太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

エゼキエルブレッド

2020-04-14 16:14:44 | 食べ物とか
お米が品薄な折、ひとりのお昼をパンにしようかと思い立つ。
なるべく小麦のものを食べない努力をしているので、
エゼキエルブレッドを買いに行った。
確か何年か前にもエゼキエルブレッドの記事を書いたと思って探したら、
8年前だった・・・・・

なぜエゼキエルブレッドなのか。
8年前の記事の一部をコピー。

パンの原料である小麦のグルテンに含まれるレクチンが、インスリン代謝の妨げをするため、
グルテンを摂取すると太りやすくなったり、アレルギーを引き起こすキッカケになったりする。というのだ。

それはどうやら本当のようで、というのも、夫が小麦を排除した食事をすると、スルスルと体重が落ちる。
アメリカでは、食事療法に関心のある人々のために、グルテンフリーのパンやパスタ、ビールなどがたくさん売られている。

エゼキエルブレッドは、発芽した小麦が原料になっている。
小麦は発芽するとグルテンが壊れるらしく、本によれば「生きたパン」だという。


ということだ。
ちなみにエゼキエルは、聖書に出てくる預言者の名前で、その人の食事が、何種類かの穀物と、発芽した小麦で作ったものだったらしい。

エゼキエルブレッド

私はこのシナモンレーズンが好き。
アメリカのパンは、すでにかなり薄めにスライスされている。
1枚で80キロカロリー(6枚切り食パン1枚が160キロカロリー)
アメリカ本土では、同じパンが2ドルぐらいで買えるらしいのだが、
ハワイでは 7ドル(!) もする。
すべて冷凍で売られているのは、保存料などがいっさい使われていないため。



5ミリぐらいのスライスを、香ばしくトースターで焼く。
炭水化物ダイエットをしている同僚が、誰かがパンをトーストしている匂いを嗅いで
「あぁー・・・炭水化物の焼ける匂いって、ものすごい誘惑!!」
とつぶやいていたが、まさにそう。
パンが焼ける香りって、パン好きにはたまらない。
このトーストに、バターを乗せて、溶けたところを食べる。
カロリーで考えたら、バターはない方がいいに決まっているけど、
一切れのバターを自分に許す。

毎日ウォーキングをして、家の掃除もこまめにして体を動かすようにしていても
家にいるだけなので、仕事をしているときほどには動いていない。
せめて現状維持、のスローガンをおのれに掲げている。
その現状維持が危うくなっている話は次の記事で。


最後は白で

2020-04-14 11:34:48 | 日記
昨日の昼間の雨に引き続き、夜は雷まで鳴り出して
まだそんなに雨の在庫があったんか!というほどの雨が降った。
朝方になって雨はやんだけど、庭の横を通る、山に降った雨を海まで流す川の音が
まるで川のすぐ脇で寝ているかのように聞こえていた。

雨はやんでも滝はしばらく流れ続ける


さて、昨日、夫の車が車上荒らしにあった。

職場の駐車場は囲いがなく、治安もあまりよくない地域でもある。
個人ロッカーがないので、夫は電話と財布を、施錠できるグラブコンパートメントに入れているのだそうだ。
お昼に、ランチボックスを取りに車に行くと、グラブコンパートメントをこじ開けようとした形跡があった。
どうしても開かなかったらしく、中のものは盗られてはいなかったが、
コンパートメント自体が歪んでしまい、鍵を使っても開かなくなった。

帰宅して、工具を使ってコンパートメントの下のボルトを外したが、隙間が開くだけ。
夫より手が小さい私が、隙間から手を差し入れてみた。
すべては出せなかったが、必要なものだけは取り出せた。

思うことも、言いたいことも、いろいろある。
いろいろあるが、財布も電話も無事でよかった。

「願い」は、「思い」。
自分の「思い」は、必ずそのとおりの現実を作る。
だから願いは常にかなっているのだという。
私は過去の、さまざまな「えーーー!!!」と叫びたいような体験から、
渋々ながら、それが真実であることを知っている。
知っているのに、「こんなこと願ってない!」と声を大にして言いたいことが起きると
心が騒ぐ。
生身の人間なので、それは仕方がない。
けれど、心が騒いだあとは、に見えたその出来事を、にして終わらせるようにしている。

数年前まで、思わぬ事態が起こったときに、心が騒ぐことさえも自分に許さなかった。
「そうかそうか、起きることが起きているのだね」
と賢者のようになることを、自分に課していた。
だから騒ぎたいのをグッとこらえて、どうってことないふりをしようとした。
が、あるとき、そんな火事場で宝物を探すようなことはもう無理だと悟った。
私は賢者になれるはずのない、ただのオバサン。
ただのオバサンは、普通に騒いで、それでいい。

ただ、その出来事を、黒いままで終わらせない。
最後は白に変えて、
『ま、どうなるかと思ったけど、よかったよね』
という白いラベルをつけて、よかったことの棚にしまう。
出来事に、どんなラベルをつけるのかは私次第。
『災難』『不運』と書かれた黒いラベルの出来事など、私は欲しくない。
私の心には、黒いラベルのものをしまう棚など、もうないのだ。


かくして、昨日の車上荒らしも
『ま、コンパートメントは壊れたままだけど、盗まれなくてよかったよね』
というラベルを貼って、ツイてたことの棚にしまった。









雨を眺める

2020-04-14 07:23:11 | ハワイの自然
ハワイは久しぶりに土砂降り。
今朝、濡れずにウォーキングできたのが信じられない。
私のデスク前の窓から、バケツをひっくり返したような勢いの雨が見える。

雨でも空は明るい

ボーっと雨を眺める。
それこそ「ボー」という音がしてくるぐらいに。



雨のしずくが白く光っているところが、妖精みたいに見えて楽しくなる。


家の中から、雨を眺めるのが嫌いじゃなくなったのは、ハワイに来てからだと思う。
子どもの頃、じとじとと1日中降りこめる雨は嫌いだった。
小学校の木造校舎の床も壁も、それ以上吸い込めないほどに水を吸ったようになり、
壁の一部には水が浮いてくる。
木製の窓枠も扉も水分で膨れてたて付けが悪くなる。
木の机も柱も、湿った水の匂いがする。
記憶の中の雨はいつも陰気で、気持ちがふさいだ。



こんなふうに、ただボーっとすることなど、仕事をしているときにはありえないことだ。
もっと忙しい人はいくらでもいて、私は私のことだけをすればいい生活なのに、
なんとなく時間に追われているような気がする。
時間はきっとあるのに、気持ちに余裕がない。
8時間仕事をしていることで、心が波立つことが多いからかもしれないし
単に私が怠惰なだけかもしれないけど。

寝室窓から見える即席の滝

切り立った山肌に、即席の滝がいくつも現れる。
窓を開ければ、どうどうという滝の音まで聞こえるはず。
山に降ったメガトン級の雨が、滝となって山肌を滑り落ち
うちの庭の脇を通って海に出る。


庭の木々が、雨を枝から滴らせて喜んでいる。
うっそうと茂る葉が、笑っている。
うれしい、うれしい
そんな気持ちが、びんびん伝わってくる。



少し雨脚が弱まると、どこにいたのか鳥たちが現れて枝を飛びまわる。
可愛い声で、歌いだす者もいる。
強く降ってくると、再びどこかに身を潜める。
雨脚が弱まり、鳥たちがまた出てくる。
無駄にみえる、こんな時間は、たしかに私が欲しかったものだ。