太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

少しずつ気づき始めてる

2020-04-08 12:58:12 | 日記
週の半分は外食をする、外食好きな義両親が、こんなご時世で毎日家で夕食をとる。
私たち夫婦は、平日は外食はしないから、今までどおり家で食べる。
「うちにサーモンがあるよ」
「グリーンビーンズがあるから、それを合わせよう」
「今日は豚の生姜焼きを作るけど」
「じゃ、マノアレタスがあるからサラダを作るわね」
という具合に情報を交換するようになり、自然と、4人で食卓を囲むことになる。

最近の、毎日の夕食風景

猫たちも仲間入り

家族の団欒。
9年前、ハワイに戻ってくる決断をして、
6年前、両親の家の隣に家を建てる決断をしてよかったと思う。
義両親だけでも、彼らは何十年もそうしてきたように暮らしてゆくだろうけど
息子と毎日顔を合わせられることは、きっと彼らの生活をもっと楽しくしているに違いない。
それは夫にとっても同じこと。
親の近くで暮らせない私には、それがどんなに大事なことかわかる。
父を亡くして、その思いはいっそう募る。
夕食を一緒に囲まなければ、気配はするが、言葉を交わさない日もある。



朝、ウォーキングをしていると、以前はすれ違うときにどちらからともなく挨拶をしあったりしたものだ。
それがコロナウィルス以降は、挨拶どころか、どちらからともなく距離をあけるようになった。
仕方がないけど、味気ない。
そんなダンマリのウォーキングにも慣れてきた今朝、
近所の家の前を通り過ぎるとき、
「Good morning!」
と声をかけられて驚いた。
通りに出してあったゴミ箱を取り込むところであった30代ぐらいの白人の男性が、
笑顔で私を見ていた。
「Good morning!」
ずっと黙っていたので声が裏返ってしまったが、笑顔で返した。
嬉しかった。
儀式のように挨拶していたときには感じなかった喜びが、いつまでもあたたかな余韻となって残った。

今まで当たり前だったことが、そうじゃなくなって、人々の生活は混乱している。
でもその中で、きっと多くの人が気づき始めている。
当たり前だったことの、ありがたさを。
忘れていた大事なことを。
こうなって改めて見つけることができた幸せを。










特別な月の夜に放電充電

2020-04-08 10:33:27 | ハワイの自然
昨夜の月は、すごかった。
朝4時に目が覚めた。
寝室の天井近くの窓から見える月は、裸眼で見るのが難しいほど眩しい。
月の明るさじゃなく、太陽に近い強い光。

寝室の窓から

外に出てみた。

両側のはヤシの葉

その前の晩、持っている石たち(水晶とかいろいろ)に月光浴させたのだけれど
今夜も石を出しておけばよかったかも。

芝生の上に素足で立って、月を眺める。
素足で地面に立つと、足の裏の真ん中がかすかにうずうずする。
私はこれを勝手に、「放電・充電」と呼んでいる。
地球のエネルギーを、足の裏から充電し、不要なものを放電している気がするのだ。
軽い頭痛なら、しばらく放電充電していると治ってしまう。

ハワイでは、素足で地面に立つことが多い。
ビーチを素足で歩けば、細かい砂の感触が気持ちがいい。
打ち寄せる波が引いてゆくとき、足の下の砂も引っ張られていく、あの感じも好きだ。
晴れていれば、庭の芝生は素足で歩くほうが気分がいい。
街に出れば、素足で普通の道を歩いている人も、とくに珍しくはない。


ギンギンに眩しい月の下に立って、5分ぐらい放電充電した。
足の裏から入ったエネルギーが、頭のてっぺんから月に抜けて
頭から入った月のエネルギーが、足の裏から地球に抜ける。
私の体はだんだん透明な管となってゆく。

寝室に戻ると、
「Are you OK?」
寝ていたと思った夫が、目を閉じたまま言った。
「庭で月のエネルギーを充電していたんだよ」
「アー、ヨカッタネ」
私の怪しい行動に、夫はすっかり慣れてしまっている。