからどうぞ、というわけにはいかないらしい。
ケアマネージャーさんが奔走してくださり、母が入所できたのが1月初め。
それも、父が使っていた個室を、そのまま引き継いでいる。

コロナウィルス騒ぎの前に、父が逝き、母を代わりに入れてくれて、
「おとうさん、すごいタイミングでやってくれたよね」
姉妹でしみじみと言いあう。
今、父が他界しても、駆け付けることもできなかっただろう。


3月初めから、母のグループホームは面会禁止になった。
母が家にいたときは、週に何度か電話で話していたけれど、
今はそれもできないので、こまめにハガキを書いている。
便箋だと封筒から出さねばならないので、指先がうまく動かない母には難しい。
姉も、母を病院に連れていく以外は会えないので、毎日どうしているのかはわからないという。
4月の母の誕生日に、ホームで誕生日会をやってくださり、
その写真をきれいに台紙に貼って姉に郵送してくれた。

『〇〇さん、お誕生日おめでとうございます。
いつまでも美しい〇〇さんでいてくださいね』

その下に、母を中心にして撮った写真があった。
マスクをした職員の方たちが、おどけて笑っている。
真ん中の母も、明るい笑顔で映っている。
しばらく見ないうちに、母は、穏やかな顔になった。
写真のその顔は、母方の祖父に目元がそっくりだ。
今までそんなふうに思ったことはなかったけれど。
私は1日に何度も、姉が添付してくれたその写真を眺めている。


2年前、大腿骨骨折後のリハビリ病院で、しきりに家に帰りたいという父が不憫だった。
家がいいに決まっている。
もし私が近くにいたなら、と思うことはあったけれど、そうじゃないので
一緒に住む姉に遠くから、ああしろこうしろとはとてもじゃないが言えない。


でも、そのグループホームに移ってから、父は滅多に帰りたいと言わなくなった。
「チョンガー(独身のこと)みたいで、こういうのもいいなァ」
と笑っていた。
父が家にいた頃は、言うことを聞かず、たばこもやめず、姉と喧嘩が絶えなかった。
親子というのは酷なもので、言わでもがなのことを言ってしまう。
母も同じで、「おねえちゃんが威張る」と母は言い、
「おかあさんが私のことを人でなしだって言った」と姉が言う。
言われたことを、他人ほどには引きずらないけれど、
言ってしまったことを悔やむ思いは、自分を傷つける。
私が姉でも、きっと同じだったのではと思う。

近いので、毎日家族の誰かが会いに行く。
家族よりも優しくしてくれる人たちに、息をひきとるその瞬間まで看取ってもらえて、
父は家にいるよりも幸せだったのではないだろうか。
それは私たち子供の、そうあってほしいというエゴだろうか。

母とは、もう4か月以上も話をしていないけれど、
母はあの、さんさんと太陽が降り注ぐ部屋で、おだやかに過ごしているからいい。
たとえ私のことを認識できなくなったとしても、母が幸せな気持ちでいたら、それでいい。
父の遺体を家に連れてきたとき、
「おとうさん、家に帰してあげられなくてごめんね」
と言って姉と泣いた。
母にもきっと同じことを言って泣くのだろう。
それでもきっと、母にはこのほうが幸せなのだと思う。
それが子供のエゴなのだと言われても。









泳ぐのはOK

2020-04-20 11:41:24 | ハワイの自然
日曜日、夫とビーチに行った。
金曜日から、ビーチで泳ぐのはいいがウォーキングはダメ、という規則ができたので
ボディボードを持って泳ぐことにした。
泳ぐのはいいのに歩くのはダメとは、これいかに??
ウォーキングと称して複数で集まったりするのを防ぐとか、だろうか。

いつものカラマビーチ

風が心地よい

四輪バギーやボートに乗ったポリスマンが監視をしている中で、
久々に泳ぐ。


水は温かく、どこまでもエメラルドグリーン。
水の中にいると、外の世界で起きていることなど嘘のようだ。
わりとすぐ近くで、亀が泳いでいた。
亀はコロナのことなど知らないで生きているんだろうなぁ。

ブーゲンビリア

花や木が、すごく輝いてみえる。
言葉にするなら、 息吹 。
気のせいかと思ったりもしたけど、今は気のせいじゃないと思う。
植物の呼吸を感じるぐらい、みんな生き生きしている。


ファーマーズマーケットに寄って、果物と野菜を買い(買い物する順番を15分待った)家に帰る。
出がけにバタバタしていたので、猫たちのご飯をあげるのを忘れていた。

「おーい、うちらのご飯はどうした」

土曜と日曜は、夫が休みで家にいる。
私が仕事をしているときは、夫と過ごせるのは日曜だけで、
一緒にあれもしたい、これもしたいと思うのだけれど、
今は私は毎日家にいて自由なので、土日は夫がやりたいことを優先している。
飽きるまでヘヴィメタのYouTubeを見ていたり、
ギターをずっと弾いていたりするのを、放っておく。
普段は、夫ひとりで過ごせる土曜日に、こんなふうにしているのだろう。


失業保険の申請は、ゆるゆるながら進行中。
ハワイはすべての州の中でも1番、失業保険の申請が多いらしい。
働く人口の3割近くが失業中という。
ふと、思う。
コロナ後、私はまた元に戻るのだろうかな。
そもそもコロナ後、というのは、あるのだろうか。