太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

偏西風が戻ってきた デイゴの思い出

2020-04-17 13:36:12 | 日記
ここ数日、ハワイに偏西風が戻ってきた。
土砂降りの雨のあと、夜中から朝にかけて雷で、
窓にカーテンのない我が家は、まるでディスコ(古い?)のようだった。

スカッと晴れて、偏西風が吹くと気持ちがよくてうきうきする。

ウォーキング中に見る、かわいい花々までうきうきしている。
白と赤の割合が絶妙!

このままレイにできそう

デイゴ(たぶん?)の花

このデイゴの木は、前の結婚時代に最初に住んだアパートにあった。
ぼってりとした、実のような花をつけ、あっというまに散って、
散ったかと思うといつのまにか咲く。
静岡の市街地の、アパートの一角に植えられた南国の木は、
何年たっても居心地が悪そうで、また見慣れることもなかった。
私はその分厚い感じの花も、1年に何度も咲くたくましさも、鬱陶しくさえあり、
なんだか好きになれなかった。
車を停めて、建物に入るまでの間にデイゴの木の前を通るとき、
私はなるべく木を見ないようにしていた。
それは幸せじゃなかった結婚の、私のざらざらした心を逆なでるような木だった。

決定的に何かが間違っていることに本心では気づきながら、
そのことから目をそらして、無理やり綺麗な箱に押し込もうとしていたあの頃。
あそこにあったデイゴの木は、まさに私自身ではなかったか。



何年か前、ウォーキング中にデイゴの木を見つけたとき、
それがあの同じ木だとは思えなかった。
自然で、生命力にあふれていた。
南国の木は、南国に生きるのが幸せだからなのか、
私の心がざらざらしていないから、そう見えるのか。

あのアパートは、区画整理があって、今は大通りに面しているという。
デイゴの木は、今でもそこにいるのだろうか。
27年たっても、まだ所在なげな感じでいるのだろうか。

あのときは、嫌ってごめん。

ハワイの幸せなデイゴを見ながら、私は心でつぶやく。










こんな1日

2020-04-17 12:13:48 | 日記
昨日のニュースで、この1か月でハワイの海に既に変化が起きている、と言っていた。
魚たちの数が増え、陸のずっと近くに来ている。
ハナウマ湾は、通常は1日に3000人がシュノーケルをするそうで、
今はサンゴも生き生きと元気になったらしい。
クジラも陸に近いところを泳いでいるし、イルカの群れもすごく増えたと、先週の新聞にも書いてあった。
やっぱりね。
おとといのカイルアビーチ
そんな気がしたんだよ。


車を1か月も動かしていないので、たまにはエンジンを回さないとと思い、近所をドライブしてきた。
ひと月ぶりに運転して、とっても気分がいいので、花屋まで足を伸ばした。
家に切り花は欠かさないようにしているのだけれど、今日はいい花がなかった。
そこでエアプランツを買った。



蓋を割ってしまった、お気に入りのティポットに挿して、



キッチンのシンク前の窓辺に置いた。
エアプランツの隣が、バジル。その隣が、アンスリウム。



夜、テレビを見ていたら、

ガッチャン!!

という嫌な音がした。
ティポットがシンクに落ちて取っ手が粉々になっていた。

最近、夕食のあとでハーブティを飲むのが習慣になっている。
タンポポの根っこのお茶など、数種類のハーブティを、気分によってブレンドして飲む。
その時に使うティポットは、私の大のお気に入りで、大事に使っていた。
ポーランドの手描きの絵付けの、4人分はたっぷり入る大き目のもの。
使うたびに幸せな気持ちになったのに、それが割れた。
ハーブティを淹れたあとのポットに、猫がほおずり(マーキングの1種か)しようとして、
シンクの中に落ちてしまったらしい。

猫に悪気はないので、責めるわけにもいかず、
「くぅーーーーーーッッッ!!」
無念を堪える。
取っ手が取れただけなら、本体のみでも使えるのだけれど、
取っ手がついていた箇所に穴が開いてしまい、ポットとしては使えなくなった。

取っ手なしの、穴あきのポット

残念すぎて、捨てる気にならない。
中になにか容器を入れて、花活けとして使うつもり。