ここ数日、ハワイに偏西風が戻ってきた。
土砂降りの雨のあと、夜中から朝にかけて雷で、
窓にカーテンのない我が家は、まるでディスコ(古い?)のようだった。
スカッと晴れて、偏西風が吹くと気持ちがよくてうきうきする。
ウォーキング中に見る、かわいい花々までうきうきしている。
白と赤の割合が絶妙!
このままレイにできそう
デイゴ(たぶん?)の花
このデイゴの木は、前の結婚時代に最初に住んだアパートにあった。
ぼってりとした、実のような花をつけ、あっというまに散って、
散ったかと思うといつのまにか咲く。
静岡の市街地の、アパートの一角に植えられた南国の木は、
何年たっても居心地が悪そうで、また見慣れることもなかった。
私はその分厚い感じの花も、1年に何度も咲くたくましさも、鬱陶しくさえあり、
なんだか好きになれなかった。
車を停めて、建物に入るまでの間にデイゴの木の前を通るとき、
私はなるべく木を見ないようにしていた。
それは幸せじゃなかった結婚の、私のざらざらした心を逆なでるような木だった。
決定的に何かが間違っていることに本心では気づきながら、
そのことから目をそらして、無理やり綺麗な箱に押し込もうとしていたあの頃。
あそこにあったデイゴの木は、まさに私自身ではなかったか。
そのことから目をそらして、無理やり綺麗な箱に押し込もうとしていたあの頃。
あそこにあったデイゴの木は、まさに私自身ではなかったか。
何年か前、ウォーキング中にデイゴの木を見つけたとき、
それがあの同じ木だとは思えなかった。
自然で、生命力にあふれていた。
南国の木は、南国に生きるのが幸せだからなのか、
私の心がざらざらしていないから、そう見えるのか。
あのアパートは、区画整理があって、今は大通りに面しているという。
デイゴの木は、今でもそこにいるのだろうか。
27年たっても、まだ所在なげな感じでいるのだろうか。
あのときは、嫌ってごめん。
ハワイの幸せなデイゴを見ながら、私は心でつぶやく。