『TOKKO─特攻─』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B0012AGLLY&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
戦争の悲劇の犠牲者として美化されはしても、実態が当事者の口から語られることはめったにない「神風特攻隊」。
ちなみに「神風」と称するのは海軍の特攻隊で陸軍はただ「特攻隊」なのだそうだが、やってたことは大体いっしょです。
最近は海外ではすっかり自爆テロ攻撃=狂信的暴力を指すようになってしまった「KAMIKAZE」という言葉が一人歩きしているけど、その実、日本でだって特攻作戦の現実はあまり知られていないのではないだろうか。ぐりは例の都知事映画を観てないけど、あれも結局は当事者の証言を直接題材にしているわけではない。
この映画の特異なところは、監督が日系アメリカ人、プロデューサーが日本生まれのアメリカ人という点。
ふたりとも日本を祖国/故郷としながらアメリカ国籍を持ち、太平洋戦争の当事国両国のアイデンティティをもっている。観ればわかることだが、この作品はこうした彼女たち独特の立場からしか語れなかったという意味で前代未聞の、特級の反戦映画にもなっている。
物語のきっかけはリサ・モリモト監督の亡き叔父が元特攻隊員だったという過去が判明するところから始まる。なので最初は家族の物語である。叔父本人は既に20年前に亡くなっているので、監督は他の生存者を訪ねてインタビューをとり、リサーチをする。インタビューは生々しく、リサーチはごく綿密で、特攻作戦がいつどのように立案され、実戦に導入され、いかにして「国民の鑑」にまつりあげられていったかという全体の過程が、非常にわかりやすく表現されている。
ぐりは太平洋戦争にも特攻作戦にもまったく詳しくないんだけど、たまたま同じ回を観ていたご老人が受付で「一ヶ所だけ」とダメ出しをしていたので、お詳しい方が観られても矛盾のない内容になっているのではないかと思う。ミスは「一ヶ所だけ」ってくらいだから。すごいです。
ぐりが作中でいちばん心を動かされたのは、訓練中に地元の一般家庭で休暇を過ごした隊員たちが、一家の娘さんから手渡された手づくりの人形をとても大切にしていたという証言。もののない時代、粗末な材料でつくられた簡単な小さな布人形を、隊員たちは後生大事に腰に提げて隊務についていた。どれほど強く思っていても口に出して気持ちを言葉にすることができない時代に、そのささやかなマスコットにこめられた心の痛みで胸が締めつけられるような気がした。人形をもらった隊員たちは10代後半〜20代前半のほんの子ども、贈った渡辺クミさんは当時19歳、この方は『恋文』というラジオドキュメンタリーの主人公として一部で知られている俳人でもある。
あともうひとつ、証言者のひとりが出撃前に帰省したときのことを語ったシーン。
この映画に登場する証言者は日米両国にまたがっているが、日本人証言者のほとんどはもちろん日本語で話している。元特攻隊員の上島武雄氏もずっと日本語で話していたのだが、父と再会した夜の話題になったとき、突然英語で喋りだした。もう二度と会えないかもしれないと思いながら親子で過ごした忘れられない一夜のことを、61年経った今も、母国語では話せないという心の壁。
戦争がどれほどひどいことかを、これほど能弁に語れるのはやはり当事者しかいないだろう。
日本では高齢化も進み証言者も年々減っているけれど、『蟻の兵隊』の奥村和一氏にしろ『ひめゆり』の元ひめゆり学徒隊員にしろ、語ろうとしている人はまだまだいるはずなのだ。
それは聞かないわけにはいかないでしょう。人として。
とりあえず、参院選に投票する前に、観れる方は『ひめゆり』『特攻』『ヒロシマナガサキ』『陸に上った軍艦』は要チェックで。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B0012AGLLY&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
戦争の悲劇の犠牲者として美化されはしても、実態が当事者の口から語られることはめったにない「神風特攻隊」。
ちなみに「神風」と称するのは海軍の特攻隊で陸軍はただ「特攻隊」なのだそうだが、やってたことは大体いっしょです。
最近は海外ではすっかり自爆テロ攻撃=狂信的暴力を指すようになってしまった「KAMIKAZE」という言葉が一人歩きしているけど、その実、日本でだって特攻作戦の現実はあまり知られていないのではないだろうか。ぐりは例の都知事映画を観てないけど、あれも結局は当事者の証言を直接題材にしているわけではない。
この映画の特異なところは、監督が日系アメリカ人、プロデューサーが日本生まれのアメリカ人という点。
ふたりとも日本を祖国/故郷としながらアメリカ国籍を持ち、太平洋戦争の当事国両国のアイデンティティをもっている。観ればわかることだが、この作品はこうした彼女たち独特の立場からしか語れなかったという意味で前代未聞の、特級の反戦映画にもなっている。
物語のきっかけはリサ・モリモト監督の亡き叔父が元特攻隊員だったという過去が判明するところから始まる。なので最初は家族の物語である。叔父本人は既に20年前に亡くなっているので、監督は他の生存者を訪ねてインタビューをとり、リサーチをする。インタビューは生々しく、リサーチはごく綿密で、特攻作戦がいつどのように立案され、実戦に導入され、いかにして「国民の鑑」にまつりあげられていったかという全体の過程が、非常にわかりやすく表現されている。
ぐりは太平洋戦争にも特攻作戦にもまったく詳しくないんだけど、たまたま同じ回を観ていたご老人が受付で「一ヶ所だけ」とダメ出しをしていたので、お詳しい方が観られても矛盾のない内容になっているのではないかと思う。ミスは「一ヶ所だけ」ってくらいだから。すごいです。
ぐりが作中でいちばん心を動かされたのは、訓練中に地元の一般家庭で休暇を過ごした隊員たちが、一家の娘さんから手渡された手づくりの人形をとても大切にしていたという証言。もののない時代、粗末な材料でつくられた簡単な小さな布人形を、隊員たちは後生大事に腰に提げて隊務についていた。どれほど強く思っていても口に出して気持ちを言葉にすることができない時代に、そのささやかなマスコットにこめられた心の痛みで胸が締めつけられるような気がした。人形をもらった隊員たちは10代後半〜20代前半のほんの子ども、贈った渡辺クミさんは当時19歳、この方は『恋文』というラジオドキュメンタリーの主人公として一部で知られている俳人でもある。
あともうひとつ、証言者のひとりが出撃前に帰省したときのことを語ったシーン。
この映画に登場する証言者は日米両国にまたがっているが、日本人証言者のほとんどはもちろん日本語で話している。元特攻隊員の上島武雄氏もずっと日本語で話していたのだが、父と再会した夜の話題になったとき、突然英語で喋りだした。もう二度と会えないかもしれないと思いながら親子で過ごした忘れられない一夜のことを、61年経った今も、母国語では話せないという心の壁。
戦争がどれほどひどいことかを、これほど能弁に語れるのはやはり当事者しかいないだろう。
日本では高齢化も進み証言者も年々減っているけれど、『蟻の兵隊』の奥村和一氏にしろ『ひめゆり』の元ひめゆり学徒隊員にしろ、語ろうとしている人はまだまだいるはずなのだ。
それは聞かないわけにはいかないでしょう。人として。
とりあえず、参院選に投票する前に、観れる方は『ひめゆり』『特攻』『ヒロシマナガサキ』『陸に上った軍艦』は要チェックで。