落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

助けられた命

2017年05月05日 | lecture
一橋大学アウティング事件裁判経過の報告と共に考える集い

初めてであった性的少数者は高校の美術教師だった。
進学校の受験とは無関係な選択科目の教師だったせいなのか、彼はたまに出欠を取る以外ほとんど授業に出てこなかった。3年間所属した美術部の顧問だったはずだが部活中にもろくに顔をあわせたことがなく、学校行事にも姿はなかった。高校生活で彼と言葉を交わしたのはせいぜい2〜3度だと思う。進路を美大に決めてからも、担任教諭との面談で相談相手として彼の存在が挙ったことすらなかった。
にも関わらず、私は彼が性的少数者であることをごく常識として知っていた。おそらく学校中の誰もが知っていた。奥手で世事に疎くあだ名が“天然記念物”だった私が知ってたくらいだから、知らない者はいなかったのではないだろうか。
しかしそれはおそらく、彼が自らカミングアウトした状況ではなかったのではないかと思う。美術準備室に日がな一日閉じこもり、授業にも部活にも出ず生徒とも他の教職員とも交流しなかった彼が、誰かの前で公然とそう宣言したなどとは考えにくい。だがそれは単なる噂話でもなかった。詳細は控えるが、動かぬ証拠が生徒たちの間で共有されてしまっていたのだ。
あとになってオープンリーゲイの人々とごく当たり前に交流するようになると(進学先が美術系、就職先がマスコミ系/国際組織となると性的少数者の存在は日常になる)、彼のことをよく思い出すようになった。美術を学んだ先輩としてもっと毅然としていてほしかった。生徒たちとの時間をもっと大事にしてほしかった。どうして彼にはそれができなかったのだろう。生意気盛りの子どもたちにあらぬ噂をおもしろ半分にたてられながら、一日中暗幕をひいた美術準備室で、いったい何を思っていたのだろうかと。

一橋アウティング事件は、一橋大学法科大学院の学生が恋愛感情を告白した同性の同級生によってゲイであることを暴露されて精神的に不安定になり、2015年8月に大学構内で転落死した事件である。
この一橋大学のロースクールは1年目の司法試験合格率が約50%と、東大京大よりも高い日本一の合格率を誇る優秀なロースクールだそうで、亡くなったAくんも入学できたときはとても喜んでいたそうだ。
中学のときから「人の役に立つ仕事に就きたい」という夢をもち、礼儀正しくおとなしく、静かだけれど積極的な子どもだったというAくんだが、ゲイであることを家族には一度も相談したことがなかった。2015年4月に同級生のBくんに告白し、6月にBくんによって同級生たちにそのことをバラされて悩んでいたときも、涙を見せながらも「これだけはいえない」といって話さなかった。
この間、Aくんは大学のハラスメント相談室、ロースクールの教授、保健センターでもことの次第を相談している。そのたびに彼はカミングアウトを余儀なくされた。Bくんの顔を見るだけでなく、Bくんが乗っていた自転車を見かけるだけで気分が悪くなった。
ところが相談された大学側はBくんに事実を問いただしたり、ふたりを引き離したりといった具体的な対策をとらず、やがて模擬裁判という「絶対に休めない」授業中、精神的な逃げ場を失ったAくんは自ら命を絶ってしまった。

その日の午後3時過ぎ、Aくんはロースクールの教室が入っている建物の6階のベランダにつかまってぶらさがっていたという。
力尽きて、または諦めてその手を離すまで、彼は何を思っていたのだろう。
少なくとも彼は、激しい孤独に苛まれていたのではないか。
異性愛者だけを「正常」とする世界で、どこにいけばいいのか、どうすればいいのか、まったくわからなくなってしまっていたのではないだろうか。
その激しい孤独と絶望には、性的指向に関わらず誰しも心当たりがあるだろう。世界中に誰ひとり味方のいない寂しさと心細さを、生涯一度たりとも感じたことがない人間などいないはずだ。

Aくんは死ぬ間際に、クラス全体のLINEに「(B/実名)が弁護士になるような法曹界なら、もう自分の理想はこの世界にない」「いままでよくしてくれてありがとう」などと投稿したが、この投稿を遺族は裁判で初めて知ったという。
それまで、クラスメートの誰も、大学側さえも、遺族に何のコンタクトもしていなかったのだ。唯一、Aくんに貸したスターウォーズのDVDを回収にきた学生がひとりいただけだった。
大学側は遺族への説明に弁護士が同席するときいて一方的に面談をキャンセルし、以後一度も遺族にひとことも何の説明もしていない。
遺族は、愛する我が子がなぜ夢に胸膨らませて入学したロースクールで死ななくてはならなかったのか、ただその事実を知りたいだけである。彼らにはその権利がある。同級生たちと大学側はあくまでそれを黙殺した。蹂躙した。
だから遺族は裁判で明らかにするしかなかったのだ。

アウティングの重大性はおそらく世界中どこでもじゅうぶんに認識が浸透しているとはいえないと思う。残念ながらそれは事実である。私自身どこまで認識しているか自信があるとはいえない。
だがこの事件が起こったのはロースクールだった。大学の言葉を借りるなら「相応の教養と見識があり」「わざわざ人権について教えるべくもない」とする学生が集まり法律のプロを育成する学府が、この人権侵害の現場になったのだ。
では、そもそも大学が学生を「相応の教養と見識があり」「わざわざ人権について教えるべくもない」とする根拠はいったい何なのか。日本の義務教育でまともな性教育が行われなくなって久しい。人権教育など何をかいわんやである。入試で人権や性意識を審査しているとも思えない。現にAくんは生前、同級生が「(同性愛者を)生理的に受けつけない」と発言しているのを耳にしていた。多少なりとも人権意識があるべき人間なら、決して口にしてはいけない言葉である。

発言してしまったものはしかたがない。LINEに投稿してしまったものはしかたがないとしよう。百万歩×∞譲って。人間誰にでも誤りはある。起こってしまった間違いは取り返しがつかない。
だとしても、大学側にも、Bくんにもできることはあった。
なぜならそこはロースクールだったからだ。人権意識があって、性的少数者も含めたマイノリティの権利についての専門知識を備えたスペシャリストがごまんといたのだ。Aくんがどんなに追いつめられていても、彼を助けられるだけのしくみはいくらでもあった。
Aくんを助けることは、絶対に誰にも不可能な「人知を超えた」出来事(大学側の主張)などではなかった。
Aくんの命は救えたのだ。
なのに彼は死んでしまった。
そして事件は隠蔽され、同じ一橋の学生にすら知られることがなかった。
ご遺族が裁判を起すまで。

シンポジウムでは裁判の原告代理人弁護士である南和行氏がファシリテーターとして裁判の経過を報告、今回のシンポジウム開催に尽力した鈴木賢氏(明治大学教授)の基調講演があり、裁判を支援する方々が合間に発言をされ、遺族のインタビュー動画の上映があって、その後に木村草太氏(首都大学東京教授)・原ミナ汰氏(NPO共生ネット代表理事)・横山美栄子氏(広島大学教授)のパネルディスカッションがあり、ぜんぶで3時間という長丁場だったので個々の発言の詳細については割愛するが、なかで非常に印象的だったのは、鈴木教授の講演で紹介された台湾の事例である。
2000年4月、葉永[金志]くんという15歳の男の子が学校のトイレで血を流しているのが見つかり、その後病院で亡くなった。葉くんは口調や挙措動作が女の子っぽいことでいじめをうけていて休み時間にトイレに行けず、いつも授業中に教師の許可を得てトイレに行っていたという。しかし学校は警察の捜査が始まる前に現場の血を洗い流したり、葉くんが病気で亡くなったかのような証言をしたり隠蔽工作を重ね、結果的に校長を含む学校関係者3名が業務上過失致死罪で有罪判決を受けた。葉くんの死から4年後の2004年には性別平等教育法が制定され、現在では性的指向についての教師用指導ガイドや同性愛についての教材、小中学校の教師を対象とした教育セミナーまで整備されているという。葉くんはかえってこないが、彼の犠牲が台湾社会を大きく動かしたのだ。

Aくんの犠牲を無駄にせず、この裁判で社会を変えなければならないと、登壇者は口を揃えていっていた。いま変えなければ、悲劇は繰り返されてしまう。
木村草太教授は「この裁判は判例集に必ず掲載される重大な判例になる。必ず勝たなくてはならない」と強い口調でおっしゃった。これは性的少数者だけの問題じゃない。いじめ(=離脱可能性のない空間(例:模擬裁判の授業)の危険性)の問題でもある。いじめの裁判ならいままでたくさんあった。これまで積み重ねてきた愚を繰返し、人は学ばない生き物だということを証明し続けるのでは何の意味もない。
もし裁判官が一橋大学法科大学院と同じ見識だとすれば一審では負けるかもしれない。でも絶対に控訴します。だからずっと関心を持って、忘れないで支援してほしいと、南さんとパートナーの吉田昌史弁護士は力強く訴えておられた。
都合があえば、裁判の傍聴にも是非行きたいと思います。

大阪でオープンリーゲイの弁護士として活動されている南さんと吉田さんのお話は前から聞いてみたかったし、ツイッターをいつも見ている(TVは観ないので)木村教授の話も聞けて、またパネリストの人選もこれ以上ないくらいばっちりで、非常に質の高い、身の詰まったシンポジウムでした。
定員200名の会場に300人以上来ていて、会場に入れずに廊下で聞いてる人までいました。参加できてほんとによかったです。

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