落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

幾千の言葉より

2012年07月13日 | 復興支援レポート
先日、被災地の人をお呼びして、関東地方でセミナーをやってみた。

登壇者は関東地方から東北にボランティアに通う業界団体(つまりボランティア団体ではない)の代表者2名と、被災地でボランティアコーディネートを行う団体の代表者2名。
被災地で活動する2名のうちお一方は自身も被災者で、ぐりも何度もお世話になっている方だ。
彼以外の3団体には具体的な活動報告をしていただいたが、最後の彼には、被災当時の体験を話してもらった。
その話をしてくださいと直接依頼したわけではない。「あなたにしかお話できないことを、お話したいように、自由に語っていただきたい」とだけ頼んだ。

地震が起きた時感じたこと、町の混乱、津波が襲ってくる情景、東北訛りの訥々としているが緊迫した言葉に、会場全体が息をのんで聞き入っているのがわかる。
生き別れた家族を探して何日も何日も瓦礫の山と化した町をさまよい歩いた日々。
市内各所の避難所を訪ねては避難民の群集に向かって「おたずねします。〇町の×××子、いませんか」と呼びかけ続け、ある日、「おたずねします」と声をかけたとたん、「おとうさん」。

その後は言葉が続かない。
絶句している彼の目にも、聞いている人の目にも、涙が浮かぶ。
亡くなった家族もいた。遺体の身元確認のときには涙が出なかった。人は心の余裕があるから涙が出るのだと彼はいった。

ぐりは彼の話を以前にも聞いている。
被災地では何万人もの人が彼と同じような体験をした。決して珍しい話ではないし、メディアにも似たエピソードはあふれている。いやな言い方だが、この未曾有の大惨事の中では、彼の体験はまだありふれている方なのだ。
それほどひどいことが起こったのだ。

それでもぐりは、この話をひとりでも多くの人に聞かせたかった。
それも、面と向かって、直接聞いて欲しかった。
言葉じゃなく、彼と向かい合うことで、震災の現実を感じとって欲しかった。
この大災害で最も大きなダメージを受けたのはマスメディアだ。日本人はもう自国の政府もメディアもいっさい信用していない。
そもそもフレームに切り取られた画面の向うのあまりの惨状に、誰もが慣れてしまっている。
だが、目の前で生きて呼吸し、1年以上前の体験に震え涙する人の存在を信じられない人はいない。
その重さを感じて欲しかった。

セミナーが終わって会場を後にしたとき、彼も含めて多くの関係者が「またやろうよ」と声をかけてくださった。
絶対にまたやろうと思う。
被災地になかなか足を運べない、一度いっても繰り返し行くことができない人は多い。
それなら被災地の人を連れてくればいい。
そうすることで少しでも風化を遅らせられるなら、そうしたい。


今年初めての冷やし中華。