『悲情城市』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B00008BOFR&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
よく『非情城市』と間違って書かれてますが正しくは『悲情城市』、台湾の巨匠侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の代表作で1989年ヴェネツィア映画祭のグランプリ作品。
ぐりが最も好きな映画のひとつです。
舞台は台湾北部の港町基隆、1945年第二次大戦の終結により半世紀以上に及んだ日本統治から台湾が開放され、49年国共内戦に敗れた国民党軍が台北を臨時首都に定めるまでの4年間を、町で居酒屋を経営する林一家の崩壊を通じて描いた“歴史的悲劇”の物語。
歴史的悲劇と云っても史実にはそれほど忠実ではないらしいです。公開当時は国民党政府による40年間の戒厳令が解かれて間もなく、厳しい言論統制の反動と作品のトーンのあまりのリアルさに現地台湾では「これはノンフィクションではないか」「いや捏造だ」と云ったような論争も巻き起こったそうですが、実際には全くのフィクションであり、監督も脚本家も製作者も政治的な意図は一切なかったようです。
確かに田村志津枝著『悲情城市の人びと』やその他の資料を読む限りでは映画『悲情城市』はあくまで虚構の物語であり、時代に翻弄される悲しくも平凡な愛すべき人々の姿を淡々と描いたホームドラマと云うべきでしょう。
ただそれはそれとして、国策映画ではなくフェアネスな国際的評価を集めたこの映画が、未だに終わらない日中戦争と内戦の燻りの中を生きる中国・台湾の人々にとって大きな意味を持っているのもまた事実だろうとは思います。
『悲情城市』のラストでは、身の危険を察知した主人公・文清(梁朝偉トニー・レオン)が妻子とともに記念写真を撮ります。ごくありふれた家族写真の中で夫妻の顔は凍りついたようにこわばっている。
『悲情城市の人びと』で著者の田村氏は映画のワンシーンと同じように処刑前に日本の歌謡曲「幌馬車の唄」を歌った政治犯がいたと訊いて遺族を訪ねていく。長い抗日戦争を戦って祖国に帰って来た愛国者が死出の旅に歌ったこの曲を、本人は死ぬまで日本の歌だとは知らなかったと云うからせつない。
いずれにせよこの時代を生きた人々には、愛国心や民族主義はさておいてもとにかく平和と故郷を愛する心と人は如何に死ぬべきかと云う心構えのようなものがあったように感じられる、そんな映画、そんな本です。
畳敷きに障子襖の日本家屋に住んで日本語交じりの台湾語と北京語・上海語・広東語・日本語を交えて会話し、祖国である筈の中国政府に必死に抵抗する彼らのドラマは、他国の侵略を受けたことのない日本人にとってなかなか理解しにくい複雑な被統治国意識を、穏やかにやさしく表現した物語でもあります。
『悲情城市』と『悲情城市の人びと』、併せてオススメの映画と本です。泣けますぜ。
ところでこの映画に出て国際的に注目を集めた梁朝偉は当時27歳。ちょうど今の劉燁(リウ・イエ)と同世代ですね。今観るとやっぱりこのふたり似てます。容貌がと云うより俳優としての質が似てる。訴えかけるようなまなざし、純真な表情、優しいようでしなやかに強い精神性。
この映画でのトニーはいろんなとこで「他の出演者の演技に比べてオーバーアクションだ」と云うような批判を受けてますが、ぐりは個人的にはそうは思わないですね。別に気になりません。聴覚障害者と云う設定のせいかもしれませんが。
文清(トニー)の兄・文雄(陳松勇チェン・ソンユン)の部下・阿嘉を演じた張嘉年(ケニー・チャン)はこないだ観た『運転手の恋』で主人公のお父さんを演じてました。15年前と全然変わってなくてビックリしました。
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よく『非情城市』と間違って書かれてますが正しくは『悲情城市』、台湾の巨匠侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の代表作で1989年ヴェネツィア映画祭のグランプリ作品。
ぐりが最も好きな映画のひとつです。
舞台は台湾北部の港町基隆、1945年第二次大戦の終結により半世紀以上に及んだ日本統治から台湾が開放され、49年国共内戦に敗れた国民党軍が台北を臨時首都に定めるまでの4年間を、町で居酒屋を経営する林一家の崩壊を通じて描いた“歴史的悲劇”の物語。
歴史的悲劇と云っても史実にはそれほど忠実ではないらしいです。公開当時は国民党政府による40年間の戒厳令が解かれて間もなく、厳しい言論統制の反動と作品のトーンのあまりのリアルさに現地台湾では「これはノンフィクションではないか」「いや捏造だ」と云ったような論争も巻き起こったそうですが、実際には全くのフィクションであり、監督も脚本家も製作者も政治的な意図は一切なかったようです。
確かに田村志津枝著『悲情城市の人びと』やその他の資料を読む限りでは映画『悲情城市』はあくまで虚構の物語であり、時代に翻弄される悲しくも平凡な愛すべき人々の姿を淡々と描いたホームドラマと云うべきでしょう。
ただそれはそれとして、国策映画ではなくフェアネスな国際的評価を集めたこの映画が、未だに終わらない日中戦争と内戦の燻りの中を生きる中国・台湾の人々にとって大きな意味を持っているのもまた事実だろうとは思います。
『悲情城市』のラストでは、身の危険を察知した主人公・文清(梁朝偉トニー・レオン)が妻子とともに記念写真を撮ります。ごくありふれた家族写真の中で夫妻の顔は凍りついたようにこわばっている。
『悲情城市の人びと』で著者の田村氏は映画のワンシーンと同じように処刑前に日本の歌謡曲「幌馬車の唄」を歌った政治犯がいたと訊いて遺族を訪ねていく。長い抗日戦争を戦って祖国に帰って来た愛国者が死出の旅に歌ったこの曲を、本人は死ぬまで日本の歌だとは知らなかったと云うからせつない。
いずれにせよこの時代を生きた人々には、愛国心や民族主義はさておいてもとにかく平和と故郷を愛する心と人は如何に死ぬべきかと云う心構えのようなものがあったように感じられる、そんな映画、そんな本です。
畳敷きに障子襖の日本家屋に住んで日本語交じりの台湾語と北京語・上海語・広東語・日本語を交えて会話し、祖国である筈の中国政府に必死に抵抗する彼らのドラマは、他国の侵略を受けたことのない日本人にとってなかなか理解しにくい複雑な被統治国意識を、穏やかにやさしく表現した物語でもあります。
『悲情城市』と『悲情城市の人びと』、併せてオススメの映画と本です。泣けますぜ。
ところでこの映画に出て国際的に注目を集めた梁朝偉は当時27歳。ちょうど今の劉燁(リウ・イエ)と同世代ですね。今観るとやっぱりこのふたり似てます。容貌がと云うより俳優としての質が似てる。訴えかけるようなまなざし、純真な表情、優しいようでしなやかに強い精神性。
この映画でのトニーはいろんなとこで「他の出演者の演技に比べてオーバーアクションだ」と云うような批判を受けてますが、ぐりは個人的にはそうは思わないですね。別に気になりません。聴覚障害者と云う設定のせいかもしれませんが。
文清(トニー)の兄・文雄(陳松勇チェン・ソンユン)の部下・阿嘉を演じた張嘉年(ケニー・チャン)はこないだ観た『運転手の恋』で主人公のお父さんを演じてました。15年前と全然変わってなくてビックリしました。