落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

今日は1月19日。

2016年01月19日 | diary
今日は1月19日。

一昨日17日は阪神淡路大震災があった日で、兵庫県出身の私にとって一生忘れられない日だ。
朝、まだ暗いうちに東京の家の電話が鳴ったこと。妹とふたり暮らしで都内の大学に通っていた私たちに、そんな時間にかけてくるのは実家しかないとかけ直したけど、もう繋がらなかったこと。すぐにテレビをつけたら、既にニュースで地震を報じていたけど、まだ映像はなくて、やっと映ったと思ったら倒れた阪神高速の高架や、真っ黒な煙を上げながら燃える商店街の映像が、なんだか現実の出来事には見えなかったこと。報道では電話回線が混乱しているので被災地にかけないでほしいと何度もいっていて、10時を過ぎて家族からかかってくるまでどうしていいかわからなかったこと。家族はみんな無事だから、とにかく卒業できる3月まで地元のことは心配するなといわれたこと。いわれた通り3月に卒業して帰ったら、見慣れた街が瓦礫の山になってしまっていたこと。実家は大丈夫だったけど、青春を過ごした神戸の街が消えて、自分の過去が勝手にどこかに去っていってしまったような気持ちになったこと。そのまま決まっていた都内の就職先に入社して、街の復興のための行動は何もしなかったこと。10年経って地元の友だちに再会したら、神戸の街で壊れた家を建て直す大工さんに頼んで弟子入りして、4年間修行してほんものの大工さんになっていたこと。

それから6年後、今度は自分が大地震にあった。
毎日朝から晩まで報道を見ていて、今度こそ後悔しないように行動したいと思った。募金をして、ボランティアに応募した。宮城県石巻にいったのは4月だった。その惨状を見て、これは一度来たぐらいじゃダメだと、何度も足を運んだ。南三陸、気仙沼、名取、岩手県陸前高田、福島県南相馬市、浪江町、飯舘村。いろいろな人にお世話になって、いろいろな人に助けてもらった。想像もしたことのなかった世界を知り、たくさんのことを教わった。信じられないような経験もした。勇気づけられもした。
ボランティアをしていて「遠くから来てくれてありがとう」と声をかけてくれる人もいたけど、東北への行き帰りに汚れた作業服を着て大荷物を背負って都内を歩いていて、「もしかしてボランティアの方ですか」と東北出身の方に話しかけられたことも何度かあった。「地元の自分がいけないのに、見ず知らずの人がいってくれてありがたい」といわれたこともあった。
どこ出身だろうといける機会に恵まれた人間がいってるだけだと思うし、いける自分はほんとうに幸運なんだと説明したけれど。

とにかくいろいろなめぐり合わせで東北に通うことができて、いろいろな人に支えてもらった。
そしてそのひとりが、ちょうど1年前の今日、死んだ。
だから1月19日は、一生忘れられない日だ。

その人はたくさんのボランティアを支えてくれていた。
地域で活動するボランティアの要のような存在だった。
その人の助けなしには、私たちは何もできなかっただろうと思う。

それなのに、誰もその人を助けることはできなかった。

人間が人間を助けることはできないのだと、当たり前のことを改めて知った日。
それが1月19日だ。

その人にしてもらったこと、してあげたこと、されてアタマに来たこと、やりかえしたこと、なにひとつ後悔はしていない。
後悔しても死んだ人はかえってはこない。
だからせめて、1年に1度、この日だけは、その人のために過ごしたいと思う。
笑顔や、声や、つくってくれたごはんの味や、たばこの匂いを思いだして過ごしたいと思う。