落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

『傾く滝』杉本苑子著

2004年05月03日 | book
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自殺を図った少年を助けた浪人・直樹は、嫂との不義密通の挙げ句、刃傷沙汰に至り盲目の幼い娘を連れて逃亡中の身の上だった。助けられた少年は江戸歌舞伎の大名跡・八代目市川団十郎。事件が縁で市川家の子どもたちの勉学師匠となった直樹を団十郎は熱烈に恋慕うようになるが、直樹は過去に犯した罪の呵責と愛娘への愛惜との間で苦悩する。悲劇の名優の伝説を軸に江戸の歌舞伎界を華やかに描いた歴史小説。

ゲイ小説特集。事件ドキュメンタリー特集は終わってませんがちょっと小休止です。趣味悪いですかね。まぁええやないですか。
ぐりが初めてひとり暮しを始めた頃の趣味は“歌舞伎鑑賞”。東京に住んでなきゃやれない趣味と云うものを持ってみたかった、単なる好奇心が動機だったと云うのもあり、アルバイトで貯めた小遣いで1ヶ月か2ヶ月に一度桟敷席のチケットを買い、銀座のデパ地下で買った寿司折りを提げてひとり歌舞伎座に通うと云う年齢の割に渋い趣味は結局3年ほどしか続きませんでした。東京住まいが学生時代だけのモラトリアムではなくなった時、東京だけの非現実世界に浸る必要もなくなったと云う訳です。

梨園を舞台にした小説はこの他に宮尾登美子の『きのね』を読んだことがありますが、歌舞伎を多少なりとも知っているぐりでもこの手の小説はちょっと読みづらい。著者の歌舞伎に対する愛が溢れ過ぎているから。それはそれで、入り組んだ愛憎関係と独特な舞台世界の雰囲気を醸し出すのには良い効果装置だとは思うんだけど、とりあえず『傾く滝』に関して云えばストーリーが装置に負けてしまっている。軸となる物語の筋の部分が安直過ぎる。弱いです。登場人物がやたらめったら多いのは人間関係が複雑だからでしょうが、そのせいかそれぞれの人物描写が表面的過ぎて説得力がない。それに20年間と云う時間の流れも上手く表現出来ているとは云い難い。リズムと云うかメリハリに欠けている、構成のバランスの良くない小説の顕著な例と云えましょー。
特に一方の主人公である筈の直樹の人物造形が決定的におざなりな印象はどうしても否めません。

それに対してもう一方の主人公・八代目市川団十郎は実に魅力的に描かれています。美しく才気に溢れナイーブで情熱的、直樹を含め観客を含め周囲の人々を熱狂させ誰もを無条件に跪かせる天性のスターは、文中に登場するだけでその華やかさが目に浮かぶようです。
惜しむらくは主人公なのに作中の登場部分が妙に少ないこと。なんででしょーね。

この小説は生涯独身を通し32歳の若さで自刃した八代目市川団十郎の死の謎をモチーフにしているそうですが、さてどこまでが史実を基にしているのか興味をそそられます。登場人物も実在と架空が混在しているようですし。
時代としてはそんなに古くはないので今からでも結構調べようと思えば調べられそうですが、現実には無理そうですね。直径の遺族が今も同じ名跡で活躍してんだもんね。プライバシーに関わる。
しかし実際に歌舞伎を観ていた頃もコレを読んだ今も、成田屋(市川団十郎など)自体にはさっぱり興味が湧かないぐりってやっぱどっかヘンですかねえ。ちなみにぐりは大和屋(坂東玉三郎など)、高麗屋(松本幸四郎など)が贔屓でした。今はどこも贔屓じゃないですけども。

『藍宇(ランユー)』北京同志著

2004年05月02日 | book
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北京のビジネスマン・捍東は友人の紹介で北京の大学に入学したばかりの16歳の少年・藍宇を買った。初めは遊びで快楽を買ったつもりだった捍東だが、やがて藍宇の頑なほど一途な純粋さに心奪われていく。インターネットの小説サイトで話題を呼び、スタンリー・クワン監督の映画化で国際的な注目を集めた小説。

えー、メロドラマでんな。ボーイズラブです。やおいです。以上。
ぐりはこの映画化を手がけたスタンリー・クワン監督のファンなんですが、この映画は未見です。なぜなら日本で公開されてないから。いくつかの映画祭では上映されたのですがたまたま観れなかった。DVDもビデオも出てません。観たいよう。でも今さら英語字幕解読しながら現地版を観る根性は既にナイ。ダメ人間だから。

著者の北京同志と云う人はインターネットのゲイ小説サイトを読んでまわってあまりにつまらないので「よし自分で書いちゃろう」と決心して本作を書いたそうですが、よもやそれが大きな話題を呼び壮絶なバッシングを浴び、果ては映画化されてカンヌに出品されるなどと云うボロい展開は想像もしなかったでしょうね。ハッキリ云って小説そのものはそんなレベルのしろものでは全くない。ごくごく一般的なアマチュア小説家による、ごくごく平凡なメロドラマです。ストーリーだって凡庸なら文体だって全然センスないです。
以前ぐりはかの『さらば、わが愛』の原作本も読みましたがコレもえらくラフな文体でした。中国の現代小説ってこんなんかい・・・と思っちゃいかんのでしょーが。

だからと云ってこの小説に読むべきところが一切無いかと云うとそんなこともない。気楽に奔放な人生を謳歌していた主人公・捍東が藍宇との恋愛によって人間的に成熟していく内面のドラマは、彼の「現代中国の支配階級に生まれた若い男性」と云う設定に伴ってそれなりに興味深く読むことが出来るし、都会のリッチな中国人の生活感覚が生き生きと描かれる世界観はやはり目新しく感じられる。
ただそれ以外に語るべき魅力のある小説とはとても云い難い。気取ったところもややこしいところも全然ない、大味なメロドラマ。罪のないエンターテインメント小説。それ以上も以下もナシ。
だって藍宇のキャラクター描写なんか単純過ぎますて。若くて綺麗で理知的で善良で愛情溢れる高潔な恋人って、そんなんほとんど“観音様”やんけ。

ぐりは正直この小説あんまり好きにはなれませんね。どこがそんなにええんやろ?ってカンジ。
ただこれを映画化したスタンリー・クワンは賢いなと思ったです。ますます観たくなったよう。やっぱ現地版買おうかい。どうしよー。

映画版レビュー:『藍宇 情熱の嵐』