Sometimes it is the people who no one imagines anything of who do the things that no one can imagine
『イミテーション・ゲーム』
1952年、盗難の捜査をしていたマンチェスター警察のノック刑事(ロリー・キニア)は、被害者であるにもかかわらず非協力的なチューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)を不審に思い彼の戦歴を調査するが、すべてが機密扱いとされ何ひとつ手がかりをつかむことができない。その後、同僚がチューリングを猥褻罪で逮捕。当時違法だった同性愛の罪で彼を取り調べたノック刑事だったが・・・。
コンピューターの父といわれ、第二次世界大戦下で絶対解読不能とされたナチス・ドイツの暗号“エニグマ”の解読に成功した稀代の天才数学者アラン・チューリングの生涯を描いた伝記映画。
3ヶ月ぶりに、心の底からタバコが吸いたくなった。
映画とは関係ないが、今年にはいってタバコをやめた。17歳のときから25年間吸い続けてきたが、とくに不自由に感じたことがない。これまでにも体調が悪かったりして短期的には本数を減らしたりやめてみたりしたことはあったからで、その程度のコントロールくらい難しくも何ともない。現にまる3ヶ月あまり1本も吸わなかったし、真剣に我慢できないと感じたこともなかった。
でも、今日、この映画を観ていて、心の底からタバコを吸いたくなった。
それはチューリングがMI6のミンギス(マーク・ストロング)に、エニグマの解読成功を報告するシーンだった。神出鬼没のドイツ軍に翻弄される連合軍各国が、必死に試み続けて軒並み挫折したほど難解な暗号解読を2年かけて成し遂げたというのに、チューリングはそれを「軍には伝えるな」と告げる。ドイツ軍の通信を端から解読してその情報通りに反撃すれば、エニグマ解読の事実が敵にもバレてしまう。バレたが最後、2年間の労苦はすべて水の泡となり、戦争終結はさらに遠退くことになる。チューリングはバレずに情報操作ができるアルゴリズムを開発するという。つまり、解読した攻撃通信をふるいにかけ、そのまま軍に報告する通信と、無視し偽装した誤情報とすり替える通信にわけ、最低限の攻撃で最短の戦争終結を目指すアルゴリズムである。敵を欺くにはまず味方からというわけである。
ということは、無視された攻撃の犠牲者は見殺しにされるということになる。
ミンギスがここで反射的にタバコに火をつけた瞬間、心の底から、タバコがほしくなった。
天才数学者の偉業の物語だが、とくに無駄に理屈っぽくもなくストレートなストーリーで、かつ知的なシナリオがオシャレでもありヒューマニズムにもあふれていて、非常にバランスがとれたいい映画だと思う。約2時間の上映時間があっという間だった。
ぐりは数学が苦手な凡人ではあるけど、ちゃんと素直にチューリングに共感できる。極端にコミュニケーション能力に欠け(いまでいうアスペルガー障害だった可能性が指摘されている)、誤解を受けやすく友人もいないチューリングだが、人が嫌いだったわけではない。むしろ人と関わることを好み、正直で、誰よりも数学の未来を信じ愛する純粋無垢な人物として描かれている。
あまりにも正直すぎる彼を理解できなかった同僚たちも、やがて一途に目的達成をめざす彼の真意に共鳴するようになっていく。本来そこに駆け引きや根回しは必要ないことを、チューリングは身をもって証明する。
ところがその一方である何気ない駆け引きが肝心の暗号解読のきっかけになるという展開が、この映画の最高に面白いところでもある。冒頭の面接シーンでのデニストン中佐(チャールズ・ダンス)とチューリングとのやり取りも小気味が効いていて見事だったけど、物語中盤でのこのギミックこそ、このシナリオで最も成功しているシーンだと思う。さすがアカデミー賞で脚色賞を受賞しただけのことはあります。ハイ。
数学の力を信じ戦争に勝つという目的のためにどんな感情をも曲げる純粋さと、純粋ゆえに二重の秘密の重圧に戦後も苦しみ続けたチューリングの孤独。
幾多の犠牲を伴いながらも戦争終結に貢献した彼の研究は、のちにコンピューター誕生の礎ともなったが、彼本人はその成果を自らの目で確かめることができなかった。
逮捕から2年後、強制ホルモン療法を受けていたチューリングは服毒自殺で死去する。41歳の若さだった。
現在、コンピューターに関わることなく暮している人間など地上のどこにもいない。端末に直接触れることがなくても、電気やガスや水道や電話などのライフラインはいまやすべてコンピューターで制御されているからだ。それもこれも全部、チューリングが生み出した理論なしには成し得なかったことだ。それこそ空気や水と同じように、人の暮らしにコンピューターはなくてはならない存在になった。
世界のあり方に革命をもたらした神ともいうべき偉人を殺したのは、まさに理由のない差別と偏見と悪意だった。
そんな時代に生まれた彼が不運だったというわけではないはずだ。
どんな不運な人にも、生きて幸せを追求する権利は当り前にあるからだ。
しかし彼にその権利は認められなかった。死後57年を経て彼の名誉は回復されたが、イギリス政府は当時の司法判断を覆すことはしていない。
いま、彼の偉業を讃え悲劇を悼むなら、断じて二度とこんな差別と偏見と悪意を許すべきではない。
少なくとも、電気やガスや水道や電話をつかって暮している人間には、誰ひとり、そんなものを許す権利を認めるべきでないと思う。
関連レビュー:
『夜愁』 サラ・ウォーターズ著
『ゲイ・マネーが英国経済を支える!?』 入江敦彦著
1952年、盗難の捜査をしていたマンチェスター警察のノック刑事(ロリー・キニア)は、被害者であるにもかかわらず非協力的なチューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)を不審に思い彼の戦歴を調査するが、すべてが機密扱いとされ何ひとつ手がかりをつかむことができない。その後、同僚がチューリングを猥褻罪で逮捕。当時違法だった同性愛の罪で彼を取り調べたノック刑事だったが・・・。
コンピューターの父といわれ、第二次世界大戦下で絶対解読不能とされたナチス・ドイツの暗号“エニグマ”の解読に成功した稀代の天才数学者アラン・チューリングの生涯を描いた伝記映画。
3ヶ月ぶりに、心の底からタバコが吸いたくなった。
映画とは関係ないが、今年にはいってタバコをやめた。17歳のときから25年間吸い続けてきたが、とくに不自由に感じたことがない。これまでにも体調が悪かったりして短期的には本数を減らしたりやめてみたりしたことはあったからで、その程度のコントロールくらい難しくも何ともない。現にまる3ヶ月あまり1本も吸わなかったし、真剣に我慢できないと感じたこともなかった。
でも、今日、この映画を観ていて、心の底からタバコを吸いたくなった。
それはチューリングがMI6のミンギス(マーク・ストロング)に、エニグマの解読成功を報告するシーンだった。神出鬼没のドイツ軍に翻弄される連合軍各国が、必死に試み続けて軒並み挫折したほど難解な暗号解読を2年かけて成し遂げたというのに、チューリングはそれを「軍には伝えるな」と告げる。ドイツ軍の通信を端から解読してその情報通りに反撃すれば、エニグマ解読の事実が敵にもバレてしまう。バレたが最後、2年間の労苦はすべて水の泡となり、戦争終結はさらに遠退くことになる。チューリングはバレずに情報操作ができるアルゴリズムを開発するという。つまり、解読した攻撃通信をふるいにかけ、そのまま軍に報告する通信と、無視し偽装した誤情報とすり替える通信にわけ、最低限の攻撃で最短の戦争終結を目指すアルゴリズムである。敵を欺くにはまず味方からというわけである。
ということは、無視された攻撃の犠牲者は見殺しにされるということになる。
ミンギスがここで反射的にタバコに火をつけた瞬間、心の底から、タバコがほしくなった。
天才数学者の偉業の物語だが、とくに無駄に理屈っぽくもなくストレートなストーリーで、かつ知的なシナリオがオシャレでもありヒューマニズムにもあふれていて、非常にバランスがとれたいい映画だと思う。約2時間の上映時間があっという間だった。
ぐりは数学が苦手な凡人ではあるけど、ちゃんと素直にチューリングに共感できる。極端にコミュニケーション能力に欠け(いまでいうアスペルガー障害だった可能性が指摘されている)、誤解を受けやすく友人もいないチューリングだが、人が嫌いだったわけではない。むしろ人と関わることを好み、正直で、誰よりも数学の未来を信じ愛する純粋無垢な人物として描かれている。
あまりにも正直すぎる彼を理解できなかった同僚たちも、やがて一途に目的達成をめざす彼の真意に共鳴するようになっていく。本来そこに駆け引きや根回しは必要ないことを、チューリングは身をもって証明する。
ところがその一方である何気ない駆け引きが肝心の暗号解読のきっかけになるという展開が、この映画の最高に面白いところでもある。冒頭の面接シーンでのデニストン中佐(チャールズ・ダンス)とチューリングとのやり取りも小気味が効いていて見事だったけど、物語中盤でのこのギミックこそ、このシナリオで最も成功しているシーンだと思う。さすがアカデミー賞で脚色賞を受賞しただけのことはあります。ハイ。
数学の力を信じ戦争に勝つという目的のためにどんな感情をも曲げる純粋さと、純粋ゆえに二重の秘密の重圧に戦後も苦しみ続けたチューリングの孤独。
幾多の犠牲を伴いながらも戦争終結に貢献した彼の研究は、のちにコンピューター誕生の礎ともなったが、彼本人はその成果を自らの目で確かめることができなかった。
逮捕から2年後、強制ホルモン療法を受けていたチューリングは服毒自殺で死去する。41歳の若さだった。
現在、コンピューターに関わることなく暮している人間など地上のどこにもいない。端末に直接触れることがなくても、電気やガスや水道や電話などのライフラインはいまやすべてコンピューターで制御されているからだ。それもこれも全部、チューリングが生み出した理論なしには成し得なかったことだ。それこそ空気や水と同じように、人の暮らしにコンピューターはなくてはならない存在になった。
世界のあり方に革命をもたらした神ともいうべき偉人を殺したのは、まさに理由のない差別と偏見と悪意だった。
そんな時代に生まれた彼が不運だったというわけではないはずだ。
どんな不運な人にも、生きて幸せを追求する権利は当り前にあるからだ。
しかし彼にその権利は認められなかった。死後57年を経て彼の名誉は回復されたが、イギリス政府は当時の司法判断を覆すことはしていない。
いま、彼の偉業を讃え悲劇を悼むなら、断じて二度とこんな差別と偏見と悪意を許すべきではない。
少なくとも、電気やガスや水道や電話をつかって暮している人間には、誰ひとり、そんなものを許す権利を認めるべきでないと思う。
関連レビュー:
『夜愁』 サラ・ウォーターズ著
『ゲイ・マネーが英国経済を支える!?』 入江敦彦著