『ムーンライト』
フロリダ州マイアミ、リバティ・スクエア。
ドラッグディーラーのリーダー・フアン(マハーシャラ・アリ)と危険な地区の廃屋でであった小学生・シャロン(アレックス・ヒバート)。内向的で友人もたったひとり、唯一の家族は薬物や売春に多忙な母という孤独な境遇のなかで、フアンとガールフレンド・テレサ(ジャネール・モネイ)との友情に癒しを見出すのだが・・・。
第74回ゴールデン・グローブ賞映画部門作品賞、第89回アカデミー賞作品賞、助演男優賞(マハーシャラ・アリ)、脚色賞を受賞。
ジェームズ・ボールドウィンの『もう一つの国』を思い出す。偉大な先人たちが苛烈な差別と戦っていたころの物語。
あれから50年が経った。世界はどう変わっただろう。
あいかわらず人は人を差別しているし、暴力は続いている。毎日どこかでうまれている子どもたちはみんな祝福されているはずなのに、迎える世界はいつまでたってもちっともよくならない。
感情を出さずほとんど喋りもしないシャロンの繊細な相貌は、そんな世界を堪えようとする鎧の仮面のようにもみえる。
アフリカ系というだけでなく、母子家庭でしかもゲイという多重のマイノリティであるアイデンティティを背負った小さなシャロン。望んでそんな境遇にうまれてくる子どもなんていない。そんな現実をどうすればサバイブできるのか指南してくれる人もいない。
ただその過酷さを、問わず語りに慮ることができる人はいる。たとえそれが売人でも、少年にとっては救いだった。
ちゃんと数えたことはないけど、いままでだいたい3,000本程度映画を観てきて、おそらく初めて目にするタイプの映画じゃないかと思う。
完全に主人公主観の映画なら他にもあるだろうけど、それでもここまで静かに深く共感させられた作品はこれまでなかった気がする。
寂しい。どうすればいいのかわからない。家の中にも学校にも居場所がない。他人と違うことの何がいけないのかもわからない。誰を信じればいいのかわからない。絶対に他人にはいえない秘密の重さ。どこにいっても、ひとりぼっち。
背が伸びて大人になっても、ひとりぼっちの心細さだけはどうすることもできない。みんな、どこで乗りこえ方を覚えるんだろう。誰が教えてくれるんだろう。
わからないからと破滅的に生きているシャロンと旧友ケヴィン(アンドレ・ホランド)の邂逅はただただ静かに穏やかで、こんな風に心通わせられる存在があるなら生きていてよかったんじゃないかと思えるのは、この物語が映画の中の出来事だからだろうか。
でもほんとうにそうだろうか。心の底から平穏を感じられるその瞬間のために、人はどれだけの懊悩に堪えられるものだろうか。
それとも人に生まれるその運命そのものが、誰もが寂しく心細く、どこから注すのかもわからない光をただ求め続けるものなのだろうか。
手持ちカメラの主観映像に、極度に感覚的な音響設計が印象的な演出で、緻密に構築された背景音によって主人公の心を覆う壁が観客に伝わるしくみになっている。
主人公が自分ではまったくといっていいほど喋らないという設定も非常に効果的。必要最低限しか言葉を発しないから、観ている人間は自分の精神状態を画面の中の男の子に投影する以外にストーリーについていく手段がない。
音楽もとても綺麗だし、ここまで映像作品としての完成度にまったく一片の瑕疵もない傑作はまずなかなかないんではないかと思いました。監督2作目でいきなりオスカーをとったバリー・ジェンキンス監督の次回作にも期待したいと思います。
劇中で、大好きな「Cucurrucucu Paloma」がかかっていた。
もう18年も前に観て、いまも、そして一生忘れ得ないであろう映画『ブエノスアイレス』の挿入曲だった歌だ。
Dicen que por las noches
nomás se le iba en puro llorar;
dicen que no comía,
nomás se le iba en puro tomar.
Juran que el mismo cielo
se estremecía al oír su llanto;
como sufrió por ella,
que hasta en su muerte la fue llamando.
Ay, ay, ay, ay, ay,… cantaba,
Ay, ay, ay, ay. Ay,… gemía,
Ay, ay, ay, ay, ay,… cantaba,
de pasión mortal… moría.
Que una paloma triste
muy de mañana le va a cantar,
a la casita sola,
con sus puertitas de par en par.
Juran que esa paloma
no es otra cosa mas que su alma,
que todavía la espera
a que regrese la desdichada.
Cucurrucucu… paloma,
Cucurrucucu… no llores,
las piedras jamás, paloma
¡que van a saber de amores!
Cucurrucucu… cucurrucucu…
Cucurrucucu… paloma, ya no llores.
月に照らされた夜の浜辺に、波の歌に、いつでも還れると思えるなら、その風景は希望になるのだろうか。
そんな風景が、誰の心にもあればいいのにと、思った。
フロリダ州マイアミ、リバティ・スクエア。
ドラッグディーラーのリーダー・フアン(マハーシャラ・アリ)と危険な地区の廃屋でであった小学生・シャロン(アレックス・ヒバート)。内向的で友人もたったひとり、唯一の家族は薬物や売春に多忙な母という孤独な境遇のなかで、フアンとガールフレンド・テレサ(ジャネール・モネイ)との友情に癒しを見出すのだが・・・。
第74回ゴールデン・グローブ賞映画部門作品賞、第89回アカデミー賞作品賞、助演男優賞(マハーシャラ・アリ)、脚色賞を受賞。
ジェームズ・ボールドウィンの『もう一つの国』を思い出す。偉大な先人たちが苛烈な差別と戦っていたころの物語。
あれから50年が経った。世界はどう変わっただろう。
あいかわらず人は人を差別しているし、暴力は続いている。毎日どこかでうまれている子どもたちはみんな祝福されているはずなのに、迎える世界はいつまでたってもちっともよくならない。
感情を出さずほとんど喋りもしないシャロンの繊細な相貌は、そんな世界を堪えようとする鎧の仮面のようにもみえる。
アフリカ系というだけでなく、母子家庭でしかもゲイという多重のマイノリティであるアイデンティティを背負った小さなシャロン。望んでそんな境遇にうまれてくる子どもなんていない。そんな現実をどうすればサバイブできるのか指南してくれる人もいない。
ただその過酷さを、問わず語りに慮ることができる人はいる。たとえそれが売人でも、少年にとっては救いだった。
ちゃんと数えたことはないけど、いままでだいたい3,000本程度映画を観てきて、おそらく初めて目にするタイプの映画じゃないかと思う。
完全に主人公主観の映画なら他にもあるだろうけど、それでもここまで静かに深く共感させられた作品はこれまでなかった気がする。
寂しい。どうすればいいのかわからない。家の中にも学校にも居場所がない。他人と違うことの何がいけないのかもわからない。誰を信じればいいのかわからない。絶対に他人にはいえない秘密の重さ。どこにいっても、ひとりぼっち。
背が伸びて大人になっても、ひとりぼっちの心細さだけはどうすることもできない。みんな、どこで乗りこえ方を覚えるんだろう。誰が教えてくれるんだろう。
わからないからと破滅的に生きているシャロンと旧友ケヴィン(アンドレ・ホランド)の邂逅はただただ静かに穏やかで、こんな風に心通わせられる存在があるなら生きていてよかったんじゃないかと思えるのは、この物語が映画の中の出来事だからだろうか。
でもほんとうにそうだろうか。心の底から平穏を感じられるその瞬間のために、人はどれだけの懊悩に堪えられるものだろうか。
それとも人に生まれるその運命そのものが、誰もが寂しく心細く、どこから注すのかもわからない光をただ求め続けるものなのだろうか。
手持ちカメラの主観映像に、極度に感覚的な音響設計が印象的な演出で、緻密に構築された背景音によって主人公の心を覆う壁が観客に伝わるしくみになっている。
主人公が自分ではまったくといっていいほど喋らないという設定も非常に効果的。必要最低限しか言葉を発しないから、観ている人間は自分の精神状態を画面の中の男の子に投影する以外にストーリーについていく手段がない。
音楽もとても綺麗だし、ここまで映像作品としての完成度にまったく一片の瑕疵もない傑作はまずなかなかないんではないかと思いました。監督2作目でいきなりオスカーをとったバリー・ジェンキンス監督の次回作にも期待したいと思います。
劇中で、大好きな「Cucurrucucu Paloma」がかかっていた。
もう18年も前に観て、いまも、そして一生忘れ得ないであろう映画『ブエノスアイレス』の挿入曲だった歌だ。
Dicen que por las noches
nomás se le iba en puro llorar;
dicen que no comía,
nomás se le iba en puro tomar.
Juran que el mismo cielo
se estremecía al oír su llanto;
como sufrió por ella,
que hasta en su muerte la fue llamando.
Ay, ay, ay, ay, ay,… cantaba,
Ay, ay, ay, ay. Ay,… gemía,
Ay, ay, ay, ay, ay,… cantaba,
de pasión mortal… moría.
Que una paloma triste
muy de mañana le va a cantar,
a la casita sola,
con sus puertitas de par en par.
Juran que esa paloma
no es otra cosa mas que su alma,
que todavía la espera
a que regrese la desdichada.
Cucurrucucu… paloma,
Cucurrucucu… no llores,
las piedras jamás, paloma
¡que van a saber de amores!
Cucurrucucu… cucurrucucu…
Cucurrucucu… paloma, ya no llores.
月に照らされた夜の浜辺に、波の歌に、いつでも還れると思えるなら、その風景は希望になるのだろうか。
そんな風景が、誰の心にもあればいいのにと、思った。