落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

よるはさむくて、くらかった

2011年09月21日 | book
8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex

文藝春秋増刊「つなみ 被災地のこども80人の作文集」 2011年 8月号 森健編
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避難所だった中学校の体育館の片付けに参加した日、お昼休みに地元の方がDVDを見せて下さった。
津波が来たときに被災者が自ら撮影した映像を編集したもので、撮影地ごとにまとめて編集されていた。
驚いたのはその長さと多さ。実に多くの被災者が、わが町が、故郷が破壊されていくさまをきちんと映像に記録するという行為をしていた。
ぐりがもしその立場だったら、冷静にそんな行動がとれたかどうか、自信がない。

映像は筆舌に尽くし難く凄惨なものだった。
なかでも印象的だったのは、映像に収録された音声。めりめりめり、バキバキバキと恐ろしい轟音をたてて家々を破壊しながら町を飲み込んでいく巨大な水の塊。大地から引き剥がされた建物は土煙を上げてごとごとと押し流されていく。
波の向こうには、市街地を燃やしつくす大火災を引き起こした石油タンクが、傾いたまましずしずと流れている。
そして、それらを撮影しているカメラの後ろで、隣で、被災者の方々が悲鳴を上げていた。
「うそー!うそー!」
「とめて!とめて!」
「おねがい!おねがい!」
叫び声を上げて泣いていたのは子どもだけではない。大人も、大の男も、絶叫し、号泣していた。
顔は映っていない。映像に記録されていたのは彼らの声だけだった。

そんな映像を、ボランティアのみんなで、黙って見た。

この本は、震災から1~2ヶ月後にジャーナリストの要請で当時の体験を綴った幼稚園~小中学生の作文集。
岩手県~宮城県にまたがる複数の避難所で募られた80人の子どもが、それぞれの思いを個性的な文章で表現している。一部は原稿の原寸大画像で、一部はテキストで収録され、原寸大画像の作文には書いた子の顔写真と震災前後の背景について書かれたキャプションがついている。

完成度にはかなりのばらつきがあり、たった3行に思いのたけをこめた子もいれば、原稿用紙7枚分の大作を書いた子もいる。ひらがなだけで拙い言葉を連ねた作文もあれば、大人顔負けのルポルタージュもある。
だがすべての作文に共通していたのは、家族への思いと、日本全国から世界中から被災地に差し伸べられた支援への感謝の言葉だった。
震災当時、ほとんどの子どもは学校にいた。学校の近くに家族がいた子は津波が来る前に家族と合流して避難することができたが、バラバラに避難して再会するまで何日もかかった子もいた。再会できなかった子ももちろんいる。だからこそ、家族が無事だった子どもたちはみな、生きていることの尊さに素直に感激の言葉を述べている。
家族を亡くした子に共通しているのは、作文で亡くなった家族のことに直接触れていない点である。亡父を火葬したことだけを書いた子、幼い弟を抱きしめたまま流された母を「たいせつなもの」と表現した子、両親を失いながらそのことには一言も触れない子もいた。
あどけなく不器用に並べられた文字の間隙に、彼らの小さな背中には背負いきれないほど大きな悲しみを感じさせる、言葉の不在の重み。

電気も水もガスも食糧も寝具もなく、雪のちらつく被災地で凍え、飢えていた子どもたちにとって、自衛隊や消防やボランティアの支援が劇的にあたたかくやさしくうつったことがむしろせつない。
応援してくれる人たち、支えてくれる人たちがいるから、強く生きたい、たくましく優しい人になりたいと決意を書いた子どもたち。
ほんとうなら、そんなもの何もなくたって、子どもにはみな、強くたくましく優しく成長してもらいたいと、誰もが願うものだ。
だけど、彼らはこの未曾有の悲劇の中でそんな当たり前のことを自ずから決意せざるを得ないのだ。
ぐりはあえていいたい。
強くなくてもたくましくなくても優しくなくてもいい。ただただ、元気で、健康に大きくなってもらえたら、それでいいです。
自衛隊も消防も自治体職員も、やってることは単なる仕事です。ボランティアだってみんな自分でやりたくて来てるんです。支援物資だって送りたいから送ってるんです。子どもがそんな気をつかわなくてよろしい。

津波が来た時、子どもたちの多くが学校にいて、教職員の指導のもとで避難した。
彼らは子どもたちに大声で「外を見るな」「立つんじゃない」とくちぐちに叫んだという。
子どもたちの愛した町が壊されていく悲惨な光景を見せまいとして、せめて今、子どもたちの心を守りたいと発せられた言葉だった。だから、津波が来るところを見ていない子もいる。それでも、家や親しい人を失った彼らの心は深く深く傷ついた。
彼らの受けた心の傷が、一日でも早く癒えることを祈る。
阪神淡路大震災の後、バラバラになった地域のコミュニティの中で置き去りにされ、心の傷を抱えたまま大人になってしまったかつての子どもたちはもう20~30代の大人だが、彼らの体験が今度こそ教訓として活かされることを心から願う。

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